「半田稲荷」でgoogle検索すれば、江戸時代の享保から文化の頃、疱瘡や麻疹の病気封じと安産で大いに繁栄した神社であり、今よりかなり境内も広かったようです。「願人坊主(フリーの坊さんでいかがわしいとされていた連中)が真っ赤な服装で「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授・安産御守護の神よ」と面白おかしく歌って(歌詞はサイトにより多少違いあり)踊り歩いたのが関東全域はもとより京都大阪まで有名になり、歌舞伎にもなったとのこと。歌舞伎については最近も上演例があるようで。
神代文字の碑文はずいぶん古い時代に埋もれたらしいということしかわからない。
江戸時代後半だともう少しましな古典的な文語体で書くようになると思うのでそれよりは古いかも知れない。また半田稲荷が有名になった後に作られたなら、病気封じに関する内容になったのではないかな。
歌の前に「カミウタ」とあり、歌の後に「ア」とある。このアは吾郷清彦は「ウ」だというが所見ではケンペルマンの「ア」とする説で問題ない。「嗚呼」の意味だろう。もしくは「アア」、「アハレ」など続きがあったものが当時すでに碑文は割れて断片になっていたか。
初句は「かみはゆく」。この「かみ」は年長者・上位者・主人・天皇などをもさしうるので、強いて神社の神とばかりも決められないが仮に「神」とすると、「神は往く」は「神が去った」の意味だとすると不幸を暗示しうる。が、どちらというと雪の語源が神の御幸(みゆき)であるように神の臨在をいっているのだろう(祭日での神輿の往来とか)。あるいは二句三句の解釈によっては「神速く」の訛りという線もありうるか? 年長者・上位者・主人・天皇などを「かみ」ということもあるので、あるいは未亡人が夫の死去に際して詠んだ歌かも知れず、あるいは誰かが天皇崩御の際(時代の変わり目)に人生を振り返った歌かも知れない。
二句三句が問題の未解明部分。P=ケンペルマンは「としきはとまね かねこなる」、吾郷清彦は「ひきこはひまひ かひやふる」と読んだが、この二つの旧説ではどちらも意味不明。
四句と五句が「真澄鏡(ますみのかがみ)面変(おもか)はりてや」(訳:鏡をみると(歳をとって)顔が変わったなぁ)。真澄鏡は定型的な言い回しで、この場合は神社の古式の鏡を念頭におきつつ(御神体とかでなく)鏡の映り具合をほめているだけで、訳文の上ではあれこれ言わず単に「鏡」とするのがいいと思う。
なので未解明の二句三句はその文中にあって歌としての文意がつながらねばならない。全体としては、何か目出たいことか不幸なことがあり、年月を感じるという意味の歌らしい。
二つの旧説の解読文はどちらも意味不明だが、文法を無視して強いて意味を想像すると、ある程度の意味を想定はできる。
ケンペルマン説の「としきはとまね かねこなる」は「年来は(年際? 年月は?)止まね、予事成る」だろうか。予事(かねごと)は予想されたことという意味の古語、「かねこ」は少々ムリがあるが「かねごと」の縮約語とすると、「年月の流れは止まない、予想された通りになった」の意味か。和歌として成り立たなくはないが、老化を嘆くだけの暗い歌で、神社の碑文としては少し陰鬱すぎないか?
何かもっと目出たいことを祈願したものと考えた方がありそうに思う。
吾郷説の「ひきこはひまひ かひやふる」はさらに解釈が困難。とはいえ吾郷は文字の音価を定め直そうとしただけなので文意は考えてないのは当然だが、そこをムリして解読を試みる。ひまごを「ひこ」ともいうので「曾孫たち」の意味で「ひここ」、または「曾孫である子」の意味で「ひここ」といったもの、その「ひここ」が訛って「ひきこ」? 「はひまひ」は「這ひ迷ひ」(這い回り逃げ惑う)、「祝ひ舞ひ」(お祝いに舞い踊る)とまったく逆の二つの解釈ができる。「かひやふる」はさらにわからない。彼火矢降る(あの火矢が降って来た)、甲斐や溢る(生きた甲斐が溢れるほどあった)、貝や炙る(貝を焼いている)、穀破る(脱穀する)、甲斐屋振る(甲州屋が繁盛してる)等、こじつけはできるが、どれもややムリヤリな感じ。曾孫が出てくる第二句は年月の流れを連想させる下の句とよくつながるのだが、全体的にスッキリ繋がらない、とくに第三句が酷い。
3行目の解読で1文字目と5文字めは一見してまったくちがう文字であるにもかかわらず、どちらもケンペルマンは「と」、吾郷は「ひ」と読んでる。7文字目と9文字目は同じ文字であり、ケンペルマンは「ね」、吾郷は「ひ」と読んでる。5文字目と7・9文字目はまったく違う文字であり、すべて「ひ」と読む吾郷説はいただけない。「ひ」「と」「ね」の3文字を比べると、すべてぐにゃぐにゃの線で区別がつかないように思うかも知れないが、いくつかの書体例から草書に崩れる前の原形を推定すると、案外にシンプルな「決め手」がそれぞれ決まっているのが判明する場合がある。「ね」は上の横棒の右端から下に線が下がった形(「フ」の「ノ」が真っすぐになった形)であり、「と」は「ヘ」のような平らに近い形である。「ひ」は平らににゅろにょろな文字だが決め手がわからない。
5文字目は「ひ」よりもはっきり「と」に似ているのでケンペルマンの説に従いたいが、7・9文字目は「ね」ではない。「ひ」は輪を上に結ぶ文字でもしその向きが決め手ならこの下側に結ぶ文字は「ひ」ではなくなるが、最後の左端から下方内側へ向かう撥ねが決め手ならば「ひ」に近いように思うので吾郷説を採る。問題の1文字目は「ひ」でも「と」でも「ね」でもなく、悩むところだが「ふ」だろうな。「ふ」も「ひ」と同じく、ただ横ににょろにょろしてるだけの文字だが「m」のように山二つの高さが揃うのが決め手らしい。
吾郷は2文字目を「き」、3文字目を「こ」とするが、ケンペルマンは3文字目を「き」、10文字目を「こ」とする。ケンペルマンは2文字目を「し」、吾郷は10文字目を「や」とする。「し」「き」「こ」「や」はどれも「フ」をぐにゃぐにゃに書いたように見えるが、全体的に「こ」は「く」の逆向き、「し」は「Z」、「き」は「7」のような印象になり、「や」は線の中程で右側に瘤のように張り出るのが決め手。
2文字目と10文字目はケンペルマン説でよいが、3文字目は「き」でも「こ」でもなく「や」だろうな。
11文字目はケンペルマンは「な」、吾郷は「ふ」とする。「な」の決め手は原形が「L」。
確かにこの書体では「ふ」の決め手も重合しているのだが、もし「ふ」だとすると、まったく違う文字にみえる1文字目に該当する文字がなくなってしまい読めなくなってしまうので「な」を採る。
3行目はP=ケンペルマンは「としきはとまね かねこなる」、吾郷清彦は「ひきこはひまひ かひやふる」と読んだが、以上の検討結果、第三案として「ふしやはとまひ かひこなる」と読んでみる。
新案の「ふしやはとまひ かひこなる」はとりあえず「富士や鳩舞ひ、蚕なる」と思いつくが、これでは旧案同様、意味をなさない。あれこれ考え、「伏屋は富まひ」と解いてみた。
「ふしや」は「伏せ屋」(みすぼらしい家という意味の古語)の訛りではないかな。「とまひ」は「とまふ」。「富む」に成し遂げることを表わす助動詞「あふ」がついた「富みあふ」の縮約語。「ついに豊かな家になった」の意味。もしくは「富む」に状態が継続することを表わす「ふ」がついた「富まふ」。「豊かな家になっている」の意味。
そうすると第三句は「蚕なる」でも意味は通り、むしろ語感はその方が自然だが、少し面白味に欠けるので、別の解釈も試みる。「ひこ」は「曾孫」、「なる」は「生る」(うまれる)。今でも子ができることを「子をなす」という。「か(彼)〜」は少々わかりにくいが「あっちにいる我が子には〜」もしくは「あの子の〜」というニュアンスの接頭語。
結論、「みすぼらしかった我が家も豊かになり、もうすぐ曾孫も生まれる」の意味。完璧にスカッとはいかないがどうだろうかな?
全文新訳試案
「カミウタ カミはゆく フシヤはとまひ かヒコなる マスミのかかみ オモかはりてや あ」
「御神歌 主は逝く 伏屋は富まひ か曾孫なる 真澄鏡 面変はりてや 嗚呼」
(この社の神に捧げる歌
「歳の離れた夫が逝き ふりかえれば
夫とともに暮らしたみすぼらしかった我が家は今では豊かになっており
あそこにいる我が孫にもうすぐ曾孫も生まれる
鏡をみれば自分の顔も歳とともに変わってしまったものだなぁ」
あーあ[こんな歌を詠んでしまったよ、という詠嘆w])
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【告知文】05/31(日)春の遠足3・飯島愛追悼企画「ウチくる!?」形式で弁天様に捧げる幻の漫画「飯島愛私の初体験」と神代文字の石碑より転載
飯島愛がレギュラー出演していた懐かしの番組「ウチくる!?」と同じ形式で、Fridaさんの住む町をFridaさん自身が案内してくれる遠足です。下記のプログラムの合間ごとにFridaさんによるいろいろな面白い地元案内がアドリブで入ります。
1)柴又寅さん記念館
柴又駅の駅前にあります。ここで見学しながら、のんびり合流。(参加者が集まるのを待ちながら見学)
朝9時の開館から遅くても12時までにお入り下さい。
2)12時半、軽くお昼をとります。近くに「biscuit」と言う美味しいケーキ屋さんもあり。水元公園での飲み食いがメインなのでここは食べ過ぎないように。
2)午後1時、レンタサイクル。以降のコースは自転車で。
http://www.eco3196.com/rental_tokyo00004.html
3)三社めぐり
・金町の葛西神社→半田稲荷神社→東水元の香取神社
祭り囃子発祥の地とされる由緒ある古社で今も盛んに信仰されている芸能の神様弁天様に、飯島愛の冥福をあらためてお祈りします。江戸時代以来疫病封じで名高い神社には、インフルエンザの危ない時期だからこそ念入りにお参り。境内の碑文は1877年に来日した考古学者ケンペルマンによってドイツの雑誌に紹介され阿比留草文字で「カミウタ カミハユク トシキハトマネ カネコナル マスミノカカミ オモカハリテヤ ア」とありましたが残念ながら十年以上前に破壊されて今はありません。古図録のコピーを配布して昔を偲ぶよすがとする予定。香取神社に着くまでに、いろいろ食べ物買いながら行きます。
4)水元公園
素晴らしい公園でゆっくり散策したり飲み食いしながら飯島愛の思い出を談ります。美味しいケーキ屋さんやアイスクリーム屋さんもあり。話のタネに、現在入手不可能な幻の漫画「飯島愛 私の初体験」を参加者全員に配布。死の真相や業界裏話などはかなり深く調査済みなので、話の流れ次第ではそういう話題も出るでしょうが、あくまで故人を悼み、その功績に感謝を捧げ、冥福を祈るのが主旨です。
2009/05/27
2007/08/10
おまけ企画03「古事記を読む会3」07/06/30【告知&レポ】
【告知文】
6月30日(土)「天照大神の研究」&「古事記を読む会3」のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 6月13日(水)03時49分5秒
当会の七月のお知らせの中にある、6月30日(土)の企画内容です。
おまけ企画「天照大神の研究」&「古事記を読む会」
内容■6月30日(土)は、7月7日(土)の伊勢神宮報告会での正統派の学習会とは対称的に、「裏の」天照大神を特集。詳細な内容は未定ですが、
1)海外の太陽神信仰との比較研究、
2)古神道(秘教霊学)諸派での天照大神についての諸説紹介、
3)天体つながりで「月夜見命」の大研究、
4)偽史(超古代文書)における天照大神についての解説など
(あくまで予定。実際と異なる場合があります)。
時間があまったら、いつもの古事記の購読・解説の続きを(内容などは前回のレポを参照)。
日時■2667年06月30日(土)集合:午後1時30分/終了:遅くても午後4時前後(±30分くらい)
場所■JR西日暮里駅を出て西側の交番前で集合。集合後、近所のルノアール2号店に移動
(混んでたら別の店にいきます)
※お店のお茶代以外の参加費などは無料です。
※このイベントは下記↓の07月07日(土)開催のイベント「伊勢神宮と天照大神を語るオフ」のオプションイベントですが、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)http://mixi.jp/view_event.pl?id=19324482&comm_id=334458
(2chでの告知)http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/476
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(※この企画はお蔭様をもちまして無事に終了しました。7月1日記)
http://nihon.lar.jp/kojiki01.html
【レポ文】
「伊勢神宮と天照大神を語るオフ」
[オプション企画・天照大神の裏研究&古事記を読む会/6月30日(土)]
(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)
今回は7月7日(土)の本イベントにのぞむにあたり、6月30日(土)にオプション企画を設け、予習として天照大神について研究などをおこないました(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)。
幅広く諸説をまとめた詳細な特製レジュメが配布され、インカ帝国や古代エジプトなども含めた古今東西の太陽信仰についての比較研究から、太陽神のもつ世界共通の要素を抽出する過程で、ユーラシアにもっとも広範なモデルとして、アーリア系の太陽神ミトラが典型的にみえること、太陽信仰のもつ父性的軍事的な意味と母性的豊穣生産の力の両面、それらの交わりとしての王権=国家の神としての側面について分析、その世界的な比較神話学から日本の記紀にみえる天照大神への信仰や世界観がどういう構造に理解されるのか、そしてそれらが近代にナチスドイツや戦前の日本の戦前の思想とどのようにつながっていたのかを解説。
また川面凡児・友清歓真・荒深道斉・田中治吾平といった神道霊学の諸派における天照大神についての理論を紹介。
また天体つながりで月夜見命に関する諸学説を集大成して解説した上、人間の潜在意識と月の関係を表わす絵図解で心理分析的な話をオマケ的にしました。
最後に、竹内文献・九鬼文書・富士古文書・ホツマツタエなどの所謂超古代文献の語る天照大神についての概略を話しました。
後半は、前回の「古事記を読む会」の続きとして、高天原における須佐之男命の犯した罪穢・天照大神の「天の岩戸」隠れと岩戸開きの神話を読みました。この部分は祓の神事にかかわる重要な部分であり、解説のしがいのあるところです。
6月30日(土)「天照大神の研究」&「古事記を読む会3」のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 6月13日(水)03時49分5秒
当会の七月のお知らせの中にある、6月30日(土)の企画内容です。
おまけ企画「天照大神の研究」&「古事記を読む会」
内容■6月30日(土)は、7月7日(土)の伊勢神宮報告会での正統派の学習会とは対称的に、「裏の」天照大神を特集。詳細な内容は未定ですが、
1)海外の太陽神信仰との比較研究、
2)古神道(秘教霊学)諸派での天照大神についての諸説紹介、
3)天体つながりで「月夜見命」の大研究、
4)偽史(超古代文書)における天照大神についての解説など
(あくまで予定。実際と異なる場合があります)。
時間があまったら、いつもの古事記の購読・解説の続きを(内容などは前回のレポを参照)。
日時■2667年06月30日(土)集合:午後1時30分/終了:遅くても午後4時前後(±30分くらい)
場所■JR西日暮里駅を出て西側の交番前で集合。集合後、近所のルノアール2号店に移動
(混んでたら別の店にいきます)
※お店のお茶代以外の参加費などは無料です。
※このイベントは下記↓の07月07日(土)開催のイベント「伊勢神宮と天照大神を語るオフ」のオプションイベントですが、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)http://mixi.jp/view_event.pl?id=19324482&comm_id=334458
(2chでの告知)http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/476
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(※この企画はお蔭様をもちまして無事に終了しました。7月1日記)
http://nihon.lar.jp/kojiki01.html
【レポ文】
「伊勢神宮と天照大神を語るオフ」
[オプション企画・天照大神の裏研究&古事記を読む会/6月30日(土)]
(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)
今回は7月7日(土)の本イベントにのぞむにあたり、6月30日(土)にオプション企画を設け、予習として天照大神について研究などをおこないました(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)。
幅広く諸説をまとめた詳細な特製レジュメが配布され、インカ帝国や古代エジプトなども含めた古今東西の太陽信仰についての比較研究から、太陽神のもつ世界共通の要素を抽出する過程で、ユーラシアにもっとも広範なモデルとして、アーリア系の太陽神ミトラが典型的にみえること、太陽信仰のもつ父性的軍事的な意味と母性的豊穣生産の力の両面、それらの交わりとしての王権=国家の神としての側面について分析、その世界的な比較神話学から日本の記紀にみえる天照大神への信仰や世界観がどういう構造に理解されるのか、そしてそれらが近代にナチスドイツや戦前の日本の戦前の思想とどのようにつながっていたのかを解説。
また川面凡児・友清歓真・荒深道斉・田中治吾平といった神道霊学の諸派における天照大神についての理論を紹介。
また天体つながりで月夜見命に関する諸学説を集大成して解説した上、人間の潜在意識と月の関係を表わす絵図解で心理分析的な話をオマケ的にしました。
最後に、竹内文献・九鬼文書・富士古文書・ホツマツタエなどの所謂超古代文献の語る天照大神についての概略を話しました。
後半は、前回の「古事記を読む会」の続きとして、高天原における須佐之男命の犯した罪穢・天照大神の「天の岩戸」隠れと岩戸開きの神話を読みました。この部分は祓の神事にかかわる重要な部分であり、解説のしがいのあるところです。
2007/07/20
『昭和の日』制定と昭和天皇 第十二回07/05/03【告知&レポ】
【告知文】
05/03【都内】「皇室と日本を考える」
◎五月のテーマ「『昭和の日』制定と昭和天皇」
今年はみどりの日がついに「昭和の日」と改まった最初の年。これを記念
して5月は特別企画として、昭和天皇の帝徳を偲び、多摩御陵参拝と、
昭和天皇記念館の見学を催します。見学後は昭和記念公園を散策しながら
青空の下で昭和天皇の御事績を語り合い昭和史を振り返ってみましょう。
日時&場所■平成19年05月03日(木)
第一部[多摩御陵参拝]:午前11時、JR高尾駅北口改札でたところ集合。目印にミニ日の丸(手旗)もってる人がいます。
第二部[昭和天皇記念館見学]:午後2時、記念館前ロビーで集合。JR立川駅徒歩13分。http://www.f-showa.or.jp/2_jigyo/accessmap.html
★イベントの詳細な案内はこちらでご確認ください→ http://nihon.lar.jp/
・オプションイベント(自由選択参加)
05/04午後1時半、池袋にて。詳細は、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)
主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加登録:info@nihon.lar.jp)(※このメアドは現在停止)
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50
【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第12回学習会報告
日時:2007年5月3日
会場:八王子 多磨御陵 立川市昭和記念公園
テーマ『昭和の日制定記念/昭和を振り返る』
[参加者数]
第一部の御陵参拝・第二部の記念館見学・翌日のオプション企画、それぞれ参加者は毎回八名づつ。
全部に参加した人は五名。第一部と第二部の両方の参加者は二名。第一部・第二部のどちらのみの参加者は各一名づつ。オプション企画のみの参加者は三名。重複さしひくと全部で十二名の参加でした。
この中には、久しぶりに北海道からかけつけてくださった方もいらっしゃいました。その他に初参加の方は三名(飛び入り一名含む)でした。
★今回のレポは、これから御陵参拝や記念館見学にゆかれる方々へのルートガイドも兼ねています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■[第一部・多摩御陵地参拝]
JR高尾駅までは大雑把に東京から1時間半弱、新宿から1時間弱。当日は11時に高尾集合でした。高尾駅から多摩御陵まではバスがあるが途中までしか行かず待ち時間も入れると時間短縮にはならないので今回の企画では全行程徒歩にしました。経路は正規ルート「けやきの道」の他に近道が二つあり、一つは「川のせせらぎの道」、もう一つは「四季おりおりの木々の緑の道」。近道といっても10分くらいしか短縮されないのと、遅れた人の合流を考え、往路は「けやきの道」を選びました。この正規ルートだとスタスタ歩きでも参道入り口まで12、3分。(やはり徒歩30分程度のところにもしろいろ史跡があるようで、別の機会には一日かけてこの一帯をみた方がおトクかもしれないです)。そこから御陵域の入り口までまた坂道を12、3分。(この間、もし桜の季節ならば都営南陵公園の広大な桜がみごとで、お花見気分も楽しむこともできるところ。都心の桜より色が薄く、明るいところではなんともいえない清らかな桜です。今回は季節的にむりでしたが)。
今回の謹製レジュメとして昭和天皇の御製集が配布され、それを拝読しつつ昭和天皇の遺徳を偲び、あるいは語らいながら、御陵の前に到着しました。
陵域に入って数分歩くと、武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)が。香淳皇后の御陵は、下方部分が美しい茶色の石で、上品かつ女性らしい印象。昭和天皇香淳皇后の両陵は、畝傍山東北陵(神武天皇)とも伏見桃山陵(明治天皇)とも異なり墳丘の全体像がみえるので、いかにも「お墓参りしている感」があり、なんともいえない親近感、開放的な広がり感や爽やかな印象がある所も、奈良・京都の皇陵とやや異質な印象かなと思います。柏手の音もさわやかに、心ゆくまで拝礼。
さらに数分歩くと多摩陵(大正天皇)と多摩東陵(貞明皇后)が。大正天皇の方が周辺の木々が伸びてやや神秘的。また上円部が上の方に高く伸び、威圧的な堂々としたものでイメージが他の三陵とかなり違いました(四つともすべて上円下方墳)。大正天皇陵には高い石段があり、貞明皇后陵の方も段が高くなっており、どっちも近くに寄るとみえなくなってしまうので拝む時の立ち位置の距離の取り方が難しい感じがしました。大正天皇貞明皇后の両陵は、一転して奈良の神武天皇陵、京都の明治天皇陵に雰囲気がいくらか近いかも知れません。柏手の音も高らかに、神妙に拝礼。
景色といい、天気がよくて最高でした!(当日の5/3は例年の晴天特異日です)。晴天に恵まれたり、大御歌にふれたりもしつつの参拝だったせいもありますが、大和魂をもたるる方ならば、大正天皇や昭和天皇との魂の交感を存分に楽しむことができる聖地であると確信いたします。都内で忙しない生活に追われているとなかなか御陵まで足を運ぼうという気にはなりませんが、ぜひ一度おすすめしたいです。
神武天皇陵も明治天皇陵も、まがりなりにも街中にあるのに対し、この多摩御陵地はいかにもな山奥にあるイメージなので、神武・明治両帝よりもはるかに広大な御陵という印象で、ややアンバランスな印象を受けるかも知れません(実際の面積はむしろ多摩御陵地の方が狭いかも知れないけど)。
御陵の境内はほどよく参拝客で賑わっていました。管理事務所で「印」を貰った人もしました。関西の管理事務所では、御陵のパンフ等なんにでも御印を自由に押させてくれますが、ここは関西とは異なりかなり役人体質で、神社などの御印を集める専用の御印帳以外には拒否されました(しかも参拝者が自分で押すのでなく、役人に押してもらうシステム)。
四陵参拝して入り口に戻るまでにまた数分はかかり、気候のせいもありますがかなり薄着をしてきてもすぐ暑くなります。遅れてきた人の合流を気にかけつつの、かなりのんびりした漫遊でしたので、歩き通しではありましたが、体力の自信のない人や肥満気味の人が同行していても楽だったと思います。
高尾駅に戻ってからは近くで名物のとろろ蕎麦を喰いつつ楽しく雑談がてら一休み。
中央線で立川へと移動。高尾駅と立川駅の間は片道約20分。
■[第二部・昭和天皇記念館見学]
立川駅と新宿駅の間は4、50分くらい。立川駅と東京駅の間は50分〜1時間くらい(特別快速だとさらに10分短縮) 。昭和天皇記念館と立川駅の改札との間は徒歩12、3分。昭和天皇記念館は、広大なる昭和記念公園の一角にありますが、昭和公園は「有料区」と「無料区」とがあり、記念館は「無料区域」の側にあります。なので、公園料金は不要で入館料500円だけで済みます(ただし開園日時は有料区と同じ)。
(ちなみに昭和記念公園ですが、有料区は400円。中にもいろいろあり。子供向けの半端な遊園地色もありますが、広大さのためかおおむね自然そのままの印象も。別の機会にどうせ来るなら朝から一日かけてのんびり散策しないと損かも知れません。園内レンタサイクルもあり)。
さて、昭和天皇記念館は、昭和公園の無料区の中の建物の中にあります。この建物の屋上は「空中庭園」になっており、ややモダンアートがかった感じがします。
昭和記念館の中のスペースはそんなに広くはなく、館外のロビーまで展示物がハミ出してます(つまり一部は無料でみれる)。
中は、昭和天皇の出生から崩御までの一代記、まつわる品々。漆塗りの赤ベンツ、お召し列車、全国行幸の記録、詔勅の原稿の本物そっくりな複製、9分間のビデオ上映。その他いろいろ。
われわれ一行は日の丸の小旗をもっていたので、職員の方からにこやかに話しかけられたりして愉快でした。
以前にはこの館でも「人間宣言」として展示されていた昭和21年年頭の詔書も現在ではちゃんと「新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)」と書き改められており、関係者各位の努力に敬意を表したいと思います。
ビデオ上映はこの記念館の名物で、昭和という激動の時代を多くの映像で振り返り、涙あり笑いあり悲哀あり感動ありの充実した内容で、昭和天皇が戦後を作ったといっても過言ではない偉大な功績に感激しない人はいないでしょう。
館内展示の最後は生物学者としての昭和天皇という重要な側面を詳細にフォローした展示になっているのも素晴らしいものです。総じて見学にはいい場所で、連休のせいか見学客もかなり賑わっていました。
見学を終えてからは、館外ロビーにて懐かしの昭和時代をふりかえる各種展示系イベントもやっており、これらも存分に楽しめました。
午後5時、記念館と立川駅の間にある「バーミヤン」で会食。歩き通しで疲れた割りには、初めて顔を合わせた方も交え、御陵参拝と記念館の連続で気分が高揚していたのか、夜遅くまで盛り上がって実に楽しい交流会となりました。
ミクシィにFridaさんと鹿九郎さんによるレポがあります↓
http://mixi.jp/view_event.pl?id=17669638&comm_id=334458
05/03【都内】「皇室と日本を考える」
◎五月のテーマ「『昭和の日』制定と昭和天皇」
今年はみどりの日がついに「昭和の日」と改まった最初の年。これを記念
して5月は特別企画として、昭和天皇の帝徳を偲び、多摩御陵参拝と、
昭和天皇記念館の見学を催します。見学後は昭和記念公園を散策しながら
青空の下で昭和天皇の御事績を語り合い昭和史を振り返ってみましょう。
日時&場所■平成19年05月03日(木)
第一部[多摩御陵参拝]:午前11時、JR高尾駅北口改札でたところ集合。目印にミニ日の丸(手旗)もってる人がいます。
第二部[昭和天皇記念館見学]:午後2時、記念館前ロビーで集合。JR立川駅徒歩13分。http://www.f-showa.or.jp/2_jigyo/accessmap.html
★イベントの詳細な案内はこちらでご確認ください→ http://nihon.lar.jp/
・オプションイベント(自由選択参加)
05/04午後1時半、池袋にて。詳細は、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)
主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加登録:info@nihon.lar.jp)(※このメアドは現在停止)
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50
【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第12回学習会報告
日時:2007年5月3日
会場:八王子 多磨御陵 立川市昭和記念公園
テーマ『昭和の日制定記念/昭和を振り返る』
[参加者数]
第一部の御陵参拝・第二部の記念館見学・翌日のオプション企画、それぞれ参加者は毎回八名づつ。
全部に参加した人は五名。第一部と第二部の両方の参加者は二名。第一部・第二部のどちらのみの参加者は各一名づつ。オプション企画のみの参加者は三名。重複さしひくと全部で十二名の参加でした。
この中には、久しぶりに北海道からかけつけてくださった方もいらっしゃいました。その他に初参加の方は三名(飛び入り一名含む)でした。
★今回のレポは、これから御陵参拝や記念館見学にゆかれる方々へのルートガイドも兼ねています。
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■[第一部・多摩御陵地参拝]
JR高尾駅までは大雑把に東京から1時間半弱、新宿から1時間弱。当日は11時に高尾集合でした。高尾駅から多摩御陵まではバスがあるが途中までしか行かず待ち時間も入れると時間短縮にはならないので今回の企画では全行程徒歩にしました。経路は正規ルート「けやきの道」の他に近道が二つあり、一つは「川のせせらぎの道」、もう一つは「四季おりおりの木々の緑の道」。近道といっても10分くらいしか短縮されないのと、遅れた人の合流を考え、往路は「けやきの道」を選びました。この正規ルートだとスタスタ歩きでも参道入り口まで12、3分。(やはり徒歩30分程度のところにもしろいろ史跡があるようで、別の機会には一日かけてこの一帯をみた方がおトクかもしれないです)。そこから御陵域の入り口までまた坂道を12、3分。(この間、もし桜の季節ならば都営南陵公園の広大な桜がみごとで、お花見気分も楽しむこともできるところ。都心の桜より色が薄く、明るいところではなんともいえない清らかな桜です。今回は季節的にむりでしたが)。
今回の謹製レジュメとして昭和天皇の御製集が配布され、それを拝読しつつ昭和天皇の遺徳を偲び、あるいは語らいながら、御陵の前に到着しました。
陵域に入って数分歩くと、武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)が。香淳皇后の御陵は、下方部分が美しい茶色の石で、上品かつ女性らしい印象。昭和天皇香淳皇后の両陵は、畝傍山東北陵(神武天皇)とも伏見桃山陵(明治天皇)とも異なり墳丘の全体像がみえるので、いかにも「お墓参りしている感」があり、なんともいえない親近感、開放的な広がり感や爽やかな印象がある所も、奈良・京都の皇陵とやや異質な印象かなと思います。柏手の音もさわやかに、心ゆくまで拝礼。
さらに数分歩くと多摩陵(大正天皇)と多摩東陵(貞明皇后)が。大正天皇の方が周辺の木々が伸びてやや神秘的。また上円部が上の方に高く伸び、威圧的な堂々としたものでイメージが他の三陵とかなり違いました(四つともすべて上円下方墳)。大正天皇陵には高い石段があり、貞明皇后陵の方も段が高くなっており、どっちも近くに寄るとみえなくなってしまうので拝む時の立ち位置の距離の取り方が難しい感じがしました。大正天皇貞明皇后の両陵は、一転して奈良の神武天皇陵、京都の明治天皇陵に雰囲気がいくらか近いかも知れません。柏手の音も高らかに、神妙に拝礼。
景色といい、天気がよくて最高でした!(当日の5/3は例年の晴天特異日です)。晴天に恵まれたり、大御歌にふれたりもしつつの参拝だったせいもありますが、大和魂をもたるる方ならば、大正天皇や昭和天皇との魂の交感を存分に楽しむことができる聖地であると確信いたします。都内で忙しない生活に追われているとなかなか御陵まで足を運ぼうという気にはなりませんが、ぜひ一度おすすめしたいです。
神武天皇陵も明治天皇陵も、まがりなりにも街中にあるのに対し、この多摩御陵地はいかにもな山奥にあるイメージなので、神武・明治両帝よりもはるかに広大な御陵という印象で、ややアンバランスな印象を受けるかも知れません(実際の面積はむしろ多摩御陵地の方が狭いかも知れないけど)。
御陵の境内はほどよく参拝客で賑わっていました。管理事務所で「印」を貰った人もしました。関西の管理事務所では、御陵のパンフ等なんにでも御印を自由に押させてくれますが、ここは関西とは異なりかなり役人体質で、神社などの御印を集める専用の御印帳以外には拒否されました(しかも参拝者が自分で押すのでなく、役人に押してもらうシステム)。
四陵参拝して入り口に戻るまでにまた数分はかかり、気候のせいもありますがかなり薄着をしてきてもすぐ暑くなります。遅れてきた人の合流を気にかけつつの、かなりのんびりした漫遊でしたので、歩き通しではありましたが、体力の自信のない人や肥満気味の人が同行していても楽だったと思います。
高尾駅に戻ってからは近くで名物のとろろ蕎麦を喰いつつ楽しく雑談がてら一休み。
中央線で立川へと移動。高尾駅と立川駅の間は片道約20分。
■[第二部・昭和天皇記念館見学]
立川駅と新宿駅の間は4、50分くらい。立川駅と東京駅の間は50分〜1時間くらい(特別快速だとさらに10分短縮) 。昭和天皇記念館と立川駅の改札との間は徒歩12、3分。昭和天皇記念館は、広大なる昭和記念公園の一角にありますが、昭和公園は「有料区」と「無料区」とがあり、記念館は「無料区域」の側にあります。なので、公園料金は不要で入館料500円だけで済みます(ただし開園日時は有料区と同じ)。
(ちなみに昭和記念公園ですが、有料区は400円。中にもいろいろあり。子供向けの半端な遊園地色もありますが、広大さのためかおおむね自然そのままの印象も。別の機会にどうせ来るなら朝から一日かけてのんびり散策しないと損かも知れません。園内レンタサイクルもあり)。
さて、昭和天皇記念館は、昭和公園の無料区の中の建物の中にあります。この建物の屋上は「空中庭園」になっており、ややモダンアートがかった感じがします。
昭和記念館の中のスペースはそんなに広くはなく、館外のロビーまで展示物がハミ出してます(つまり一部は無料でみれる)。
中は、昭和天皇の出生から崩御までの一代記、まつわる品々。漆塗りの赤ベンツ、お召し列車、全国行幸の記録、詔勅の原稿の本物そっくりな複製、9分間のビデオ上映。その他いろいろ。
われわれ一行は日の丸の小旗をもっていたので、職員の方からにこやかに話しかけられたりして愉快でした。
以前にはこの館でも「人間宣言」として展示されていた昭和21年年頭の詔書も現在ではちゃんと「新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)」と書き改められており、関係者各位の努力に敬意を表したいと思います。
ビデオ上映はこの記念館の名物で、昭和という激動の時代を多くの映像で振り返り、涙あり笑いあり悲哀あり感動ありの充実した内容で、昭和天皇が戦後を作ったといっても過言ではない偉大な功績に感激しない人はいないでしょう。
館内展示の最後は生物学者としての昭和天皇という重要な側面を詳細にフォローした展示になっているのも素晴らしいものです。総じて見学にはいい場所で、連休のせいか見学客もかなり賑わっていました。
見学を終えてからは、館外ロビーにて懐かしの昭和時代をふりかえる各種展示系イベントもやっており、これらも存分に楽しめました。
午後5時、記念館と立川駅の間にある「バーミヤン」で会食。歩き通しで疲れた割りには、初めて顔を合わせた方も交え、御陵参拝と記念館の連続で気分が高揚していたのか、夜遅くまで盛り上がって実に楽しい交流会となりました。
ミクシィにFridaさんと鹿九郎さんによるレポがあります↓
http://mixi.jp/view_event.pl?id=17669638&comm_id=334458
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