(各項の詳細はそれぞれのリンク先を参照)
八月期(08/18-09/13)
08/22(土)アニメ特撮文化史から考察する戦後史の正体[サブカル論1]〜横浜開港150年便乗企画・サブカルでみたモダニズムの読み直しから横浜市長がヤクザに命を狙われている件まで〜○
08/23(日)麻布十番納涼まつり△(※15:00〜、各自連絡とりつつ好きな時間に三々五々合流。大混雑を避けるため17:00には移動、ただの飲み会に移行)
08/24(月)『日本の教育が危ない!』緊急國民集会〜あなたは日教組教育を選びますか?〜◎
08/26(水)サブカルチャーとしての憑依型新宗教から日本的霊性を考察する[サブカル論2]〜アニメ特撮史における文化の切断面から幸福実現党がCIAから金をもらっている件まで〜◇
08/27(木)赤塚不二夫追悼展△(※銀座松屋。15時半、現地集合。イベント自体は8/26から9/7まで開催中)
08/29(土)
昼・「伊勢神宮と神々の美術」見学会△(※13時、上野駅公園口で集合。無料券10枚あり。イベント自体は9/6まで開催)
夜・池袋駅麻生応援&党首対決ヲチ&飲み会オフ(※19時半)
08/30(日)選挙オフ(開催場所が2ヶ所にわかれております。どっちも夕方より)
A会場:緊急Teach-in「高級美味枝豆と豪華アワビで開票を眺める夕べ」in赤羽橋(※すでに定員満杯に近づいているのと保守派への辛辣な暴言が出まくる予定なので右寄りの方はB会場がお勧めです。定員に達した場合は参加不可)
B会場:「インターナショナル進歩政治青年研究会」in西池袋の西形ビル(※左巻きの狂宴。うちの開催実行委員長によればうちのMLに入っている方は行ってもいいみたいです。レベルの高い(?)社会主義者の集まりなので憂さ晴らしに乱入でもして実りある論争を繰り広げて下さい。詳しくは「孤高の相場師」まで)
09/06(日)秋の遠足1「稲荷山古墳見学会」〜左翼学説を斬り伏せた金文字の剣と"田中卓の闇"〜
09/12(土)甲子雅代のイスラム講話○(※16時〜18時「かながわ労働プラザ」石川町駅3分)(※講師病欠により急遽代講「選挙後の日本を占う」に変更されました)
九月期(09/14-09/27)
09/16(水)古事記に親しむ会△(※19:00?20:30、浅草橋区民館。参加申し込み締切期限日は9/14。問い合わせ先&申し込み先03-3866-4387佐久間)
09/17(木)「グリム童話集原画展」観賞(※16:00~、教文館6F。イベント自体は9/30まで開催中)
09/18(金)皇室と日本を考えるリニューアルスタート記念飲み会オクトーバーフェスト秋の収穫祭2009(※17時?22時、日比谷公園噴水広場)
09/19(土)宮中歌会始(お題:光)に向けて和歌を詠む会(※13時、明治神宮で待ち合わせ。ほか詳細はリンク先のmixi)
09/20(日)サンマ祭1・目黒SUNまつり△
09/26(土)チベット・ウイグル・モンゴル三民族連帯集会&デモ△(※当ブログ管理人の参加は遅れて後半のみ参加)
09/27(日)サンマ祭2・東京タワーさんままつり△
十月期(09/28-10/24)
09/28(月)トークライブ 「ああ言えば、こうゆう」△
10/04(日)秋の遠足2・仏教カルト研究シリーズ第1弾・江ノ島龍口寺と片瀬諏訪神社を訪ねて〜仏教カルト(偽経法華経と狂僧日蓮)の研究~
10/12(祝)講座「映像で見る近代皇族の暮らし」・展示「近代皇族の記憶」△
10/17(土)
秩父・神道国際学会「神道の立場から世界の環境を問う」△(※事前に申し込み必要、10/5締切。参加費は無料)
池尻・日本の誇りセミナー「佐藤一斎 武士を育てた心の学問」△(18:30~@世田谷区池尻地区会館、参加費2000円)
10/18(日)突発温泉オフ(@さやの湯処)
10/20(火)※講演「女王卑弥呼の国を探る3−纒向の出現と倭国連合の成立」(10/31開催)への申し込み締切期限日
十一月期(10/25-11/17)
10/25(日)天皇陛下御即位二十年奉祝神奈川県民の集い(さだまさし記念ライブ)△(※無料、ただし要整理券。当会スタッフが整理券を確保してるので同行者は整理券不要ですが、ご自分で整理券を入手する際は神奈川県神社庁TEL:045-761-6387まで。※12時開場13時開始@パシフィコ横浜国立大ホール )
10/27(火)中近東・アフリカ諸国大使館出展バザー△
10/28(水)《むらさぎ特別講義》神道以前の神道と原初の神秘◇
10/31(土)(※どちらでも関心のある方にご参加ください)
大手町・女王卑弥呼の国を探る3−「纒向」の出現と倭国連合の成立△(※事前に申し込み必要、10/20締切)
品川・天皇・皇后両陛下奉迎△(※朝10時集合・東京海洋大学品川キャンパス正門前)
11/01(日)神保町ブックフェスティバル
11/07(土)素読の会
11/12(木)天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典△
11/14(土)ほうれん草ともやしと豚肉の鍋でオフ会(※詳細は直接にお問い合わせ下さい)
十二月期(11/18-12/17)
11/21(土)正三位中川(酒)閣下を偲びボジョレーヌーボーを安値で楽しむ会(※昼12時JR新宿駅西口集合。終了時間不定。途中合流可ですが三ヶ所ほど移動するのでその時の場所は携帯で確認して下さい)
11/22(日)世界史のなかの江戸文明~"日本の自画像"再構築に向けて(第3回日本文明論シンポジウム)△(13:00open13:30-17:00@帝京平成大学沖永記念ホール、コーディネーター:伊藤隆 ※参加費:2000円、要申込→FAX:03-3835-2436、他メールや葉書でも申込可、詳細はリンク先)
11/25(水)知られざる出雲の古代霊性◇
11/29(日)関曠野講演・ベーシックインカム論△(※事前申し込み必要)
12/05(土)素読の会
12/09(水)天皇陛下御即位20年奉祝式典・岡野弘彦講演「御製に示された伝統の格式」△(※16:10開会 國學院大學院友会館地下大ホール 無料)
12/13(日)「赤穂義士記念館」見学&日本人の正義観について語るオフ(※午後イチめどに三々五々現地集合。その後、品川神社参詣ほか品川の裏の顔を探検)
12/15(火)近平謁見反対緊急街宣行動△(※7:30〜8:30大手町経団連会館前・9:00〜12:30東京駅丸の内北口前日本生命丸の内ビル付近)
☆印は「皇統の未来を守るオフ」主催
◎印は「伝承文化研究所」主催
◇印は「古伝承研究会」「マズダヤスナの会」共催
△印は既存の一般公開イベントへの参加を部分的に組み込んだ企画
※平成21年度は12月17日までとします。
※これ以降の活動記録は ⇒こちら
※これ以前の活動記録は ⇒こちら
2009/08/26
2009/08/18
09/06(日)秋の遠足1「稲荷山古墳見学会」〜左翼学説を斬り伏せた金文字の剣と"田中卓の闇"〜9/4更新
【序】悠仁親王誕生と皇位継承問題
30年前の9月、日本の古代史が(というより学界が)激震に見舞われた世紀の大発見がありました。それにより左翼学説の権威が地に墜ち、この時から日本の保守回帰が静かに、しかし力強く始まったのです。みんな忘れてるけど(生まれてなかった人ももう多いだろうし)。あれは天佑であり神風でした。日本の保守系世論の復興なくして、70年代さながらの左翼的空気が国民感情を覆っていたならば、こんにち皇位継承問題における男系保持の世論がここまで力を持つことはありえたでしょうか。
くしくも当日の9月6日は、悠仁親王満3歳の誕生日でもあります。皇位継承問題=いわゆる男系女系論争では、「女系」派の巨頭である田中卓は、かつては稲荷山鉄剣に刻まれた最古の「男系」系図の解釈から記紀の古伝承の事実性を論証した人物でありました。
記紀を歪曲しようとする左翼学説との激闘史を学び、皇国史観=万世一系の正しさを知っている現代のウヨならば、歴史が武器として顕現したかのような奇跡の剣に刻まれた輝く金文字に、深い感動を禁じ得ないことでしょう。
【1】その歴史的背景
70年代までの日本は左翼全盛期だったが、平成時代以降は右傾化(正常化?)して現在に至っているのは周知の通り。(この認識の段階で話が噛み合ない人とは致命的に会話が成り立たない)。この変化はいうまでもなく突然移行したわけではなく、その両時代の間に、80年代の「価値相対」時代があった。80年代といえば、いろいろ否定的な評価をいくらでもいいたい人もいるだろうが、とりあえず絢爛たるサブカル文化の黄金時代であり、その圧倒的な豪奢な光を背負った若者たちが、空疎な説教をふりまき鬱陶しい抑圧を繰り返してきたおっさんたちの貧乏くさい左翼気分を嘲笑し去ったことは事実である。これは全共闘への皮肉として70年安保ならぬ80年安保とも言われた通り、世代間抗争であり復讐であった。80年代の価値相対時代なくして、平成の保守回帰はありえたであろうか。80年代といえば、いろいろ批判・非難をしたい人もいるだろうが、平成の右傾化を用意したのもまた紛れもなく80年代だったのである。
さてその80年代という一つの時代は、実は昭和53(1978)年から始まったというのが、以前からの私の説である。その年には、年表でみると、その時期に十代を過ごした者にとっては、単に懐かしいだけではなくサブカル全盛期の開始にふさわしい彩り豊かで華やかな思い出がならんでいるからだ。
その年はまた、日本古代史にとっても、大きな区切りの年だった。いうまでもなく「稲荷山鉄剣」の金象眼(金象嵌)の115文字の発見である。
それ以前、70年代までの日本の古代史学界は世間の左翼風潮のまま、古事記や日本書紀の古伝承を天皇家が自分らの権力を正当化するため好き勝手に捏造したものであり史料的な価値はないとして、記紀の諸系図に現われる殆どの人間を「伝承上の存在」「実在しない架空の人物」とみなし、天皇架空説・王朝交代説・征服王朝説など、万世一系を否定する妄説を、アカデミズムの権威の下で堂々と唱えてきた。
この115文字が出現のニュースは、毎日新聞が9月19日の夕刊で他社をだしぬいて大スクープをものにしてから、大手新聞社や大マスコミのことごとくが、あるいは一面トップ、あるいは見開き左右両面ぶちぬき、あるいはタイトル三段ぬきで後追いながらも連日の報道。解説やコメントに古代史学者が総動員されたが、何も知らない一般人は、ただ諸説入り乱れてるんだなぁぐらいの認識がせいぜいだったかも知れない。しかし、この発見は、古代史業界にとっては、大東亜戦争の敗戦による断絶よりも大きな、喩えていえば明治維新に匹敵するような大事件だった。ある程度の研究史を知り、学界の空気を知っていれば、名だたる大御所たちの頓珍漢なコメントやあわてふためいて自説崩壊を糊塗する醜態に苦笑せざるを得ないものだったし、左傾学説にうんざりしていた者にしてみれば、今でいう「ワクテカ」、「飯ウマ」状態だったことが忘れられない。
またこの期間、毎日新聞は『雄略天皇の名解読』、『わしは雄略帝の片腕だった』、『オホビコは四道将軍の「大彦命」崇神天皇が派遣』と、当時すでに皇學館教授だった田中卓の説を好意的に紹介した。また翌年、田中卓は一般人向けに『古代天皇の秘密』(太陽企画出版)を著わし、それまで(今でも?)定説とされる左傾的、反天皇的な諸学説を、一つ一つ丁寧に解きほぐしてみせたが、鉄面皮な団塊世代に対しては、今ひとつ手応えがなかったように当時は感じられたかも知れない。
学者たちは、しばらくは何も変わってないような、とりすました顔をしていたが、しかし今思えば、あの時、アカデミズムの権威は完全に失墜したのだと確信をもって断言できる。それまでは、学者様はえらいという思い込みがなんだかんだ言っても支配的であった。だが明らかに学界の空気は一変した。学界では、王朝交代説や征服王朝説は、学界では腫れ物にさわるように否定も肯定もしないで棚上げされるようになり、学者ではないライターの手になるマニア向けの通俗古代史本の中で、煽り文体ばかりが仰々しい古代史の「謎」としてしか読まれなくなった。鉄剣によって、80年代はアカデミズムの権威すらも相対化された時代なのである。
あれから十年、平成になって右傾化の時代とインターネットの時代が同時にきた。電脳空間でも古代史趣味の庶民のヨタ話は相変わらず花盛りであった。今でも2chやmixiでは、昔ながらの左傾史観に毒された古代史謎解きごっこが跡を絶たないが、それは通俗古代史本のライターが団塊世代だったこと、それら駄本がしばらくは(いや、今も)流通していたことで、下の世代も影響を受けたせいである。しかし、かつてと異なるのは、記紀の古伝承に準拠した古代史像を信奉する正しい国民意識をもった若者が、昔では考えられないほど増殖したことである。2chの最盛期、歴史板には学界の通説を左翼的歪曲としてこきおろしつつ完膚無きまでに論破する痛快な「名無し」が続出していた。彼らは名もなき顔の見えない同志だった。妙に学界の内部に通じていた者もいたので、もしかしたら、中には老害教授に抑圧され世を儚む万年講師やペーパードクターもいたのだろう。その頃には少なくともネット上では単なる左翼的反天皇学説ではなく、朝鮮民族史学(俗にいうウリナラ史観)にとってかわられていた。これは反日的な古代史学説(?)の新たなネタ元になり、「非学問的な意味」で、いまだ重大かつ微妙な局面にあり、解決の見通しが立っていないが、事の顛末など詳細は別の機会に譲る。
それからまた十年。平成10年代、皇位継承問題が勃発し、男系護持派と女系容認派の論争が、少なくとも保守派の内部では前者の勝利に落ち着くかとみえた平成18(2006)年2月16日発売の『諸君!』三月号で、久々に一般人の前に現われた田中卓は、女系容認論を展開した。かつての俊英とは殆ど別人のように稚拙なその議論は、明らかに男系派から不満と反発で迎えられ、それに対する再反論は今でもネット上で多く読むことができる。とはいえ、左翼全盛期の嵐の下、伊勢の皇學館で、ひたすら地道に研究を重ね、アンチ左翼・保守系の古代史学者としては最大の大物であるのみならず戦前からの伝統を引く皇國史観の守護者のように思われてきた田中卓の態度表明はそれなりに大きな衝撃を与え、男系論優位の流れに大いに水をさした。鳴りを潜めかけた高森明勅を調子付かせ、いつまでも態度を明確にせずはぐらかし続けていた小林よしのりが後に『天皇論』で女系派宣言をすることになる導火線ともなった。しかし、田中卓の女系容認論は、独自の新しい論点で女系論を一新させたわけでも強化したわけでもない。なにひとつも目新しいことをいっていない。すでに議論し尽くされたことを蒸し返しただけだった。この戦術は女系派に一般的にありがちな傾向で、小林よしのりも(無知を装ってか本当に勉強不足でか)『天皇論』でやっている。もし、田中卓が、老人性痴呆症でないのならば、これは「時間かせぎ」であって、「何か」を待っているのである、と推測するほかない。
【2】金文字が証した記紀の系譜
(この章は当日に口頭で解説・議論)
【3】田中卓の限界と問題点
もっとも当時から私は田中卓を全面的に信奉していたわけではない。(以下かきかけ)
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※このイベントの告知はこちら↓
http://nhlar.blogspot.com/2009/08/80818-0819.html
30年前の9月、日本の古代史が(というより学界が)激震に見舞われた世紀の大発見がありました。それにより左翼学説の権威が地に墜ち、この時から日本の保守回帰が静かに、しかし力強く始まったのです。みんな忘れてるけど(生まれてなかった人ももう多いだろうし)。あれは天佑であり神風でした。日本の保守系世論の復興なくして、70年代さながらの左翼的空気が国民感情を覆っていたならば、こんにち皇位継承問題における男系保持の世論がここまで力を持つことはありえたでしょうか。
くしくも当日の9月6日は、悠仁親王満3歳の誕生日でもあります。皇位継承問題=いわゆる男系女系論争では、「女系」派の巨頭である田中卓は、かつては稲荷山鉄剣に刻まれた最古の「男系」系図の解釈から記紀の古伝承の事実性を論証した人物でありました。
記紀を歪曲しようとする左翼学説との激闘史を学び、皇国史観=万世一系の正しさを知っている現代のウヨならば、歴史が武器として顕現したかのような奇跡の剣に刻まれた輝く金文字に、深い感動を禁じ得ないことでしょう。
【1】その歴史的背景
70年代までの日本は左翼全盛期だったが、平成時代以降は右傾化(正常化?)して現在に至っているのは周知の通り。(この認識の段階で話が噛み合ない人とは致命的に会話が成り立たない)。この変化はいうまでもなく突然移行したわけではなく、その両時代の間に、80年代の「価値相対」時代があった。80年代といえば、いろいろ否定的な評価をいくらでもいいたい人もいるだろうが、とりあえず絢爛たるサブカル文化の黄金時代であり、その圧倒的な豪奢な光を背負った若者たちが、空疎な説教をふりまき鬱陶しい抑圧を繰り返してきたおっさんたちの貧乏くさい左翼気分を嘲笑し去ったことは事実である。これは全共闘への皮肉として70年安保ならぬ80年安保とも言われた通り、世代間抗争であり復讐であった。80年代の価値相対時代なくして、平成の保守回帰はありえたであろうか。80年代といえば、いろいろ批判・非難をしたい人もいるだろうが、平成の右傾化を用意したのもまた紛れもなく80年代だったのである。
さてその80年代という一つの時代は、実は昭和53(1978)年から始まったというのが、以前からの私の説である。その年には、年表でみると、その時期に十代を過ごした者にとっては、単に懐かしいだけではなくサブカル全盛期の開始にふさわしい彩り豊かで華やかな思い出がならんでいるからだ。
その年はまた、日本古代史にとっても、大きな区切りの年だった。いうまでもなく「稲荷山鉄剣」の金象眼(金象嵌)の115文字の発見である。
それ以前、70年代までの日本の古代史学界は世間の左翼風潮のまま、古事記や日本書紀の古伝承を天皇家が自分らの権力を正当化するため好き勝手に捏造したものであり史料的な価値はないとして、記紀の諸系図に現われる殆どの人間を「伝承上の存在」「実在しない架空の人物」とみなし、天皇架空説・王朝交代説・征服王朝説など、万世一系を否定する妄説を、アカデミズムの権威の下で堂々と唱えてきた。
この115文字が出現のニュースは、毎日新聞が9月19日の夕刊で他社をだしぬいて大スクープをものにしてから、大手新聞社や大マスコミのことごとくが、あるいは一面トップ、あるいは見開き左右両面ぶちぬき、あるいはタイトル三段ぬきで後追いながらも連日の報道。解説やコメントに古代史学者が総動員されたが、何も知らない一般人は、ただ諸説入り乱れてるんだなぁぐらいの認識がせいぜいだったかも知れない。しかし、この発見は、古代史業界にとっては、大東亜戦争の敗戦による断絶よりも大きな、喩えていえば明治維新に匹敵するような大事件だった。ある程度の研究史を知り、学界の空気を知っていれば、名だたる大御所たちの頓珍漢なコメントやあわてふためいて自説崩壊を糊塗する醜態に苦笑せざるを得ないものだったし、左傾学説にうんざりしていた者にしてみれば、今でいう「ワクテカ」、「飯ウマ」状態だったことが忘れられない。
またこの期間、毎日新聞は『雄略天皇の名解読』、『わしは雄略帝の片腕だった』、『オホビコは四道将軍の「大彦命」崇神天皇が派遣』と、当時すでに皇學館教授だった田中卓の説を好意的に紹介した。また翌年、田中卓は一般人向けに『古代天皇の秘密』(太陽企画出版)を著わし、それまで(今でも?)定説とされる左傾的、反天皇的な諸学説を、一つ一つ丁寧に解きほぐしてみせたが、鉄面皮な団塊世代に対しては、今ひとつ手応えがなかったように当時は感じられたかも知れない。
学者たちは、しばらくは何も変わってないような、とりすました顔をしていたが、しかし今思えば、あの時、アカデミズムの権威は完全に失墜したのだと確信をもって断言できる。それまでは、学者様はえらいという思い込みがなんだかんだ言っても支配的であった。だが明らかに学界の空気は一変した。学界では、王朝交代説や征服王朝説は、学界では腫れ物にさわるように否定も肯定もしないで棚上げされるようになり、学者ではないライターの手になるマニア向けの通俗古代史本の中で、煽り文体ばかりが仰々しい古代史の「謎」としてしか読まれなくなった。鉄剣によって、80年代はアカデミズムの権威すらも相対化された時代なのである。
あれから十年、平成になって右傾化の時代とインターネットの時代が同時にきた。電脳空間でも古代史趣味の庶民のヨタ話は相変わらず花盛りであった。今でも2chやmixiでは、昔ながらの左傾史観に毒された古代史謎解きごっこが跡を絶たないが、それは通俗古代史本のライターが団塊世代だったこと、それら駄本がしばらくは(いや、今も)流通していたことで、下の世代も影響を受けたせいである。しかし、かつてと異なるのは、記紀の古伝承に準拠した古代史像を信奉する正しい国民意識をもった若者が、昔では考えられないほど増殖したことである。2chの最盛期、歴史板には学界の通説を左翼的歪曲としてこきおろしつつ完膚無きまでに論破する痛快な「名無し」が続出していた。彼らは名もなき顔の見えない同志だった。妙に学界の内部に通じていた者もいたので、もしかしたら、中には老害教授に抑圧され世を儚む万年講師やペーパードクターもいたのだろう。その頃には少なくともネット上では単なる左翼的反天皇学説ではなく、朝鮮民族史学(俗にいうウリナラ史観)にとってかわられていた。これは反日的な古代史学説(?)の新たなネタ元になり、「非学問的な意味」で、いまだ重大かつ微妙な局面にあり、解決の見通しが立っていないが、事の顛末など詳細は別の機会に譲る。
それからまた十年。平成10年代、皇位継承問題が勃発し、男系護持派と女系容認派の論争が、少なくとも保守派の内部では前者の勝利に落ち着くかとみえた平成18(2006)年2月16日発売の『諸君!』三月号で、久々に一般人の前に現われた田中卓は、女系容認論を展開した。かつての俊英とは殆ど別人のように稚拙なその議論は、明らかに男系派から不満と反発で迎えられ、それに対する再反論は今でもネット上で多く読むことができる。とはいえ、左翼全盛期の嵐の下、伊勢の皇學館で、ひたすら地道に研究を重ね、アンチ左翼・保守系の古代史学者としては最大の大物であるのみならず戦前からの伝統を引く皇國史観の守護者のように思われてきた田中卓の態度表明はそれなりに大きな衝撃を与え、男系論優位の流れに大いに水をさした。鳴りを潜めかけた高森明勅を調子付かせ、いつまでも態度を明確にせずはぐらかし続けていた小林よしのりが後に『天皇論』で女系派宣言をすることになる導火線ともなった。しかし、田中卓の女系容認論は、独自の新しい論点で女系論を一新させたわけでも強化したわけでもない。なにひとつも目新しいことをいっていない。すでに議論し尽くされたことを蒸し返しただけだった。この戦術は女系派に一般的にありがちな傾向で、小林よしのりも(無知を装ってか本当に勉強不足でか)『天皇論』でやっている。もし、田中卓が、老人性痴呆症でないのならば、これは「時間かせぎ」であって、「何か」を待っているのである、と推測するほかない。
【2】金文字が証した記紀の系譜
(この章は当日に口頭で解説・議論)
【3】田中卓の限界と問題点
もっとも当時から私は田中卓を全面的に信奉していたわけではない。(以下かきかけ)
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