2021/01/10

「皇室と日本を考える」のご紹介(01/30更新)

「皇室と日本を考える」は、オフ会として、自主講座(読書会や研究発表など)をやったり、展示会を見学にいったり、各種の催しに参加したり、遠足(神社めぐりとか)をしたり、飲んだり遊んだり、いろいろ楽しくやっている人たちの集まりです。

そもそもは小泉政権末期の皇室典範改正・皇位継承問題を端として、H18年(2006)に始まった保守系・右翼市民による自主講座であり、男系護持をめざす文化運動でした。その後、悠仁親王がお生まれになったことにより、皇室に関わる政治的な動きが後退してからは、とくに政治的な立場にはこだわらず、必ずしも保守派・右翼というわけではない一風かわった人たちの集まりとなりました。それとともに研究のテーマも「皇室と日本」だけでなく、「王権と文明」といった感じのものが多くなってゆきました。また明治の近代化を見直す趣旨で、「佐幕」をテーマとして取り組んだ時期もあります。現在の月例会では「論語」と「平家物語」を継続的に扱いつつ、「国民国家」や「資本主義」といった問題についても議論を深めております。

当初から現在に至るまで、特定の団体や組織には縛られず、スタッフから一般参加者までの皆が、あくまで各自の自由意志による参加であることに一貫して基礎をおいています。従って特定の政治団体や宗教団体などとの関係は一切ありません。

「皇室と日本を考える」(第六期)は、H28(2016)/6/10(金)の「皇室と日本を考える」創立十周年記念日に三代目代表にディオが就任してより開始、継続中です。

■現在の人事■
世界代表…………………… ディオ
日本支部長…………… 菊池 俊(★しゅん♪)
最高顧問(初代代表)…… たかし
顧問…………………… 孤高の相場師
スタッフメンバー(前代表)…… しか
スタッフメンバー……………… むら
スタッフメンバー…………… ××××(隠密)

【注意】このブログはオピニオンと活動報告のページです。
最新のお知らせは皇室と日本を考える(第1ブログ)をご覧ください。
----
当会の歴史(過去の活動)についてはこちらをご覧ください
 →「皇室と日本を考える」10年のあゆみ

2021/01/01

令和三年年頭所感(日本支部長)

 「皇室と日本を考える」のみなさま

あけましておめでとうございます。菊池 俊です。

中国の武漢を起源としたコロナウイルスにより、昨年は全てのことが翻弄された一年でありました。

立皇嗣の礼の延期や一般参賀の中止など、皇室にも多大な影響を与え、また東京五輪が実質、中止に追い込まれ、生活スタイルも急変し、私たちの経済活動においては国難とも言える状況に陥っております。

そんな中、私たちはお互いの健康に気遣いながら、出来る限りの活動を行ってまいりました。
万世一系を貫くという志はもとより、この経済状況をも克服できる力もついた一年でありました。


令和2年11月12日、「皇室と日本を考える」の礎となった、鐵扇會の會長を務めてくださった元木田 蔵先生がご逝去されました。
先生は最期まで、私たちのことを見守ってくださり、温かい言葉をかけてくださいました。
先生の意思はいつまでも私たちの心に生き続けています。
護国活動のことでも、また一人ひとりの生活のことでも、つまづいてしまった時は、先生のことを思い出して、頑張っていきましょう。


悠仁親王殿下がおられる現代においては、通常は万世一系が途切れることなどは考えられないことではありますが、いつの世も臣民の混乱に乗じて、この安寧を崩そうとする勢力は現れるものです。
こういった歪みには常に万全の注意を払い、國體が護られるように今年も活動していきましょう。


皇室にとっても、みなさまにとっても、穏やかな一年となることを祈念し、新年の挨拶とさせていただきます。


皇室と日本を考える
日本支部長
菊池 俊 sYun.Kikuchi

2020/01/20

レポ「高御座の意義」

2680年1月19日に多摩屯所にて月例会を開催いたしました。その際、自主講座として本会スタッフのむらさぎ氏より「高御座の意義」について、國體原理の観点から解説をいただきました。以下、当日の資料とともに簡単にレポいたします。

(むらさぎ作成、メモ書きはしか)

最初に「(1)観念整理」として、天皇即位にまつわる儀礼を三つに分類し、その中でも一般的に知名度の高い「大嘗祭」は、神話の反映が見られず、あくまで即位後最初の新嘗祭という位置づけに過ぎないとのことでした。

その後「(2)三者の関係史」にふれてから、「(3)日本書紀の記述(沿革)」にそって、①剣璽渡御の儀の原型としての「捧璽即位」と、②即位礼の原型としての「設壇即位」の解説がありました(資料右ページを参照)。まず①「捧璽即位」(○印)は、允恭天皇の事例が起源であり、この天皇でいいのか疑いのある場合に、群臣が一致して神器を捧げ奉り、即位を要請するものであった。それに対して「設壇即位」(□印)は、雄略天皇の事例が起源であり、天皇が自ら「壇(=高御座)」にお上りになることで、その即位の正統性を示すものでった。つまり國體原理の観点からいえば、天皇意志の顕現である後者がより重要であるとのことでした。

最後に「(4)タカミクラの神話的起源」では、その意義について詳細な解説がありました。まず漢語の「壇」と大和言葉の「タカミクラ」は意味がまったく異なっており、高御座とは、周囲を帳(トバリ)で囲っている御帳台である。雄略天皇は、即位の正統性を示すために、天孫降臨を再現する儀礼として「設壇即位」を行った。つまり高御座の神話的起源は、「まどこおぶすま」にある。また即位礼の人員配置で、古くは天皇の両脇に武官が立ったのは、天皇がすぐれて軍事的な存在であったことを示している。といった多岐にわたる話がありましたが、その全貌はなかなか言葉を尽くしきれず、ごくかいつまんでの紹介になってしまい恐縮です。

参加者を交えての議論では、本来は高御座に上るとは、お披露目というよりも、お隠れになることであり、人々からは目に見えない存在になることに意味があったのではという話もありました。歴史の変遷とは、まこと面白いものですね。しかしそればかりでは不十分で、時には國體原理に立ちかえることもまた必要なのでしょう。

以上、ごく簡単ではありますが、レポとさせていただきます。uyopediaの「即位」の項もあわせてご参照ください。(しか)