2007/08/23

高麗神社参拝見学オフ 十月07/10/07【告知&レポ】

【告知文】
きたる10月22日は約1300年前(大化改新の約20年後)に、満洲にあった古代王国「高句麗」が唐に滅ぼされた日です。その数年前、半島の百済も滅ぼされており、日本は大陸の権益を完全に失いました。その頃「若光」という高句麗の王族が日本に亡命・帰化。彼は今の埼玉県に土着して豪族になりました。その地に建つ高麗神社(こまじんじゃ)には、今も彼の墓があり、神社で発行している興味深い歴史資料や和歌を収録した小冊子は必見です。
現在、高句麗王国が中国の一部なのか朝鮮の一部なのかをめぐって、「中韓高句麗歴史帰属紛争」が起こっていますが、中韓両国のみならず、満洲族の立場もあれば、また古代ヤマト朝廷として少なからぬ関係をもった日本の立場もあり、この問題は「民族とは何か」を考える上での好材料でもあります。最近の高麗神社は、在日韓国人との結びつきも強く、韓国系のイベントも年中行事として催され、近隣の、檀君を始めとする韓国系の歴史モニュメントもいろいろな意味で見どころ満載。今回は遠足散策しながら、遠い古代の「満洲」問題と現在の民族紛争が深くつながっていることを目の当たりに体験する驚愕の楽しい日帰り修学旅行です。

※当日参加者先着10名に平成16年冬コミケで完売した幻の同人誌(高句麗問題集大成本)を進呈。

(なお、この神社は出世の神として数々の著名人が参拝してきました。近隣は縄文遺跡や他の由緒ある神社もあり、季節の花々が美しい観光地で、名物の醤油と麺つゆもおすすめ)

高麗神社公式HP
http://www.komajinja.or.jp/

日時■2667年10月07日(日)午前11時集合

場所■西武線高麗川駅の駅前で集合

注意■
1)食事は必ずとってきてください(団子とかチヂミとかのちょっとした屋台はありますが食堂には入りません)
2)かなり長時間歩いたり急な坂を登ったりしますので、体力に自信のない方は数日前からトレーニング等して体調を整えてきて下さい。
3)個人的にタクシー等を使う方は費用自弁ですが、タクシーは呼び出ししないといけないかも(待ち時間が長い)。複雑なコースに柔軟に対応し難いのでタクシーはおすすめできません。
4)雨天強行(それなりに面白いです。大雨ならタクシーも考慮します)

予算■
交通費/都心から西武線高麗駅まで約500円前後、八高線高麗川駅から都心まで約1000円前後(正確な額は各自で調べて下さい)。現地で個人的にタクシー使いたい人は自腹で。
飲食費/値の張る店には入りません。

予定経路■
西武線高麗駅の駅前で集合(山手線の駅からだと1時間20分〜1時間40分)。高麗神社の周辺をあちこち探索して、最後は八高線高麗川駅で第一次解散。

主催■「皇室と日本を考える」開催実行委員会
サイトhttp://nihon.lar.jp/
ブログhttp://nhlar.blogspot.com/
掲示板http://8809.teacup.com/imperial/bbs

共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
2ちゃんスレ■万世一系の皇統を守る9
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
ーーー
【オプション企画】9月29日(土)
(自由参加。オマケの追加イベントで内容未定)
詳細は後日、当会掲示板http://8809.teacup.com/imperial/bbsで告知します。

【レポ文】
(※起稿中)

おまけ企画05「超古代文書を読む会1」07/09/01【告知&レポ】

【告知文】
9月1日(土)「超古代文書を読む会1」のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 8月27日(月)18時49分12秒

当会の9月のお知らせの中にある、9月1日の企画内容です。

おまけ企画「神典を読む会改め超古代文書を読む会1」[古事記を読む会通算5th]

内容(あくまで予定)■
・前回、正統派の古典の数々を学んだので、次ぎはいよいよ(?)超古代文献(偽史)を。
・9月2日(日)の本イベントにおける和歌の勉強にちなみ、五七調で有名な「ホツマツタエ」と「カタカムナ」の二つを取り上げます。話は
ホツマとカムナの自称する由来物語。両書に関する一般的雑学情報。信奉者・支持者の類型分布。両書の内容概略。実際の購読素読(原典資料配布)。文献学的批判・分析。時代背景・裏事情。両書の世界の楽しみ方遊び方、活用法(和歌作りへの応用も…?)。神道の一派としてみた場合のホツマ神道(アメナルミチ)とカムナ神道(直観物理学)の思想の全体像がもつ長所短所。それぞれに内在する政治思想の問題点。それと、いつもの電波業界裏話(今回はホツマ編&カムナ編)
などを考えていますが両書ともに内容豊富なシロモノですので一日で何でもかんでもは出来ません。当日参加者の興味や知識に応じて、上記のいずれかの一部を適当に取り混ぜた内容になると思います。
・特製レジュメ&資料集、無料配布(間に合えばw)

日時■2667年9月1日(土)集合:午後1時30分/終了:遅くても午後4時前後(±30分くらい)

場所■巣鴨駅(山手線・三田線)出て南口側、白山通り沿い左手すぐの喫茶店「伯爵」で集合。集合後、近所に移動。

※お店のお茶代以外の参加費などは無料です。

※このイベントは下記↓の9月2日(日)開催のイベント「慶祝!悠仁親王殿下ご生誕一周年」のオプションイベントですが、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)http://mixi.jp/view_event.pl?id=22022451&comm_id=334458
(2chでの告知)http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/578

http://nihon.lar.jp/kojiki/index2.htm

【レポ文】
今回も多忙のため特製レジュメは間に合いませんでしたが、そのかわり、ホツマツタエ関係資料は29枚、カタカムナ関係資料は30枚に及ぶ大量の資料を配布。もちろんいつものように、これらの中には現在では入手困難な貴重なものがかなり入っています。
今回はたまたまですが比較的基礎知識の少ない人が多かったので、あまりマニアックな深みにはハマらず、結果的に、広く浅い解説になり、用意していた多くの話題(「告知文」参照)は、ほぼすべてに触れることができました。
関連して「神代文字」の議論もありましたが、これはこれだけで膨大な議論を含む一ジャンルですので、別の機会に譲ることとし、今回は簡単に触れるにとどめました。

ホツマツタエ論の前半では、その問題点を抉摘することで、初歩的な段階にある方々には「免疫」をつけて頂くことに力点を置き、後半ではその文体を実際に味わってもらいました。
カタカムナについては、やや裏話的な話題が多かったかも知れません。現代の捏造であることは詳細に説明しましたが、それにとどまらない思想的な意味について多少のフォローを入れたことは、あるいはホツマツタエに批判的な割にカタカムナに好意的という印象をもたれたかも知れません。
オカルト(神秘学)的な世界観という意味では、ホツマツタエは時代的にもソース的にも、かなり狭いもので、これで世界に何かを発信するのはむりであり、歴史的な役割を終えたものと考えています。にもかかわらず熱狂的な信者のグループがいくつもあることは、これはまた別の次元の問題です。カタカムナもまた持ち上げるほどのものとは思いませんが、しかし現代の綺想科学のひとつとしては、神道的な世界観を探求し現代の言葉に置き換える試みの一つとして(必ずしも評価するという意味でなく)参考に値するものと考えています。

2007/08/21

慶祝!悠仁親王殿下ご生誕一周年 九月07/09/02【告知&レポ】

【告知文】
09/02【東京】慶祝!悠仁親王殿下ご生誕一周年

【日時】2007年09月02日(日)、午前9時より。第二部は正午まで(延長なし)。第三部は午後。
【場所】東京都 (勤労福祉会館 5F第三和室 池袋駅南口メトロポリタンホテル方向徒歩3分池袋警察署並び03-3980-3131 http://nihon.lar.jp/02.html)。

*第一部では、悠仁親王殿下のご生誕一周年と皇室の弥栄を、皇室そして臣民の伝統文化である大和歌で言祝ぎます。また作歌の勉強をかねて、古今の賀歌を紐解きたいと思います。

*第二部では、来年の歌会始のお題「火」で歌を詠みます。いい歌ができたら、さっそく清書して天皇陛下に詠進しましょう。第一部・第二部ともナビゲーターは、歌人・石川太郎氏が担当します。

*第三部(午後の部)では、池袋東口駅前公園の中の「池袋水天宮」に参拝。子育ての神様である水天宮に、親王殿下の健やかなご成長を、皆様とともにお祈りしたいと思います。お気軽にご参加ください。
ーーー
○事前の参加表明は不要。参加費無料(懇親会参加者は飲食代適宜)

主催■「皇室と日本を考える」開催実行委員会
サイトhttp://nihon.lar.jp/
ブログhttp://nhlar.blogspot.com/
掲示板http://8809.teacup.com/imperial/bbs

共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458

2chスレ■
【皇位継承】万世一系の皇統を守る9【男系維持】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
皇統の護持を願いネット有志が集うオフ4
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50
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【オプション企画】9月1日(土)
(自由参加。オマケの追加イベントで内容未定)
詳細は後日、当会掲示板http://8809.teacup.com/imperial/bbsで告知します。

【レポ文】
今回は悠仁親王殿下のご生誕一周年を和歌(やまとうた)でお祝いしようという集まりで、第五部までに至る断続的な開催となりました。参加者は6名でした。

 第一部では、実際の詠歌に先立って、平安時代の賀歌と皇紀二千六百年を迎えた折の奉祝歌を勉強しました。以下、その中からひとつずつ紹介いたします。

 君が代に逢ふべき春の多ければ散るとも桜あくまでぞ見む

 これは、まだ幼い裕子内親王のゆく末を言祝いで源師房が詠んだ歌です。歌意は「内親王殿下の一生のうちに出会うであろう春はたくさんあるので、今年の桜が散ってしまってもいずれは満足するまで見ることができるであろう」といったところでしょうか。他にも多くの和歌をとりあげて一首づつ解釈しながら味わっていきましたが、平安朝の豆知識などが豊富にでてきて面白い講義になりました。

 とこしへの窮みなけむとのらせれば御言のまにま栄えつつあり

 皇紀二千六百年(昭和十五年)、当時の日本は新世紀を迎えた感激にわきあがっていました。歌人たちも例外ではなく、一流二流ほとんどすべての歌人が参加して『紀元二千六百年奉祝歌集』が大日本歌人協会から刊行されました。引用しました歌は、その中に収められている佐藤佐太郎の歌です。歌意は「天照大神が万世一系の皇統は極まりなく栄えつづけるであろうと仰られたその言葉の通りに、皇国は今も栄えつつあります」といったところでしょうか。『紀元二千六百年奉祝歌集』からは他にもいくつもの良歌をとりあげましたが、平安朝の歌に比べると、我々にもつっこみ入れられるような作も多く、さすがに親しみやすく感じられました。

 和歌の来し方を紐解くと、どうしても奈良・平安朝のそれに目がいってしまいがちです。実際、万葉集や古今和歌集、新古今和歌集などに収められた詩歌の素晴らしさは、驚くばかりです。しかし、現代に生きる我々は彼等とはかなり隔たりのある言葉を用い、まったく異なった暮らしをしていることをなおざりにするべきではありません。現代日本に生きる我々が、よりよい和歌を詠もうと思うならば、明治から昭和戦前中にかけての短歌、すなわち近代短歌を大いに参考にするべきではないでしょうか。もちろん戦後の短歌を勉強するのも決して悪いことではありませんが、敗戦による國体の乱れとともに、言葉も乱れ、和歌の道もまた乱れていることを念頭に置くべきでしょう。

 さて、歓談を交えつつ古今の和歌に親しんだところで、いよいよ、今上の御代に生きる我々も実際の詠歌に入りました。以下は参加者たちによる当日の作です。

 親王の生まれたまひて一年の今日のよき日をほぎたてまつる

 國おもふ民の心に火をつけし日嗣の御子は尊かりけり

 戦争の嘆きもとはに消ゆるまで親王殿下のほほ笑みたまふ

 日子御子の初歳満つるよろこびに我れらも満ちて祈る長月

 妃殿下の腕に抱かれたほほ笑みは大君に似てふくよかである

 第一首。和歌においては外来語よりも大和言葉を尊重しますので「一年」と書いて「ひととせ」と読むのが通常です。学習会当日は悠仁親王殿下のお誕生日の数日前でしたので、この歌は実際とは異なることになりますが、いうまでもなく「今日」がお誕生日当日であると仮定した上での作です。末句は「ほぎまつるかな」とするのも良かったかも知れません。第二首。「日嗣の御子」は一般的には皇太子殿下のことをいいますが、ここでは悠仁親王殿下のこと。律令制が確立する以前には「太子(ひつぎのみこ)」は同時に複数人おわしまし、またこのまま何事もなく時が移れば悠仁親王殿下が皇位を継承されるのは当然ですから、そういう意味でも「日嗣の御子」と讃えまつるのは適切な表現です。第三首。「まで」は限度を表す「まで」ではなく程度を表す「まで」です。「ほど」と置き換えても意味は変わりません。大東亜戦争における空襲や原爆・抑留などの日本人大虐殺を念頭に置いた一首。第四首。「日子御子」という表記はあまり用例がないですがこの語は「皇子・王子」の訓読であり、「親王」と書いても同じですが、読み方を強調したかったのでしょう。あるいは、天皇としての意味がやや強くなりすぎますが「日の御子」とする手もあるかもしれません。「長月」は「九月」という意と「長い年月」という意がかけてあるのでしょう。第五首。「妃殿下」は紀子妃殿下をいい「ほほ笑み」は悠仁親王殿下のそれでしょう。「大君」は皇族一般に対する敬称として使われることと、天皇陛下に対する敬称として使われることがありますが、万葉集では前者の方が多く、現代では後者の方が多いですね。この場合は、当然ながら後者です。

 これらの歌は主催者側が用意した習字道具を使って、半紙に毛筆で書かれました。この際、予定にはありませんでしたが、平仮名を毛筆で書く場合の筆使いについて、むらさぎ氏より簡単な実習指導が突発的にありました。突発的な人ですね。とはいえ本人も数日前にたまたまテレビのNHK教育でみただけとのことで、人に教えるほどうまい字を書いていたようには見えませんでしたが、漢字の筆使いとの微妙な差を覚えるだけでかなり書き易くなります。習字なんて久しぶりの人がほとんどでしたが、こんなふうにちょっとしたコツを覚えればこれがまたなかなか面白くてハマってしまいますね。上記の作品は、各自が半紙に筆であれこれ文句を書き付けては消しながら、ひねりだしたもので、出来映えよりも作っている過程がまた大いに盛りあがりました。皆様と楽しく親王殿下のご生誕一周年を和歌でお祝いすることができ、とてもよかったと思います。

 つづいて第二部では、来年の宮中歌会始のお題「火」で歌を詠みました。これらも半紙に毛筆で書かれたものです。いい歌ができた人は天皇陛下に詠進もうしあげるため特に丁寧に清書いたしました。うまく書けずに「あなた字きたなくないかい?」とのつっこみに「読めりゃいいんですよ」と暴言はいてる人もいましたが(笑)詠進した歌につきましては、歌会始まで発表してはいけないことになっていますので、ここではボツとなった作品のみ紹介させていただきます。

 火のお題考えたけど何も出ずしょうがないから習字するかな

 わが道の行方を照らすともし火はおのが心にあるとこそ知れ

 ガスコンロひねればともる火を見つめ君が代にある恵みを思ふ

 君と手をつないだことを思ひつつ花火見上げる頃となりけり

 はや二十歳憂ひの炎に水させる詔のたまふ君をうらみて

 君がため火の中とても行くべきを聞こえぬ天の声ぞかなしき

 国柄の直ならざるを否むのは我れの心の火にてありけり

 あっという間に愉快な一時は過ぎてゆき、正午に勤労福祉会館を後にして、第三部として、池袋駅東口の駅前公園の池袋水天宮に参拝しました。水天宮は、子供の守り神、子育ての神として信仰されています。悠仁親王殿下の健やかなご成長を皆で祈願いたしました。しかるのち、各自、詠進歌(今日の作品のうち一首)を宮内庁の規定に従い半紙と筆で清書したものを封緘した封書をポストに投函して、一同で万歳三唱。めでたしめでたし(笑)

 その後、しばらく時間をおいてから、日暮里に場所を移し第四部と称して懇親会を開催。またこの日は実際の悠仁親王誕生日ではありませんので、改めて六日に池袋にて第五部と称して再度の祝杯。すめらみこといやさか、めでたしめでたし(大吉)(し・む)

おまけ企画04「神典を読む会」07/07/28【告知&レポ】

【告知文】
7月28日(土)「幕末史の裏研究」&「神典を読む会」のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 7月25日(水)04時15分26秒

当会の今月のお知らせの中にある、7月28日の企画内容です。

おまけ企画「幕末史の裏研究」&「神典を読む会」

内容■
・8月4日(土)の彰義隊展示見学会の予習として、幕末史(とくに彰義隊と関係の深い輪王寺宮(昨年の7月にやったものの補足)を中心に明治維新史の裏事情や最近の学界動向や電波説など)を簡単に、軽く短くおさらいを。
・その後、いつもの「古事記を読む会4」改め、古語拾遺・先代旧事本紀・新撰姓氏録・風土記・住吉大社神代記・海部氏勘注系図・高橋氏文ほかいろいろな「神典を読む会」。記紀以外の神典から有名重要箇所の抜粋プリントを配布・解説。

日時■2667年7月28日(土)集合:午後1時30分/終了:遅くても午後4時前後(±30分くらい)

場所■神保町すずらん通りの喫茶店「シャノアール」で集合(三省堂の裏すぐ)。集合後、近所に移動。

※お店のお茶代以外の参加費などは無料です。

※このイベントは下記↓の8月4日(土)開催のイベント「彰義隊追跡行」のオプションイベントですが、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)
http://mixi.jp/view_event.pl?id=21100139&comm_id=334458
(2chでの告知)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/535
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(※この企画はお蔭様をもちまして無事に終了しました。7月29日記)
http://nihon.lar.jp/kojiki01.html

【レポ文】
「彰義隊追跡行」[オプション企画・幕末史の裏研究&古事記を読む会改め神典を読む会/7月28日(土)]
(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)

今回は8月4日(土)の本イベントにのぞむにあたり、7月28日(土)にオプション企画を設け、彰義隊や上野戦争の歴史的な背景について補足説明をおこないました(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)。

詳細なレジュメを用意する予定でしたが残念ながら今回は時間不足で間に合わず口頭説明のみになりましたが、彰義隊の結成に至るまでの詳細な流れ、彰義隊の主要メンバーの人物像についての裏話、そしてあとはオマケですが明治天皇替え玉説の出所など電波業界の裏事情について若干話しました。

またいつもの「古事記を読む会」を今回は「神典を読む会」と改め、「風土記」・「住吉大社神代記」・「高橋氏文(全文)」・「古語拾遺」・「新撰姓氏録」・「海部氏勘注系図」・「先代旧事本紀」・「八幡愚童訓」の重要箇所を原典からコピーした52枚に達する膨大な資料を配布。これだけで5000円以上の価値はあったかもw 要点としては以下の通りです。

「風土記」は出雲・播磨・肥前・常陸・豊後の五風土記は、有名なので今回は本文は用意せず、珍しいものとして、それ以外の逸文(摂津・伊勢・近江・陸奥・若狭・越前・越後・丹後・因幡・備後)の本文を資料としました。五風土記は解説のみで、出雲風土記にのみ見える「国引き神話」、播磨風土記の「天日鉾命と大己貴命の戦い」、常陸風土記の「夜刀(やと)の神」についての諸論を紹介。以後、用意した資料を読みながら、摂津風土記の「阿加留比売伝説」、伊勢風土記の「神武天皇伊勢平定伝説」、近江と陸奥と丹後の三ヶ国の風土記の「天羽衣(豊受姫)伝説」の比較、因幡風土記の「武内宿禰伝承」、備後風土記の「蘇民将来神話」について解説。

「住吉大社神代記」は、日本書紀より古事記に近い神話をもっています。古代エジプト神話にも共通するといわれる、太陽神が舟に乗って出るという記紀にない神話も有名。この部分を実際に読んで、この解釈には実は疑問があることを示しました。また蘇我氏を含む多くの氏族の祖である竹内宿禰が本書では孝元天皇ではなく開化天皇の子孫になっている部分を読み、なぜこのような伝承の違いが生じたのかその経緯と、どっちが正しいのかを考察。また古事記で崩年干支記事が欠落している天皇でも本書には奇跡的に残っている部分を示し、歴史上極めて貴重な資料であることを訴えました。

「高橋氏文(全文)」は、比較的短いものですのでその全文全貌を資料にしました。内容はあとからゆっくり読めばわかるので、それよりも書かれた由来や周辺事情(律令官僚制に適合しきれなかった古代氏族が利権を確保しようと相互に正統性を争いあった時代情況など)の説明に時間を割きました。高橋氏の祖で料理の神様「磐鹿六狩命(いわかむつかりのみこと」は、ある世代から上ならマンガ「包丁人味平」でもご存知。

「古語拾遺」は、神代文字否定説の根拠の一つとなっている冒頭文「上古の世、いまだ文字あらず(以下略)」に批判を加え、造化の三神の高皇産霊神と神産霊神の間に津速産霊神がいるという珍説を紹介。また記紀にない貴重なものとして「三蔵」設置の記事、「御歳神」の神話を資料に沿って解説。また古語拾遺ができた大同二年(AD807)は宗教民俗学的にきわめて重要で神秘的な年代として多用される年であることを指摘。

「新撰姓氏録」、皇別氏族や神別氏族についてはよく取り上げられますので、今回はあまり注目されない諸蕃氏族(帰化人系氏族)の部分をおもに資料にしました。皇別では、初代の任那総督を出した吉田連氏(孝昭天皇後裔)を扱い、諸蕃では電波説も含めて何かと有名な秦(はた)氏・漢(あや)氏について詳細な解説を加え、また燕国王公孫淵よりでた常世(とこよ)氏、箕子朝鮮の王準からでた麻田(あさだ)氏、衛氏朝鮮の王満(燕相国衛満公)からでた筆(ふで)氏についても他では読んだり聞いたりできない詳細な研究報告ができたと思います。魏の文帝(曹丕)の子孫、呉の孫晧(孫権の子)の子孫など、他にもふれたい物件は山ほどありましたがそこらは軽くふれるに留まりました。

「海部氏勘注系図」は、電波説の一部では「卑弥呼と台与が出てくる系図だ」と騒がれてますが、原書のコピーをもとにそんな事実があるといえるのかどうか検討を加え、この系図を扱った論述はいくつかあるのに卑弥呼がどうのということには一言もふれてない論文の方が多い理由をあえて考えてもらいました。

「先代旧事本紀」は、冒頭部分の神代本紀と神代系紀をだして、記紀と異なる、ある意味興味深く、またある意味異端な感じを知ってもらいまあした。天神本紀と天孫本紀では、記紀にない「瓊々杵尊の兄・饒速日命の降臨」という異端ながらも有名な神話の該当部分の全文を資料として出しました。先代旧事本紀は、電波説の論者が恣意的に引用することの多い書物なので、騙されることのないように、全文を実際に入手してもらい免疫をもってもらうという主旨です。もちろんそれを読みながら、書かれてる内容の正確な解釈と価値評価を展開。国造本紀も資料としては重要ですが、今回は分量の関係で省略しました。ネット上にも一覧があると思います。

「八幡愚童訓」は中世の伝説なので、今回はあくまでオマケです。開化天皇以来、外国勢力が何度も日本を侵略にきたことが書かれています。これは史実性のない説話ですが、一部、貴重な古代史資料から援用したことが判明している部分について指摘しました。

(本当はさらに「上宮記」と「天書」もつける予定でしたが間に合わず)

以上の諸書には、むろんそれぞれに簡単な解題をレジュメとしてつけました。この日のこれらの解説すべての具体的な内容について報告するのは、あまりに膨大な情報量になるので詳細な紹介は省きますが、語るべき箇所として予定していた部分とそれぞれの議論・問題点などは時間いっぱいまでどうにかぎりぎり話し切りました。それだけに、やや駆け足な感じになってしまったかも知れません。しかし、通常の書店で読める通俗本やネット検索などでは知る事のできないかなりディープな小ネタを詰め込みました。ただ、今回はやや古代史関係のネタに偏り、神道関係のネタが少なめな傾向がありました。参加者の趣味嗜好にもよりますが今後はこのへんも修正していきたいと思っています。

彰義隊追跡行 八月07/08/04【告知&レポ】

【告知文】
日時■平成19年8月4日(土)午後1時半〜午後4時(最大延長30分)のち花火見物へ?

【場所】東京都(素盞雄神社で集合)
・日比谷線南千住駅下車徒歩8分
・都バス草43「千住大橋」下車徒歩3分
・都電「三ノ輪橋」下車徒歩15分
・京成線千住大橋駅下車徒歩8分(千住大橋駅からのコースには八紘一宇の石碑もあります)

江戸市民を守って戦い、慶応四年五月十五日(新暦7月4日)の上野戦争で敗走した彰義隊を偲んで、荒川区立荒川ふるさと文化館の期間限定企画展『吉村昭追悼展ー彰義隊とあらかわの幕末ー』を見学。見学前には御当地の由緒深き「素盞雄神社」に参拝(隣接)。展示見学後の帰路、円通寺→善性寺→上野と、彰義隊の墓碑を巡礼します。 彰義隊の逃走路に当たる荒川区に残る彰義隊と江戸庶民のふれあいの跡を辿り、幕末動乱と戊辰戦争における尊皇義烈の志士たちの苦難と無念を偲びましょう。

【おまけ】コース終了後もしかしたら「江戸川花火大会」見物に行くかも(花火を楽しみながら一首ひねるもまた一興。宮中歌会始の今年のお題は「火」です!)

※はじめの集合時、集合場所では目印に日の丸の小旗をもった者がおります。初参加で面識のない方で、途中合流希望の方は当会掲示板http://8809.teacup.com/imperial/bbsで連絡を。

▼主催■「皇室と日本を考える」開催実行委員会
http://nihon.lar.jp/
▼共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
▼(2chスレ)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
参加費 無料 (懇親会参加者は飲食代適宜。)
お問合せ&連絡先 「皇室と日本を考える」実行委員会

【告知文】
当日は朝から夏らしいよい天気でしたが、少々暑すぎ。
参加者は計8人で、久しぶりに参加の方もおられました。

まず、地元で有名な「素盞雄神社」に参拝。かなり篤く信仰されています。権現作り風なかなり大きな立派な社殿。平安時代初期(延暦十四年・AD795)に、この地にスサノオノミコトと飛鳥大神(事代主命)が出現したのを祀ったのが起源。飛鳥大神は皇室の守護神でもあるので、念入りに祈願参拝しました。
御朱印をもらった人もいますが、やけに時間がかかるのでどうしたのかなと思ったら毛筆手書きの見事な楷書で書いてあって驚きました。この神社の近辺には、源頼朝の由来の熊野神社や松尾芭蕉の句碑、そして陸軍大将林銑十郎の建てた八紘一宇の石碑などもあります。
孤高の相場師さんの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=520612470&owner_id=2559991&comment_count=9
孤高の相場師さんによる「素盞雄神社」の写真
http://mixi.jp/view_album.pl?id=3255706&update=20070806055845

この神社の隣の「荒川区立荒川ふるさと文化館」で期間限定でやってる企画展『吉村昭追悼展ー彰義隊とあらかわの幕末ー』を見学するのが今回のメイン。当時の遺物から上野戦争の激しさと悲惨さが伝わり、歌舞伎や浮世絵などに明治初期の東京市民の、彰義隊への思慕と愛着が濃厚に残っていました。他、詳細は触れませんが、見ごたえたっぷりでわずか100円とは驚きです。
常時やってる通常展もついでにみましたが、こちらは『Allways-三丁目の夕日』の世界というか高度成長が始まったか始まらないかの頃の庶民の生活が再現されており、私を含め一部の特定世代には子供の頃が思い出され懐かしいものでした。ここで1名が合流。館内には図書コーナーもあり、ひじょうに資料が充実しており、各自いろいろな本に読みふけってしまいました。暑くて外に出たくないってのもあったがw

その後、歩いてすぐのところにある円通寺には、近隣から集められた彰義隊隊士やその縁者の石碑や供養塔、墓などがたくさん集められており、彰義隊を供養した仏磨和尚や新門辰五郎、有名どころでは大鳥圭介の碑などもありました。ここでまた1名が合流。また寛永寺の黒門(正門)が移築されています。黒門は彰義隊が命がけで守ろうとした象徴的な遺物で、銃弾による貫通穴だらけでした。こりゃ死ぬわなと。当時のことをあれこれ想像しての雑談も盛り上がり面白かったです。
たかしさんによる「黒門」の写真
http://mixi.jp/view_album.pl?id=3206571&update=20070805022508

その後、猛暑の中、敗走する彰義隊の気分に浸りつつ(?)駅へ。電車で日暮里の善性寺に移動。ここでまた1名が合流。しかし境内では彰義隊の墓が見つからず、5時の閉門時間になってしまい、お寺の人にきいてみたら、谷中の経王寺に移動したとのこと。今から行っても閉門してしまう時間なので、企画倒れに。ここまでは下見してなかった…。(関係ないですが善性寺に石橋湛山の墓を見つけました)

善性寺の向かいの韓国食材屋で、冷えたマッコリを買った人が皆に振る舞い、回し飲みしながら駅に戻り、そこから上野へ。上野公園の西郷像の近くに、彰義隊の墓が立っています。誰かが置いていった花束がありました。ここで酒をお供えして、拝み、残りのマッコリも飲み干して一本締め。

この後は懇親会かねて「江戸川花火大会」を見物に行くという案や、上野公園内で夏祭りをやっており、忍ばずの池の弁天堂の参道では大道芸や屋台がたくさん出てるのでそれ見物しようかという案もあったのですが、とにかくめちゃくちゃ暑くて死にそうなので、冷房の効いた店で懇親会しようということで、上野の某ジンギスカンの店で乾杯。ラムを使った食べ放題で、安いのにものすごくうまい店でした。敗れた彰義隊の一部は榎本艦隊とともに五稜郭で戦い、その後は旧幕臣にありがちなことですが北海道に土着して牧羊業者になった者も多かったでしょう。でジンギスカンというわけw この後は二次会で久しぶりにカラオケにいき夜遅くまで交歓しました。

2007/08/20

伊勢神宮と天照大神を語るオフ 七月07/07/07【告知&レポ】

【告知文】
07/07【東京】伊勢神宮と天照大神を語るオフ

日時■平成19年7月7日(土)
第一部:午後4時半集合
第二部:午後5時30分〜午後8時30分くらい(最大延長30分)

場所■
第一部:東京大神宮・飯田橋駅5分
(JR中央線は西口・有楽町線南北線はB2a出口・東西線大江戸線はA4出口
http://www.tokyodaijingu.or.jp/guide/index.html)現地集合
第二部:勤労福祉会館 5F第一和室(池袋駅南口メトロポリタンホテル方向徒歩3分
池袋警察署並び 03-3980-3131 http://nihon.lar.jp/02.html)

内容■
戦前には伊勢神宮の東京における遥拝所でもあり神道の教会でもあった「神宮奉賛会本院」現在の「東京大神宮」に参拝。七夕の夜の願い事として皇統の安泰と繁栄を祈ります。
第二部では別会場に再集合。伊勢神宮参拝レポートや研究解説をお楽しみください。

[第一部]『東京大神宮』参拝
[第二部]『報告&研究』
1【神苑と聖地構成の諸問題】(実地参詣レポートと研究解説)
2【伊勢の和歌】(和歌を詠もう!宮中歌会始にむけて)
3【伊勢神宮の諸相/テーマ別の発表】
(豊受大神・斎宮と女帝・男神説の是非etc)
4【日本人と皇祖神信仰の未来】(討論会)

※第一部・第二部のいずれかのみの参加も歓迎。
事前登録は不要ですが、初参加で待ち合わせに不安のある方は下記のメールまで参加表明して下さると助かります。

○参加費:無料(懇親会参加者は飲食代適宜)

主催■「皇室と日本を考える」開催実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加表明先:info@nihon.lar.jp)
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50

オプション企画■(自由参加。オマケの追加イベントです)
★6月30日(土)、場所・内容などは、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)

【レポ文】
07/07【東京】伊勢神宮と天照大神を語るオフ

【レポ対談】

司会:七月七日に開催された皇室と日本を考える学習会を、本日は各ナビを担当してくださった皆さんと一緒に振り返ってみたいと思います。当日まず、第一部では七夕の日ということで、夕方、飯田橋の東京大神宮に参拝。つづいて第二部では、池袋の勤労福祉会館に移動して勉強会を決行。進行は以下の通り。

第一幕:豊受大神と穀物諸神の研究(しか) 第二幕:公園帝国論~神苑と聖地構成の諸問題(Frida) 第三幕:皇后と斎宮と女帝・天照大神男神説(むらさぎ) 最終幕:歌を学び、歌を詠む(しか)

参加者は計7名うち初参加が1名でした。さっそく第一部の東京大神宮ですが…

しか:あの混雑振りには驚きました。おそらく縁結びを祈るのであろう若い女性がたくさんいましたからね。

司会:境内から浴衣美女の群れがあふれ出してたいへんな賑わいでしたね。いつもなら静寂な神社がどうしたことかと神職にきいてみると、毎年七夕は縁結び祈願の若い女性で混雑するとのこと。公式サイトにはそんなこと出てなかったのに…。想定外の事態で、参拝の長い行列に並ぶはめになり、30分以上もかかってしまいました。

むらさぎ:若い女性たちに長時間囲まれてそんなに悪いきはしませんでしたが(笑) 東京大神宮は、敗戦前は伊勢神宮遥拝所だった所ですが、伊勢と七夕はとくに深い関係あるとは聞いたことがないですね。どういう曰く因縁があるのか興味あるところです。

司会:神社の神主さんはあまり知らないようでした。

むらさぎ:深い意味なく参拝客集めのイベントから始まったのか、何か都市伝説とか雑誌記事で有名になっただけなのかw

しか:まあ、いいんじゃないですか?そんなこと言いだしたら、七夕を新暦で祝っていること自体、ちゃんちゃら可笑しいという話になってしまいますよ。多くの国民が、形はどうであれ神道に接する機会をもつことは悪いことではないでしょうし。

むらさぎ:七夕ってのは本当は乙女座の初日、二十四節気の処暑の8月23、24日のあたりにくるのが…

司会:さて。先に進みましょう。第二部ですが、まず第一幕はしかさんの「豊受大神と穀物諸神の研究」でした。

しか:これは大した発表ではありません(苦笑)。基本的な事柄を押さえつつ、みんなで楽しい雑談をしたという感じです。

司会:そう謙遜されなくても。たいへん勉強になる内容でしたが。ひとくくりに穀物神といいましても、ちゃんと役割分担があるんですね。

しか:そうそう、そうなんですよ。伊勢神宮の外宮に祀られているのが、なぜ豊受大神で他の穀物神でないのか考えてみると、なかなか深いものがありますよね。残念ながら、現在ではいくつもの神が混同されてしまっているきらいがありますが。

司会:つづいて第二幕はFridaさんの「公園帝国論~神苑と聖地構成の諸問題」でした。Fridaさんは実際に伊勢の地を訪ね、両神宮を参拝するととも地域の造園景観を観察して都市文明論の観点から議論を展開しました。伊勢の外苑の風景は実は明治以後にできたもので、当時の日本の公園や都市設計思想が背景にあり、日本における近代設景を巡る試行錯誤があったことを詳細に調べて発表されましたが…。

しか:Frida兄の話はいつも濃い内容で感心させられます。今回の話では、明治以降の開発により伊勢という土地の神聖性が損なわれてきたんですね。

Frida:伊勢の神聖性というか伊勢が象徴する美観が、明治期の神苑=公園造成や戦後の都市計画によって活かされてない、ということです。日本の都市計画は荒んでいる。それを象徴しているのが諸処の公園であり、その代表格である神苑であったり、日比谷公園であったりする。

司会:その現状を指摘し、それに対する打開策として公園帝国論を提案すると。

Frida:公園帝国論は、打開策というより使用できる方法論でありコンセプト。荒んだ都市計画に形作られた都市を、統制的に再編しよう。そのために公園造成を使えば、便利や美に留まらない、聖なる機能をも含んだ都市を編集できる、発想上ね。

しか:公園帝国論とは要するに、神宮と関係ない諸宗教団体施設や民家を破壊して公園とし、それを拡大してゆくことで神聖なる神苑を回復しようという理解でいいですか?

Frida:破壊という言葉は悪い。あくまで再編です。神宮と関係あるかどうかというよりもっと広い視野で考えています。日本の美観、日本の原理との整合性で、建物の様相と配置を考える。その一つの出発点が、広義の伊勢神宮でありえる。神苑は最近できたものであり、別にそれの神聖さを回復することが究極の目標ではない。伊勢神宮を中心とした再編に結びつけて日本の再編を行えば、体系的かつ原理的な都市計画が成し遂げられる。せめて伊勢における機運を通じて、日本の諸地域が日本を基盤とした統制の下に、都会を代表とした文明文化の再編を決行すれば、楽しい。その、祭政を含む自由な発想での改革を、公園という自由なコンセプトの名の下に行うのも、アリだと思う。

しか:力説ありがとうございまいした。僕としては、前半の実地検証にもとづいた鋭い指摘と、後半の公園帝国論の現実離れした主張の落差が単純に面白かったです。

むらさぎ:そこは同感です。まじめに資料あさって細かく実証的な研究発表してると思ってたら、後半いつのまにかドデカイ夢のある国家計画みたいな話になってて、久しぶりに知的興奮を覚えましたね。ワクワクテカテカしちゃいましたw

Frida:面白がって頂けたのは幸いです。公園帝国論は奇抜な発想ですが、実質は都市計画論ですね。日本の自然神、神聖、天皇、遊休、労働、通行、家庭を、どう体系的に繋げるか。店と家と道とを、文明として公の下に最適化するにはどうしたらいいか。その人と人、場所と場所とを纏める空間として、公園なり公園的な諸処の空間様式を考えて欲しいです。

司会:要約ありがとうございました。確かに、日本の公園の多くは巧く活用されていません。しかし現実問題としては、都市計画を全面的にやり直すのは、経済的にも法律的にも困難です。

Frida:そうですね。ちょっとずつ変えてもいいし、災害後や都市移転時や、都市開拓時にやってもいい。極端な場合、戒厳令を発令して、国民の都市と建築物の所有権を区分ずつに一時停止して、徐々に都市再編を行ってもいい。それとも、やっぱり遷都して新しくやり直したり。そこまで広く考えるとますます難しくなるので、取りあえず伊勢神宮の周辺の整理から考えてみると、公園・国立公園という地位とイメージが、自然と宗教と社会とが融合された都市を造るのに、もっと使えるんじゃないかなと思います。伊勢神宮が日本の心であり国立公園であるので、日本の精神の再編は、日本の公園(=>都市=>文明)の再編を介しても進められるし、その両者はお互いの状態を反映するものだと思います。

司会:なるほど、ありがとうございます。つづいて第三幕はむらさぎさんの「皇后と斎宮と女帝・天照大神男神説」でした。

しか:お話では、建国の昔は、女性皇族は特別に高い地位にありませんでしたが、垂仁天皇の御代に倭媛命が伊勢神宮に天照大神をお祀り申し上げて斎宮となったあたりから、状況が変わってきたようですね。

むらさぎ:というか、大昔は、男性皇族ではなく女性皇族だけが宗教的な役割を担った、というような事実はなく、男性皇族が神を祀る役割を命ぜられた記録も多いんです。なので、倭媛命が伊勢に仕えたことも、女性皇族だったのはたまたまにすぎないのではないか、という流れが学界に出てきている、と。「神の妻」だから女性でなくてはならないという折口信夫説も実はかなり眉唾なんです。斎王とか斎宮という決まった言い方も、かなり後世にできたもの。記紀にあらわれる伝説上の斎王たちの性質にはかなりゆらぎがあり、大伯皇女から始まる律令制における「女性限定」の斎王との間には異質な変化が…

司会:時間が残り少ないのであまり長くならないようにお願いします。

しか:それから後は、神功皇后や飯豊青皇女が政務を執り行ったり、推古天皇をはじめとして女性天皇が次々と即位したりと、奈良時代までは女性皇族がかなり活躍していらっしゃいます。

むらさぎ:伝説時代の斎王の時代は、その神功皇后や飯豊皇女など女性皇族が男性顔負けの活躍をした時代をはさんでいて、現代人が想像するような男女差のある世の中ではなかったのです。「ヒコヒメ制」という「男が実権・女が祭祀」という役割分担も、もとは柳田國男とか近代以後の民俗学者が作った構図で、歴史学者は文献から検証できないとして昔から冷ややかであり、最近では折口信夫の「飯豊皇女は巫女的な存在だった」という説にも反論が…

司会:レポですので要約してください。結局、今回のテーマは「斎王と女帝」という話でしたが。

むらさぎ:斎王と女帝は、結局なんの関係もなかったという割り切りができる学者も最近はようやくでてきたようですが、私も昔からそのへんの関係が有耶無耶で釈然としなかったんです。女帝問題と斎王問題の関係がなかなか難しいのは、むりに関係付けようとするからややこしくなるんですね。

しか:古事記や日本書紀が編纂されたのは奈良時代ですから、お話によると記紀もその影響を免れなかったようです。天照大神が女性神とされたのはその時代で、本来は男性神であったというのが学界の通説とのことでしたよね。

むらさぎ:まぁものすごく短くいうとそういうこったい。そういうとまた2chなんかだと「通説」の意味を知らなそうな人が現代人の常識もちだして「そんなこと思ってるやつぁいね〜よw」と反論されちゃうんですが、いかなる学者であっても現代人の常識として「天照大神が男神だと思われている」などという説を唱える学者はもちろんおりません。あくまで「古い時代には」「そう考えられていた」と「推定」されてるということで、そもそも団塊世代の学者の中には神も魂も信じてない人だっているわけだから、「実在の天照大神はどっち?」と学者にきくのもなんとなく微妙な話です。今回の私の話は、あくまでも学界の中での話であって、総合的な最終結論とは限りません。

司会:なるほど。ホツマツタヱですか。

むらさぎ:ちげーよっ! あんた俺の話きいてないでしょ。

司会:いや、言ってみたかっただけです。男神説といえばどうしてもコレは出さないと。

むらさぎ:金かえせって言われかねないからな。

司会:金はとってないですっ! それはさておき、もっとも神様に男も女もあるものかという話もありますね。確かに、天照大神はお天道様のことでしょうが、太陽に男とか女とか言ってもおかしな気がしてしまいます。

しか:陰陽を生物学的にいうと、陽が男性、陰が女性ということですから、自然現象においても陽は男性的エネルギーであり、その自然現象に宿る神は男性神であると考えていいのではないでしょうか。という話がどこかであったように記憶しています。

むらさぎ:それは「昔の人はそう考えていたのだ」と現代の学者が考えている、って話でしたね。あくまで現代の学者の考える天照大神男神説についての部分での説明です。なんかややこしいけどw

司会:時間もありませんので、次に進ませていただきます。最終幕は、しかさんの「歌を学び、歌を詠む」でした。

しか:『君が代はつきじとぞ思ふ神かぜやみもすそ川のすまん限は』といった伊勢にまつわる名歌をとりあげ、本居宣長の歌論『排蘆小船』にふれつつ、実際にみなで歌を詠みました。歌を詠むのがはじめてという方がほとんどだったわりには、皆さん様になった歌を詠まれてびっくりしましたね。やはり和歌は国語による表現ですから、日本人ならたいていの人は作れるものだと思います。このサイトをご覧になってくださった方々にも、是非挑戦してほしいと思います。

司会:和歌の実作は、驚いたことにどういう訳だか、まったく予想に反して今回のイベントで最高の盛り上がりとなり、未完成なものを皆で意見を出し合って作った例もあって、全参加者が、どうにかこうにか最低でも一人一首詠みあげました。一人で何首か詠んだ人もいれば、普段は目立たない意外な人がプロっぽい秀歌を作って賛嘆されたりと、一首一首味わい豊かな歌ばかりでした。むろん実力的にはまだまだですが、歌を詠むのもその気になれば出来るものだと大いに和歌になじんでもらえたことと思います。

むらさぎ:私がいちばん恥ずかしく、へっぽこなジョークというか狂歌(?)でごまかしましたw なんかうまくネタがひねれなかったのでw

司会:では、僕も一首詠んでみました。。。東京の大神宮のお宮には皇統護持の花が咲きけり。いかがでしょうか?

しか:お、なかなか上手ではないですか!これからも折にふれて歌を詠んでみてください。

司会:ありがとうございます。今回のイベントは、七夕参りではらかずも日本の伝統習俗を味わうことができ、Fridaさんの緻密な資料調査に基づく甚だ学究的な講演にうならされ、むらさぎさんの難しい話なのになぜか分かりやすい解説、しかさんの授業は子供に帰ったような楽しい和歌作りの会となり、ずいぶん盛りだくさんで贅沢なイベントとなりましたね。このあとの懇親会もよかったです。以上を以てご報告とさせていただきます。(終)

2007/08/13

世界は今何が起きているのか〜イスラームからみた日本の國體 第五回06/10/07【告知&レポ】

【告知文】
■第五回開催■「皇室と日本を考える」学習会       
◆10月7日(土)開始時間:13:15〜16:20 (最大延長20分)
◆豊島区勤労福祉会館 第二会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
http://nihon.lar.jp/02.html
◆参加費:無料  参加連絡不要
 初参加歓迎です!

◆今月のテーマ
「世界は、今何が起きているのか? 〜イスラームからみた日本の國體」

第一部・戦前の大亜細亜主義とイスラーム/國山たかし
第二部・イスラム思想と日本国家の再建/むらさぎ

中東情勢に限らず、混迷する世界各地に広がるイスラームの影響ぬきには今や文明史的情況は理解できない。自らの生命と引き換えにしてまで掻き立てる思想とは、いったなにか? 拡大するグローバリズムと米国の覇権、そしてそれに対抗する信仰の正体とは? それらを探求すると、意外にも日本の精神文化と共通するところが多々あるのだ。大亜細亜主義(イスラーム・ユダヤ・イランと大川周明・頭山満・特攻隊などの歴史)と、君が代・日の丸と国民儀礼とイスラーム思想との比較から日本人の共同体再建の道等、皆様とともに考えてみたいと思います。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(※このメアドは現在停止)
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第五回学習会の
開催報告

日時:2006年10月7日
会場:池袋勤労福祉会館

第一部・戦前の大亜細亜主義とイスラーム/國山たかし
第二部・イスラム思想と日本国家の再建/むらさぎ

テーマ
「世界は、今何が起きているのか?
 〜イスラームからみた日本の國體」

 参加者は約20名 北海道などの地方からご来場の方もおられました。

◆第一部は戦前の右翼活動家が欧米列強に反対する亜細亜主義に基づいてイスラーム独立運動の闘士たちとともに戦って歴史を作っていたこと、その中に頭山満(代々木モスク建設を支援)、大川周明(イスラム研究の先駆)、山岡光太郎(最初の日本人ムスリム)などがいたことを語りました。これは単なる利害からの連帯ではなく、伊藤博文(イスラム教について深い共感)、田中逸平・原正雄(神道や日本國體との共通性に着目)など文化面・精神面での同類意識もあったことに触れました。

◆第二部は、イスラム教の本質について分析し、ヨーロッパ発祥の近代国家システムとの共通点と相違点、イスラム社会の長所と短所をみていき、今後イスラムからなにを学びとるべきか、そしてイスラムのなにに警戒すべきかについて、若干の提案を行ないました。学びうるものとしては、グローバリズムへの抵抗としての「イスラム経済学」の動向と、格差拡大社会における民間相互自助福祉活動としての「イスラム復興運動」、そいsて共同体の再建・維持のシステムとしてみたイスラム教から、メソッドを抽出すると初期の近代国家の儀礼作法に帰着すること等をあげました。

今回は準備不足もあり、まとまりのないものになりましたが、いくつかの目新しい視点や面白い論点を提示できたと思います。いずれ機会があれば、サイト上のコーナーかまたは小冊子にしてまとめておきたいと考えています。

ナショナリズムの芽生え〜幕末維新における尊王論を考える 第四回06/09/02【告知&レポ】

【告知文】
■「皇室と日本を考える」第四回学習会   開催日 決定    
◆9月2日(土)開始時間:17:40〜20:20 (最大延長20分)
◆豊島区勤労福祉会館 第六会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
http://nihon.lar.jp/02.html
◆参加費:無料  参加連絡不要
 初参加歓迎です!

●今月のテーマ
「ナショナリズムの芽生え
 〜幕末・維新における尊王論を考える〜/孤高の相場師(民族派・株式経済評論家)」

※小泉純一郎総裁の任期が今月終わる。小泉政権の政治特徴は、常にネイションを意識し国民に訴えかけるパフォーマンスにあったといえよう。それは日本近代の成熟期、経済情勢も混沌とした中で誕生したのであり、その背後にあってネット文化の進化とともに徐々に沸きあがるナショナリズムは無視できない。それは幕末の排外的な「攘夷」運動すら思い起こさせ、今は第二の幕末・維新前夜なのだとの感は日々強まりつつある。この現代を知るためにも、当時の国家意識・尊皇運動はどうような思想であり、どのような構造をもっていたのか? その芽生えと勃興の時代情況は?近代日本の政治思想を、皆さんとともに考えてみたいと思います。
 
◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(※このメアドは現在停止)
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第四回学習会の
開催報告

日時:2006年9月2日
会場:池袋勤労福祉会館
ナビゲーター:孤高の相場師(民族派・株式経済評論家)

テーマ「ナショナリズムの芽生え
 〜幕末・維新における尊王論を考える〜」

 参加者は約30名 関西からは3名の参加いただきました。スタッフの予想を遥かに超える盛況ぶりに、用意したレジュメが足りなくなるという事態に・・・今後とも文化運動を行うにあたり、お仲間が増えることは、スとてもうれしい限りです。

当日の進行は、第一部 第二部 第三部と進みました。

●第一部【尊皇攘夷論を普及させた水戸学の思想】
幕末・維新への前段階として水戸藩による水府の学問(天保の学)について学習しました。
水戸学は、義公(徳川光圀)時代の前期水戸学と、烈公(徳川斉昭)時代の後期水戸学に分け、
前期においては、大日本史の編纂事業に関する学問
後期においては、当時の社会状況をも照らした弘道館において発達した思想学を学び、藤田幽谷、会沢正志斎、藤田東湖らの活躍などによって尊皇攘夷論が全国に広まりました。
水戸学の特徴は、君臣の関係を明確にすること。君主はあくまでも天皇であるが、将軍家への忠順を要求するものであり、将軍家への忠順が、結果的に天皇への忠節になる・・というものでした。

●第二部【多くの維新の志士達を産んだ吉田松陰の思想】
維新への原動力は、水戸学による尊皇攘夷論の第一弾、そしてそれに続く討幕運動への第二段となるわけであるが、
この討幕運動へ強い志をもった討幕派の志士達、とかく松蔭門下の長州藩士らは、明治政府樹立後も、政治的にも大きな影響をあたえた。
もともと水戸藩の思想を根底にしていた松蔭は、討幕への思想は持ち合わせていたなったのであるが、安政三年の夏以降、黙霖との出会いにより、その思想は条件付ではあるが、討幕へと傾いていった。
 その根底にあるのは、「一君万民」思想と「草莽崛起」の号令による、下級武士達の「維新実現への決意」と言っても過言ではない。

また、幕末のよくみる対立軸に
「攘夷派」vs「開国派」や「尊皇派」vs「佐幕派」といったものが見受けられるがこれらは間違いであり、
前者の対立軸について、ただしくは
「攘夷派⇔撫夷」「開国⇔鎖国」であり、
また、後者については当時は、尊皇以外の勢力は存在しなかったので「佐幕派⇔討幕派」が正しいことになる。

●第三部【グローバリズムかナショナリズムか】
 幕末当時は、西洋という存在に芽生えたナショナリズムであるが、現在は、グローバリズムによってナショナリズムが引き起こされている。
 また、経済情勢によって、全体主義が台頭したりするわけであるが、それらの全体主義は、コントロールを失うと非常に危険な方向に陥ることになり、我々は、このポピュラリズムの危険性をよくよく熟知した上での国民の結束が大事なのである。
 しかるに、単純に、市場原理主義を否定し、反米思想を強めるのではなく、各々の「自覚」によるしたたかさが欲しい。

●総論【自覚的ナショナリズムへのすすめ】
水戸藩などの武士による「攘夷」は西洋列強にたいして、理非をわきまえず、打ち攘(はら)うもので、「信仰的ナショナリズム」であったのに対し、
松蔭や橋本左内の「攘夷」は、国際情勢をしっかりわきまえて、国民一丸となって強国を作り、いざ西洋の国々が不法に侵略してきたときには、打ちはらうべきとする「自覚的ナショナリズム」であった。
我々は、後者に学ぶべきであり、安易に排他的で、反米・反支那・嫌韓と理非を問わず他国を寄せ付けない現代的なナショナリズムではなく、それらについては「自覚的」であってほしい。という提案でありました。

途中、国士舘大学「皇国史観研究会」の活動を紹介し、「日経戦記」の販売を行いました。
皇国史観研究会のレポートhttp://shikisima.exblog.jp/d2006-09-03

鹿爪さんによるレポ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=211843151&owner_id=5020486
Cozyさんによるレポ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=212789400&owner_id=4275929
さいおんじさんによるレポ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=216117810&owner_id=521777

天皇と日本とはいったい何か〜神話と神道からその在り方を考える 第三回06/08/05【告知&レポ】

【告知文】
■「皇室と日本を考える」第三回学習会       
◆8月5日(土)開始時間:13:30〜16:00 (最大延長60分)
◆豊島区勤労福祉会館 第四会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
http://nihon.lar.jp/02.html
◆参加費:無料  参加連絡不要

●今月のテーマ
「天皇と日本とはいったい何か?
 〜神話と神道から、その在り方を考える〜/國山たかし」

※思想家たちを通じて、神道からみた"日本のあり方や根本"という基礎的概念を考えます。
 日本国についての思想家たちの間にある共通部分とそれぞれの特殊な部分とを浮き彫りにし、神話や神道と切り離せない天皇の意義を皆さんとともに考えたいと思います。

 その他、トークディスカッション等、ミニコーナーを予定してます。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
協力:(財)国民精神研修財団 他
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(※このメアドは現在停止)
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第三回学習会の
開催報告

日時:2006年8月5日
会場:池袋勤労福祉会館
ナビゲーター:國山たかし(神道家・女系天皇に断固反対する会代表)

テーマ 「天皇と日本とはいったい何か?
 〜神話と神道から、その在り方を考える〜」

 参加者は十八名前後。関西からご足労いただいた方も数名。初参加三名。年齢層は10代〜40代、職種は大学生、金融・メーカーなど多種多様。今回は講演スタイルよりも、参加者からの質問や参加者同士によるディスカッションを重視して進行しました。これは当会の当初よりの理想とした形でもあります。そのため、冒頭に全員で軽い自己紹介をしあいました。
ーーー
【入門書としての「葦津珍彦」】
まずナビ役である國山たかしより、代表的な右翼思想家である「葦津珍彦」の説明がありました。
この人の話から入る理由は、右翼思想の諸派の中でも思想内容が標準的であり一般的な右翼思想の入門書として良いということです。その思想的な系譜は、西郷隆盛→頭山満→葦津珍彦→野村秋介と続いている。野村氏から直接に影響受けた世代は現在の30代・40代にも多い。(もっとも、葦津珍彦の著作はその文面をそのまま受け取るのではなく、当時の時代背景(戦後すぐ)を考慮して読むべきことと、また、個人崇拝ではなく、葦津珍彦でもおかしなところはところどころないではない)。その葦津珍彦に代表される右翼思想の中には、具体的にいうと以下のような内容がある。

【抵抗と反体制の根拠としての天皇=「一君萬民」の思想】
右翼思想の原点の一つでもある西郷隆盛は、謀叛人であり賊軍でもあった。しかしそれは明治政府への反逆ではあっても、天皇への反逆ではなかった(「ラストサムライ」の世界)。体制の根幹をしめる政治家・官僚・財界・マスコミを悪(=「君側の奸」)とみる時、一般庶民(=「草莽」)は階級を飛び越えて天皇に直結する心情(=三島由紀夫の「恋闕の情」)を抱いて、立ち上がる(=吉田松蔭の「草莽崛起」)。この行動は、「太平記」を通じて語り継がれたヒーロー「楠木正成」と後醍醐天皇の物語を起源として江戸時代から繰り返されてきたパターンである。つまり右翼にとっての天皇とは、政府への抵抗の旗印としての天皇である。

【亜細亜主義】 
頭山満ら代表される亜細亜主義は、アジアが団結して欧米の侵略に対抗しようというもので、当時は「欧米列強vs植民地にされたアジア」という構図があったので、アジアの解放が大きな問題でした。が現在では国際情勢が大きくわかり、欧米が一方的にアジアを支配しているという現実もなく、またアジアも欧米もけして単一勢力ではなくなっているので、かつての亜細亜主義をそのまま現在に当てはめることはできません。またかつての亜細亜主義は東アジアのみをみていたのではなく、イスラム圏までをも研究していた遠大なものでありました。日本のイスラム研究は右翼思想家・大川周明に始まり(彼はコーランも訳している)、ひじょうに進んでいます。イスラム問題については、もし御要望あれば、後日学習会のテーマとして単独に取り上げるかも知れません。

【日本神話】
日本の根本は天皇であり、天皇の根本は天照大神の神勅によります。その神勅とは古事記・日本書紀に伝えられた日本神話にあります。
イザナキ・イザナミの国生み、天照大神の天の岩戸の話、スサノオノミコトの八岐大蛇を退治した話、大国主と因幡の白兎、ニニギノミコトの天降り、海幸彦・山幸彦、そして神武天皇の即位等々。これらは個別の物語としては比較的知られていますが、実は神話の全体の構造として神武天皇の「天皇の位」の由来を説明するものとなっているのであり、バラバラの断片として読んでもお伽噺としてしか理解できないものです。この日本神話の問題については、もし御要望されば、後日学習会のテーマとして単独に取り上げるかも知れません。
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参加者からの質問意見など随時はさみつつ、ざっくばらんに冗談を交えながらのフリートークで、さまざまなテーマで盛り上がりました。
「國體」「万世一系」などの言葉の由来や使われてきた歴史、国体と憲法の関係、日本人の八百万の神々に対する信仰についての疑問や問題点など。(日本人の宗教・神道等については、もし御要望されば、後日学習会のテーマとして単独に取り上げるかも知れません)
最後に、いい機会でしたので、人権擁護法反対運動で活躍中の鹿爪氏に、日経新聞社とTBSの報道姿勢に対する署名運動を紹介してもらいました。
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懇親会は11名。皇統問題・人権擁護法・靖国神社・歴史問題等で盛り上がりました。

なお当日参加した方々の素晴らしいレポもありますのでリンクしておきます。

何にしようかな?さんのレポ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=330068194&owner_id=8474905

みやこ2006邂逅さんによるレポ 08/07 22:20
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=192919588&owner_id=4543782

鹿爪さんによるレポ 08/07 22:49
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1143108283/768

宮家の歴史 第二回06/07/09【告知&レポ】

【告知文】
■「皇室と日本を考える」第二回学習会
◆7月9日(日)開始時間 17:45〜20:00(最大延長20分) 
◆会場:豊島区生活産業プラザ(豊島区民センターの裏)7階第一会議室
〒170-0013 豊島区東池袋1-20-15
http://www.city.toshima.tokyo.jp/sangyo/ids/plaza/ids_plazab.html
TEL:03-5992-701
◆参加費:無料

●今月のテーマ「宮家の歴史/むらさぎ氏(歴史研究家・ライター)」

※世襲宮家とは中世に発祥したもので古代的な制度ではなく、また明治以後はそれ以前の中世・近世の宮家のあり方を大きく変更されたものであること、そのため現在一般にはわかりにくくなっている「伏見宮」の存在意義を浮き彫りにします。その後、参加者とのディスカッション(質疑応答、感想等の気軽な話し合い、あるいは討論など)を通じて、古代・中世・近世・近代と続く推移変遷の中でかわることのなかった皇室の原理と、歴史的条件によって変更しうる制度上の限界をさぐってみたいと思います。

※尚、勉強会終了後、参加者懇親会を予定しております。飲食代適宜。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第二回学習会の
開催報告

日時:2006年7月9日
会場:豊島区生活産業プラザ
ナビゲーター:むらさぎ(歴史研究家・ライター)

 テーマ「宮家の歴史」 第二回学習会は"宮家"とは、いったい何か?
というテーマで、宮家の本質と歴史に触れてみました。

 復帰の願われている旧宮家について、あるいは皇室や皇族について考える場合、昭和22年に皇籍離脱した十一宮家などの近代の宮家の歴史、または一気に遡って古事記・日本書紀の時代について調べてみる人が多いけれども、その間をつなぐ中世・近世について調べる人はあまりいないのではないでしょうか?
 しかし世襲宮家というものは古代には存在せず、中世に発祥したものであり、旧宮家の先祖である「伏見宮」の意義を明らかにするためにはどうしても避けて通ることはできません。

 そこで、古代史や近代史は今回はあえて軽く触れるにとどめ、中世・近世の皇室についてむらさぎ氏より詳しく解説いただきました。

 ◆宮家の誕生!
 中世編では、まず大炊御門宮・六条宮など、世襲宮家の成立以前の過渡的な存在にふれ、世襲宮家がどういう経緯で出現したのかを考えました。

 ◆世襲宮家の誕生!
 次ぎに最初の世襲宮家といえる岩倉宮・四辻宮などが、現在の思い込まれている皇族のあり方とはかなり異なり、臣籍降下と皇族復帰とが割とゆるい区別だったこと等にふれました。

 ◆3種類の皇位正統性理論!
 次ぎに宮家の乱立期に入り、南北朝の思想闘争とともに、常磐井宮・木寺宮など、「それぞれ異なった独自の皇位の正統性理論」を主張する宮家や家筋(系統)が現われたことを解説しました。

 ◆本流「伏見宮」の誕生!
 また、その混乱の中から純正な正統性をもった総本家としての伏見宮が、はじめて皇位を要求し皇位を争うための宮家ではなく「皇統の備え(血のスペア)」としての意義をもったことを語りました。

 ◆時代の権力は、経済基盤を持った女性たち!
 中世編ではまた世襲宮家成立の背後に、皇族の資格の男系継承が絶対であった時代にもかかわらず、古代の女系相続財産の名残として莫大な皇室領を支配して絶大な権力をふるった女性たちの存在がありました。

 ◆近世の宮家の特徴など、中世との変貌
  近世編では、いわゆる「定親王家(世襲四宮家)」が、中世のような男系の血の実系(古代のウヂ制の名残)ではなく、養子でつなぎながら「家(家柄・家格)」を継承するものであったことを解説しました。

 ◆皇室の本家「伏見宮」の近世の皇統
 その中で伏見宮のみは万世一系で実系を守り、後花園天皇以来、皇室の本家としての高い格式を保持したこと、伏見宮以外の三宮家は、はじめから「皇統の備え(血のスペア)」という意義があったがこれは先行する伏見宮の意義をコピーしたものであること、等。また伏見宮の御落胤伝説の背後に江戸前期の覇権抗争があり、この御落胤事件は史上有名な明正女帝の即位・輪王寺宮門跡の発祥・有栖川宮創立などと深く連動した一連のものであったことを示唆しました。

2007/08/10

皇統護持における罠と陥穽〜消去法から見る真っ当なプロセス 第一回06/06/10【告知&レポ】

【告知文】
■「皇室と日本を考える」第一回学習会

幅広い皇室問題への基礎固め!研究なくして運動への信念無し!皇室への認識を深める学習を!!

紀子様の御懐妊をむかえ皇位継承問題がしばし沈静化している今、政局・法律論・経済・大衆文化批評・社会学・歴史・宗教・政治思想・文学・神話など、多方面から知識をもちより、相互の議論を通じて、皇室と日本への理解と皇位継承問題への認識を深めてゆきたいと考えています。

◆日時:6月10日(土)17時30分より。(約2時間ほど予定)
◆会場:豊島区生活産業プラザ(豊島区民センターの裏)7階第一会議室
 http://www.city.toshima.tokyo.jp/sangyo/ids/plaza/ids_plazab.html

●第一部 テーマ「皇統護持における罠と陥穽 〜消去法から見る真っ当なプロセス〜」
 ナビゲーター:元木田蔵

 ※これまでの男系護持運動をふりかえり批判的に検討しながら旧皇族の皇籍復帰への運動的論点を提示し、国民運動によって万世一系の皇位継承を守る具体的見通しをさまざまな側面からみて、世論の喚起とその効果を論証的に推定し、運動の本質に迫ります。

●第二部 ディスカッション(18時30分頃より開始、約1時間ほど予定)
毎回、当日のナビゲーター役を囲んで質疑応答、感想等の気軽な話し合い、あるいは参加者同士での討論などを行ないたいと思います。第一部に参加した方はぜひ第二部にも続いて御参加ください。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
 共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
 協力: 鐵扇會  (財)国民精神研修財団 他
 参加費:無料  参加の事前連絡:メールにてご連絡ください。 info@nihon.lar.jp(注:このメアドは現在停止)

 ※尚、勉強会終了後、参加者懇親会を予定しております。飲食代適宜。

  お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(注:このメアドは現在停止)
  
 http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
皇室と日本を考える第一回学習会の
開催報告

日時:2006年6月10日
会場:豊島区生活産業プラザ
ナビゲーター:元木田蔵

 天皇をどう考えるかという価値観、あるいは天皇に対する親しみ・崇敬心といったものは、国民それぞれに千差万別であろう。が、反天皇勢力は、この20年で相当衰退してきたのは言うまでもない。
  一般国民は、皇室の公務などをテレビや新聞を通じて拝見しそれなりの親近感を覚え、日本という国柄を認識する機会ともしている。が、それだけではいまだ何かが決定的に不足している。今回突如沸き上がった「皇室典範問題」において「女系容認論」が出てきたということがすでに、戦後のGHQの政策及び戦後教育下でいかに国民が天皇・皇族という存在への深い認識の機会を奪われてきたかを物語っているのだ。

今回第一回の学習会のテーマは「皇位継承問題」でした。

 冒頭には、今回学習会の母体である「女系天皇に断固反対する会」代表の国山たかしより挨拶。

 ナビゲーターの元木田蔵氏には
 「皇統護持における罠と陥穽 〜消去法から見る真っ当なプロセス〜」 と題し
 6ページに及ぶレジュメと4ページの添付資料をいただきました。

 これを基に、学習会が進められました。

 大まかな流れとして、

 ・皇位継承問題のこれまで
 そして、皇統護持運動、(万世一系を護る)は、社会運動として、どの位置づけであるべきか、
 それぞれの運動的側面を考えながら、とかく文化運動・精神運動というものによる認知の普及・啓蒙活動の重要性などをお話いただきました。

 詳しい報告は、こちらhttp://www.tetsusenkai.net/official/kouikeisyou/1stmeeting/ 当日の抜き打ちテストに関する元木田氏のラジオ収録は聞き応え抜群です。
(提供 鐵扇會)
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※H28年6月10日「皇室と日本を考える」創立十周年記念日に付記(R02/02/04更新)
「皇室と日本を考える」創立に至るまでの長い歴史
インターネット黎明期の1990年代、ネット上で最初に保守派として政治談義をしていた人たちがいました。それが、ハンドルネームを「國粋主義者」、「心」、「初心者・元気だぞ」(50音順)といった人たちで、当初はたった2,3人だけで議論していました。すなわちこの人たちが日本最初の「ネット右翼」なのです。ネット右翼という言葉は今でこそネトウヨ等といわれ侮蔑語になっていますが、当初は蔑称ではなく、誇り高い自称でした(電網右翼とも。現在でも私は「ネット右翼」にしろ「ネトウヨ」にしろ、自称することこそあれ、蔑称として使うことはありません)。90年代の前半には、すでにいくつかの既存の右翼団体のHPに付属する掲示板に勝手にあがりこんで議論していましたが、H9年(1997)にT-cup掲示板ができると、「マダム神風掲示板」(板主「マダム神風」)を初めとして右翼系の掲示板が一気に花ざかりとなりました。現在では想像もつかないことですが当時は右寄りの言論はマスコミでもミニコミでもなかなか肩身が狭かったこともあり、匿名で発言できるインターネットには、保守派の掲示板が爆発的に増えていったのです。当時の人たちは初対面でいきなり飲み会するとかにも抵抗感のない世代でオフ会もあちこちでやってたので、最初期のネトウヨはたいてい顔見知りでした。それでキャラの濃ゆいネット右翼を派閥別(思想傾向別)に13人づつピックアップしてそれぞれハンネのイメージをマンガ絵にしてネトウヨトランプを作ろうというおふざけ企画があったほどです。H11年(1999)4月29日にはウヨ系の掲示板のいくつかを統合した電網右翼団体「鐵扇會」が結成されました。ちなみに「2ちゃんねる」ができたのは同年5月30日です。「2ちゃんねる」をネトウヨ発祥の地と誤解している人がいますが、ネット右翼は「2ちゃんねる」よりもはるかに古く、前述の通り当初は2chよりもT-cup掲示板が主な舞台であり、2chに主流が移ったのは2002年移行のことです(「J右翼」という言い方は2ch発祥の言葉で、これを自称で使った例はおそらくないと思います)。鐵扇會は、会長の元木田蔵氏は初心者・元気だぞと同一人物で、会員第1号は上記の國粋主義者氏でした。同じく会員の大和士魂氏は國粋主義者氏とともに野村秋介門下で単なるネット右翼に留まらない正統派の右翼でもありました(かたや、心氏やマダム神風氏のように鐵扇會に入らなかったネット右翼もたくさんいました。私も入っていません)。鐵扇會は「2002サッカーW杯日韓韓日呼称交換運動」を始め、かなり長くいろいろな活動をしましたが、それとは別に、旧来の右翼色の強い「憂国系」ネット右翼とは異なる、新自由主義史観から派生して「史観系」といわれた「日本ちゃちゃちゃ倶楽部」(略称:日本茶)等、多種多様なネット右翼も叢生して世間の右傾化に大いに寄与しました。ネット右翼の歴史のすったもんだは面白い話が無限にありますが、それらは省略します。2002年のW杯以降、ネット右翼の歴史は第2ステージに移行し、ネット右翼は一気に大衆化していきました。さらにその後、女系天皇問題が勃発してから、ネット右翼史は第3ステージに突入したといっていいでしょう。鐵扇會とは無関係に、国山たかし氏(上述の國粋主義者氏と同一人物)によってH17年(2005)9月25日にmixi内のコミュニティー「女系天皇に断固反対する会」が作られ、タイムリーな政治問題でしたので500人以上もの方々に登録していただくほど盛況でした(現在では訳あって管理人が別の人になってますが発言数もほぼ停止状態)。同年12月10日(土)には橿原神宮において第一回「皇統の未来を守るオフ」が開催(主催者は今も大活躍しておられる彦十郎先生で、同オフは現在も継続中です)。これに刺激を受け、翌H18年(2006)6月10日、国山たかし氏と孤高の相場師氏(前述の大和士魂氏と同一人物。現在は当会の顧問)の二人によって講演会開催機関「皇室と日本を考える」(初代代表国山たかし)が結成され、第一回の講演の講師を前述の元木田蔵氏に依頼しました。すなわち「皇室と日本を考える」は彦十郎先生の「皇統の未来を守るオフ」から派生した活動体なのです。その後、旧来のネット右翼の一部や、「皇室と日本を考える」のイベントに来駕された方々によって「國體原理主義研究会」も結成され、そのメンバーには代表のたかし氏の他、鹿爪氏、フリーダ氏等がいました(鹿爪氏は後の「皇室と日本を考える」二代目代表となったしか氏と同一人物。フリーダ氏は後に「皇室と日本を考える」三代目代表となったディオ氏のことであり上述の心氏とも同一人物)。このように国粋主義者氏と大和士魂氏の二人は鐵扇會とは別個の活動に移り(ただし最後まで鐵扇會に退会届は出していません)、一方、鐵扇會は次第に活動停止してH22年12月會長自らの独断で解散しました。このように、現在10年の歴史をもつ「皇室と日本を考える」の創立に至るまでには、その前にそのまた10年もの長い経緯があったのです。「皇室と日本を考える」はただのありふれたそこらの勉強会ではありません。今でこそネット上の活動も右翼らしい活動もほとんどしてませんが、由緒あるネトウヨの正統なる後継者であり、現存する中では「日本最古のネット右翼」なのです。

おまけ企画03「古事記を読む会3」07/06/30【告知&レポ】

【告知文】
6月30日(土)「天照大神の研究」&「古事記を読む会3」のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 6月13日(水)03時49分5秒

当会の七月のお知らせの中にある、6月30日(土)の企画内容です。

おまけ企画「天照大神の研究」&「古事記を読む会」

内容■6月30日(土)は、7月7日(土)の伊勢神宮報告会での正統派の学習会とは対称的に、「裏の」天照大神を特集。詳細な内容は未定ですが、
1)海外の太陽神信仰との比較研究、
2)古神道(秘教霊学)諸派での天照大神についての諸説紹介、
3)天体つながりで「月夜見命」の大研究、
4)偽史(超古代文書)における天照大神についての解説など
(あくまで予定。実際と異なる場合があります)。

時間があまったら、いつもの古事記の購読・解説の続きを(内容などは前回のレポを参照)。

日時■2667年06月30日(土)集合:午後1時30分/終了:遅くても午後4時前後(±30分くらい)

場所■JR西日暮里駅を出て西側の交番前で集合。集合後、近所のルノアール2号店に移動
(混んでたら別の店にいきます)

※お店のお茶代以外の参加費などは無料です。

※このイベントは下記↓の07月07日(土)開催のイベント「伊勢神宮と天照大神を語るオフ」のオプションイベントですが、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)http://mixi.jp/view_event.pl?id=19324482&comm_id=334458
(2chでの告知)http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/476
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(※この企画はお蔭様をもちまして無事に終了しました。7月1日記)
http://nihon.lar.jp/kojiki01.html

【レポ文】
「伊勢神宮と天照大神を語るオフ」
[オプション企画・天照大神の裏研究&古事記を読む会/6月30日(土)]
(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)

今回は7月7日(土)の本イベントにのぞむにあたり、6月30日(土)にオプション企画を設け、予習として天照大神について研究などをおこないました(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)。

幅広く諸説をまとめた詳細な特製レジュメが配布され、インカ帝国や古代エジプトなども含めた古今東西の太陽信仰についての比較研究から、太陽神のもつ世界共通の要素を抽出する過程で、ユーラシアにもっとも広範なモデルとして、アーリア系の太陽神ミトラが典型的にみえること、太陽信仰のもつ父性的軍事的な意味と母性的豊穣生産の力の両面、それらの交わりとしての王権=国家の神としての側面について分析、その世界的な比較神話学から日本の記紀にみえる天照大神への信仰や世界観がどういう構造に理解されるのか、そしてそれらが近代にナチスドイツや戦前の日本の戦前の思想とどのようにつながっていたのかを解説。

また川面凡児・友清歓真・荒深道斉・田中治吾平といった神道霊学の諸派における天照大神についての理論を紹介。

また天体つながりで月夜見命に関する諸学説を集大成して解説した上、人間の潜在意識と月の関係を表わす絵図解で心理分析的な話をオマケ的にしました。

最後に、竹内文献・九鬼文書・富士古文書・ホツマツタエなどの所謂超古代文献の語る天照大神についての概略を話しました。

後半は、前回の「古事記を読む会」の続きとして、高天原における須佐之男命の犯した罪穢・天照大神の「天の岩戸」隠れと岩戸開きの神話を読みました。この部分は祓の神事にかかわる重要な部分であり、解説のしがいのあるところです。