【告知文】
■「皇室と日本を考える」第一回学習会
幅広い皇室問題への基礎固め!研究なくして運動への信念無し!皇室への認識を深める学習を!!
紀子様の御懐妊をむかえ皇位継承問題がしばし沈静化している今、政局・法律論・経済・大衆文化批評・社会学・歴史・宗教・政治思想・文学・神話など、多方面から知識をもちより、相互の議論を通じて、皇室と日本への理解と皇位継承問題への認識を深めてゆきたいと考えています。
◆日時:6月10日(土)17時30分より。(約2時間ほど予定)
◆会場:豊島区生活産業プラザ(豊島区民センターの裏)7階第一会議室
http://www.city.toshima.tokyo.jp/sangyo/ids/plaza/ids_plazab.html
●第一部 テーマ「皇統護持における罠と陥穽 〜消去法から見る真っ当なプロセス〜」
ナビゲーター:元木田蔵
※これまでの男系護持運動をふりかえり批判的に検討しながら旧皇族の皇籍復帰への運動的論点を提示し、国民運動によって万世一系の皇位継承を守る具体的見通しをさまざまな側面からみて、世論の喚起とその効果を論証的に推定し、運動の本質に迫ります。
●第二部 ディスカッション(18時30分頃より開始、約1時間ほど予定)
毎回、当日のナビゲーター役を囲んで質疑応答、感想等の気軽な話し合い、あるいは参加者同士での討論などを行ないたいと思います。第一部に参加した方はぜひ第二部にも続いて御参加ください。
◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
協力: 鐵扇會 (財)国民精神研修財団 他
参加費:無料 参加の事前連絡:メールにてご連絡ください。 info@nihon.lar.jp(注:このメアドは現在停止)
※尚、勉強会終了後、参加者懇親会を予定しております。飲食代適宜。
お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(注:このメアドは現在停止)
http://nihon.lar.jp/
【レポ文】
皇室と日本を考える第一回学習会の
開催報告
日時:2006年6月10日
会場:豊島区生活産業プラザ
ナビゲーター:元木田蔵
天皇をどう考えるかという価値観、あるいは天皇に対する親しみ・崇敬心といったものは、国民それぞれに千差万別であろう。が、反天皇勢力は、この20年で相当衰退してきたのは言うまでもない。
一般国民は、皇室の公務などをテレビや新聞を通じて拝見しそれなりの親近感を覚え、日本という国柄を認識する機会ともしている。が、それだけではいまだ何かが決定的に不足している。今回突如沸き上がった「皇室典範問題」において「女系容認論」が出てきたということがすでに、戦後のGHQの政策及び戦後教育下でいかに国民が天皇・皇族という存在への深い認識の機会を奪われてきたかを物語っているのだ。
今回第一回の学習会のテーマは「皇位継承問題」でした。
冒頭には、今回学習会の母体である「女系天皇に断固反対する会」代表の国山たかしより挨拶。
ナビゲーターの元木田蔵氏には
「皇統護持における罠と陥穽 〜消去法から見る真っ当なプロセス〜」 と題し
6ページに及ぶレジュメと4ページの添付資料をいただきました。
これを基に、学習会が進められました。
大まかな流れとして、
・皇位継承問題のこれまで
そして、皇統護持運動、(万世一系を護る)は、社会運動として、どの位置づけであるべきか、
それぞれの運動的側面を考えながら、とかく文化運動・精神運動というものによる認知の普及・啓蒙活動の重要性などをお話いただきました。
詳しい報告は、こちらhttp://www.tetsusenkai.net/official/kouikeisyou/1stmeeting/ 当日の抜き打ちテストに関する元木田氏のラジオ収録は聞き応え抜群です。
(提供 鐵扇會)
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※H28年6月10日「皇室と日本を考える」創立十周年記念日に付記(R02/02/04更新)
「皇室と日本を考える」創立に至るまでの長い歴史
インターネット黎明期の1990年代、ネット上で最初に保守派として政治談義をしていた人たちがいました。それが、ハンドルネームを「國粋主義者」、「心」、「初心者・元気だぞ」(50音順)といった人たちで、当初はたった2,3人だけで議論していました。すなわちこの人たちが日本最初の「ネット右翼」なのです。ネット右翼という言葉は今でこそネトウヨ等といわれ侮蔑語になっていますが、当初は蔑称ではなく、誇り高い自称でした(電網右翼とも。現在でも私は「ネット右翼」にしろ「ネトウヨ」にしろ、自称することこそあれ、蔑称として使うことはありません)。90年代の前半には、すでにいくつかの既存の右翼団体のHPに付属する掲示板に勝手にあがりこんで議論していましたが、H9年(1997)にT-cup掲示板ができると、「マダム神風掲示板」(板主「マダム神風」)を初めとして右翼系の掲示板が一気に花ざかりとなりました。現在では想像もつかないことですが当時は右寄りの言論はマスコミでもミニコミでもなかなか肩身が狭かったこともあり、匿名で発言できるインターネットには、保守派の掲示板が爆発的に増えていったのです。当時の人たちは初対面でいきなり飲み会するとかにも抵抗感のない世代でオフ会もあちこちでやってたので、最初期のネトウヨはたいてい顔見知りでした。それでキャラの濃ゆいネット右翼を派閥別(思想傾向別)に13人づつピックアップしてそれぞれハンネのイメージをマンガ絵にしてネトウヨトランプを作ろうというおふざけ企画があったほどです。H11年(1999)4月29日にはウヨ系の掲示板のいくつかを統合した電網右翼団体「鐵扇會」が結成されました。ちなみに「2ちゃんねる」ができたのは同年5月30日です。「2ちゃんねる」をネトウヨ発祥の地と誤解している人がいますが、ネット右翼は「2ちゃんねる」よりもはるかに古く、前述の通り当初は2chよりもT-cup掲示板が主な舞台であり、2chに主流が移ったのは2002年移行のことです(「J右翼」という言い方は2ch発祥の言葉で、これを自称で使った例はおそらくないと思います)。鐵扇會は、会長の元木田蔵氏は初心者・元気だぞと同一人物で、会員第1号は上記の國粋主義者氏でした。同じく会員の大和士魂氏は國粋主義者氏とともに野村秋介門下で単なるネット右翼に留まらない正統派の右翼でもありました(かたや、心氏やマダム神風氏のように鐵扇會に入らなかったネット右翼もたくさんいました。私も入っていません)。鐵扇會は「2002サッカーW杯日韓韓日呼称交換運動」を始め、かなり長くいろいろな活動をしましたが、それとは別に、旧来の右翼色の強い「憂国系」ネット右翼とは異なる、新自由主義史観から派生して「史観系」といわれた「日本ちゃちゃちゃ倶楽部」(略称:日本茶)等、多種多様なネット右翼も叢生して世間の右傾化に大いに寄与しました。ネット右翼の歴史のすったもんだは面白い話が無限にありますが、それらは省略します。2002年のW杯以降、ネット右翼の歴史は第2ステージに移行し、ネット右翼は一気に大衆化していきました。さらにその後、女系天皇問題が勃発してから、ネット右翼史は第3ステージに突入したといっていいでしょう。鐵扇會とは無関係に、国山たかし氏(上述の國粋主義者氏と同一人物)によってH17年(2005)9月25日にmixi内のコミュニティー「女系天皇に断固反対する会」が作られ、タイムリーな政治問題でしたので500人以上もの方々に登録していただくほど盛況でした(現在では訳あって管理人が別の人になってますが発言数もほぼ停止状態)。同年12月10日(土)には橿原神宮において第一回「皇統の未来を守るオフ」が開催(主催者は今も大活躍しておられる彦十郎先生で、同オフは現在も継続中です)。これに刺激を受け、翌H18年(2006)6月10日、国山たかし氏と孤高の相場師氏(前述の大和士魂氏と同一人物。現在は当会の顧問)の二人によって講演会開催機関「皇室と日本を考える」(初代代表国山たかし)が結成され、第一回の講演の講師を前述の元木田蔵氏に依頼しました。すなわち「皇室と日本を考える」は彦十郎先生の「皇統の未来を守るオフ」から派生した活動体なのです。その後、旧来のネット右翼の一部や、「皇室と日本を考える」のイベントに来駕された方々によって「國體原理主義研究会」も結成され、そのメンバーには代表のたかし氏の他、鹿爪氏、フリーダ氏等がいました(鹿爪氏は後の「皇室と日本を考える」二代目代表となったしか氏と同一人物。フリーダ氏は後に「皇室と日本を考える」三代目代表となったディオ氏のことであり上述の心氏とも同一人物)。このように国粋主義者氏と大和士魂氏の二人は鐵扇會とは別個の活動に移り(ただし最後まで鐵扇會に退会届は出していません)、一方、鐵扇會は次第に活動停止してH22年12月會長自らの独断で解散しました。このように、現在10年の歴史をもつ「皇室と日本を考える」の創立に至るまでには、その前にそのまた10年もの長い経緯があったのです。「皇室と日本を考える」はただのありふれたそこらの勉強会ではありません。今でこそネット上の活動も右翼らしい活動もほとんどしてませんが、由緒あるネトウヨの正統なる後継者であり、現存する中では「日本最古のネット右翼」なのです。