2007/08/20

伊勢神宮と天照大神を語るオフ 七月07/07/07【告知&レポ】

【告知文】
07/07【東京】伊勢神宮と天照大神を語るオフ

日時■平成19年7月7日(土)
第一部:午後4時半集合
第二部:午後5時30分〜午後8時30分くらい(最大延長30分)

場所■
第一部:東京大神宮・飯田橋駅5分
(JR中央線は西口・有楽町線南北線はB2a出口・東西線大江戸線はA4出口
http://www.tokyodaijingu.or.jp/guide/index.html)現地集合
第二部:勤労福祉会館 5F第一和室(池袋駅南口メトロポリタンホテル方向徒歩3分
池袋警察署並び 03-3980-3131 http://nihon.lar.jp/02.html)

内容■
戦前には伊勢神宮の東京における遥拝所でもあり神道の教会でもあった「神宮奉賛会本院」現在の「東京大神宮」に参拝。七夕の夜の願い事として皇統の安泰と繁栄を祈ります。
第二部では別会場に再集合。伊勢神宮参拝レポートや研究解説をお楽しみください。

[第一部]『東京大神宮』参拝
[第二部]『報告&研究』
1【神苑と聖地構成の諸問題】(実地参詣レポートと研究解説)
2【伊勢の和歌】(和歌を詠もう!宮中歌会始にむけて)
3【伊勢神宮の諸相/テーマ別の発表】
(豊受大神・斎宮と女帝・男神説の是非etc)
4【日本人と皇祖神信仰の未来】(討論会)

※第一部・第二部のいずれかのみの参加も歓迎。
事前登録は不要ですが、初参加で待ち合わせに不安のある方は下記のメールまで参加表明して下さると助かります。

○参加費:無料(懇親会参加者は飲食代適宜)

主催■「皇室と日本を考える」開催実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加表明先:info@nihon.lar.jp)
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50

オプション企画■(自由参加。オマケの追加イベントです)
★6月30日(土)、場所・内容などは、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)

【レポ文】
07/07【東京】伊勢神宮と天照大神を語るオフ

【レポ対談】

司会:七月七日に開催された皇室と日本を考える学習会を、本日は各ナビを担当してくださった皆さんと一緒に振り返ってみたいと思います。当日まず、第一部では七夕の日ということで、夕方、飯田橋の東京大神宮に参拝。つづいて第二部では、池袋の勤労福祉会館に移動して勉強会を決行。進行は以下の通り。

第一幕:豊受大神と穀物諸神の研究(しか) 第二幕:公園帝国論~神苑と聖地構成の諸問題(Frida) 第三幕:皇后と斎宮と女帝・天照大神男神説(むらさぎ) 最終幕:歌を学び、歌を詠む(しか)

参加者は計7名うち初参加が1名でした。さっそく第一部の東京大神宮ですが…

しか:あの混雑振りには驚きました。おそらく縁結びを祈るのであろう若い女性がたくさんいましたからね。

司会:境内から浴衣美女の群れがあふれ出してたいへんな賑わいでしたね。いつもなら静寂な神社がどうしたことかと神職にきいてみると、毎年七夕は縁結び祈願の若い女性で混雑するとのこと。公式サイトにはそんなこと出てなかったのに…。想定外の事態で、参拝の長い行列に並ぶはめになり、30分以上もかかってしまいました。

むらさぎ:若い女性たちに長時間囲まれてそんなに悪いきはしませんでしたが(笑) 東京大神宮は、敗戦前は伊勢神宮遥拝所だった所ですが、伊勢と七夕はとくに深い関係あるとは聞いたことがないですね。どういう曰く因縁があるのか興味あるところです。

司会:神社の神主さんはあまり知らないようでした。

むらさぎ:深い意味なく参拝客集めのイベントから始まったのか、何か都市伝説とか雑誌記事で有名になっただけなのかw

しか:まあ、いいんじゃないですか?そんなこと言いだしたら、七夕を新暦で祝っていること自体、ちゃんちゃら可笑しいという話になってしまいますよ。多くの国民が、形はどうであれ神道に接する機会をもつことは悪いことではないでしょうし。

むらさぎ:七夕ってのは本当は乙女座の初日、二十四節気の処暑の8月23、24日のあたりにくるのが…

司会:さて。先に進みましょう。第二部ですが、まず第一幕はしかさんの「豊受大神と穀物諸神の研究」でした。

しか:これは大した発表ではありません(苦笑)。基本的な事柄を押さえつつ、みんなで楽しい雑談をしたという感じです。

司会:そう謙遜されなくても。たいへん勉強になる内容でしたが。ひとくくりに穀物神といいましても、ちゃんと役割分担があるんですね。

しか:そうそう、そうなんですよ。伊勢神宮の外宮に祀られているのが、なぜ豊受大神で他の穀物神でないのか考えてみると、なかなか深いものがありますよね。残念ながら、現在ではいくつもの神が混同されてしまっているきらいがありますが。

司会:つづいて第二幕はFridaさんの「公園帝国論~神苑と聖地構成の諸問題」でした。Fridaさんは実際に伊勢の地を訪ね、両神宮を参拝するととも地域の造園景観を観察して都市文明論の観点から議論を展開しました。伊勢の外苑の風景は実は明治以後にできたもので、当時の日本の公園や都市設計思想が背景にあり、日本における近代設景を巡る試行錯誤があったことを詳細に調べて発表されましたが…。

しか:Frida兄の話はいつも濃い内容で感心させられます。今回の話では、明治以降の開発により伊勢という土地の神聖性が損なわれてきたんですね。

Frida:伊勢の神聖性というか伊勢が象徴する美観が、明治期の神苑=公園造成や戦後の都市計画によって活かされてない、ということです。日本の都市計画は荒んでいる。それを象徴しているのが諸処の公園であり、その代表格である神苑であったり、日比谷公園であったりする。

司会:その現状を指摘し、それに対する打開策として公園帝国論を提案すると。

Frida:公園帝国論は、打開策というより使用できる方法論でありコンセプト。荒んだ都市計画に形作られた都市を、統制的に再編しよう。そのために公園造成を使えば、便利や美に留まらない、聖なる機能をも含んだ都市を編集できる、発想上ね。

しか:公園帝国論とは要するに、神宮と関係ない諸宗教団体施設や民家を破壊して公園とし、それを拡大してゆくことで神聖なる神苑を回復しようという理解でいいですか?

Frida:破壊という言葉は悪い。あくまで再編です。神宮と関係あるかどうかというよりもっと広い視野で考えています。日本の美観、日本の原理との整合性で、建物の様相と配置を考える。その一つの出発点が、広義の伊勢神宮でありえる。神苑は最近できたものであり、別にそれの神聖さを回復することが究極の目標ではない。伊勢神宮を中心とした再編に結びつけて日本の再編を行えば、体系的かつ原理的な都市計画が成し遂げられる。せめて伊勢における機運を通じて、日本の諸地域が日本を基盤とした統制の下に、都会を代表とした文明文化の再編を決行すれば、楽しい。その、祭政を含む自由な発想での改革を、公園という自由なコンセプトの名の下に行うのも、アリだと思う。

しか:力説ありがとうございまいした。僕としては、前半の実地検証にもとづいた鋭い指摘と、後半の公園帝国論の現実離れした主張の落差が単純に面白かったです。

むらさぎ:そこは同感です。まじめに資料あさって細かく実証的な研究発表してると思ってたら、後半いつのまにかドデカイ夢のある国家計画みたいな話になってて、久しぶりに知的興奮を覚えましたね。ワクワクテカテカしちゃいましたw

Frida:面白がって頂けたのは幸いです。公園帝国論は奇抜な発想ですが、実質は都市計画論ですね。日本の自然神、神聖、天皇、遊休、労働、通行、家庭を、どう体系的に繋げるか。店と家と道とを、文明として公の下に最適化するにはどうしたらいいか。その人と人、場所と場所とを纏める空間として、公園なり公園的な諸処の空間様式を考えて欲しいです。

司会:要約ありがとうございました。確かに、日本の公園の多くは巧く活用されていません。しかし現実問題としては、都市計画を全面的にやり直すのは、経済的にも法律的にも困難です。

Frida:そうですね。ちょっとずつ変えてもいいし、災害後や都市移転時や、都市開拓時にやってもいい。極端な場合、戒厳令を発令して、国民の都市と建築物の所有権を区分ずつに一時停止して、徐々に都市再編を行ってもいい。それとも、やっぱり遷都して新しくやり直したり。そこまで広く考えるとますます難しくなるので、取りあえず伊勢神宮の周辺の整理から考えてみると、公園・国立公園という地位とイメージが、自然と宗教と社会とが融合された都市を造るのに、もっと使えるんじゃないかなと思います。伊勢神宮が日本の心であり国立公園であるので、日本の精神の再編は、日本の公園(=>都市=>文明)の再編を介しても進められるし、その両者はお互いの状態を反映するものだと思います。

司会:なるほど、ありがとうございます。つづいて第三幕はむらさぎさんの「皇后と斎宮と女帝・天照大神男神説」でした。

しか:お話では、建国の昔は、女性皇族は特別に高い地位にありませんでしたが、垂仁天皇の御代に倭媛命が伊勢神宮に天照大神をお祀り申し上げて斎宮となったあたりから、状況が変わってきたようですね。

むらさぎ:というか、大昔は、男性皇族ではなく女性皇族だけが宗教的な役割を担った、というような事実はなく、男性皇族が神を祀る役割を命ぜられた記録も多いんです。なので、倭媛命が伊勢に仕えたことも、女性皇族だったのはたまたまにすぎないのではないか、という流れが学界に出てきている、と。「神の妻」だから女性でなくてはならないという折口信夫説も実はかなり眉唾なんです。斎王とか斎宮という決まった言い方も、かなり後世にできたもの。記紀にあらわれる伝説上の斎王たちの性質にはかなりゆらぎがあり、大伯皇女から始まる律令制における「女性限定」の斎王との間には異質な変化が…

司会:時間が残り少ないのであまり長くならないようにお願いします。

しか:それから後は、神功皇后や飯豊青皇女が政務を執り行ったり、推古天皇をはじめとして女性天皇が次々と即位したりと、奈良時代までは女性皇族がかなり活躍していらっしゃいます。

むらさぎ:伝説時代の斎王の時代は、その神功皇后や飯豊皇女など女性皇族が男性顔負けの活躍をした時代をはさんでいて、現代人が想像するような男女差のある世の中ではなかったのです。「ヒコヒメ制」という「男が実権・女が祭祀」という役割分担も、もとは柳田國男とか近代以後の民俗学者が作った構図で、歴史学者は文献から検証できないとして昔から冷ややかであり、最近では折口信夫の「飯豊皇女は巫女的な存在だった」という説にも反論が…

司会:レポですので要約してください。結局、今回のテーマは「斎王と女帝」という話でしたが。

むらさぎ:斎王と女帝は、結局なんの関係もなかったという割り切りができる学者も最近はようやくでてきたようですが、私も昔からそのへんの関係が有耶無耶で釈然としなかったんです。女帝問題と斎王問題の関係がなかなか難しいのは、むりに関係付けようとするからややこしくなるんですね。

しか:古事記や日本書紀が編纂されたのは奈良時代ですから、お話によると記紀もその影響を免れなかったようです。天照大神が女性神とされたのはその時代で、本来は男性神であったというのが学界の通説とのことでしたよね。

むらさぎ:まぁものすごく短くいうとそういうこったい。そういうとまた2chなんかだと「通説」の意味を知らなそうな人が現代人の常識もちだして「そんなこと思ってるやつぁいね〜よw」と反論されちゃうんですが、いかなる学者であっても現代人の常識として「天照大神が男神だと思われている」などという説を唱える学者はもちろんおりません。あくまで「古い時代には」「そう考えられていた」と「推定」されてるということで、そもそも団塊世代の学者の中には神も魂も信じてない人だっているわけだから、「実在の天照大神はどっち?」と学者にきくのもなんとなく微妙な話です。今回の私の話は、あくまでも学界の中での話であって、総合的な最終結論とは限りません。

司会:なるほど。ホツマツタヱですか。

むらさぎ:ちげーよっ! あんた俺の話きいてないでしょ。

司会:いや、言ってみたかっただけです。男神説といえばどうしてもコレは出さないと。

むらさぎ:金かえせって言われかねないからな。

司会:金はとってないですっ! それはさておき、もっとも神様に男も女もあるものかという話もありますね。確かに、天照大神はお天道様のことでしょうが、太陽に男とか女とか言ってもおかしな気がしてしまいます。

しか:陰陽を生物学的にいうと、陽が男性、陰が女性ということですから、自然現象においても陽は男性的エネルギーであり、その自然現象に宿る神は男性神であると考えていいのではないでしょうか。という話がどこかであったように記憶しています。

むらさぎ:それは「昔の人はそう考えていたのだ」と現代の学者が考えている、って話でしたね。あくまで現代の学者の考える天照大神男神説についての部分での説明です。なんかややこしいけどw

司会:時間もありませんので、次に進ませていただきます。最終幕は、しかさんの「歌を学び、歌を詠む」でした。

しか:『君が代はつきじとぞ思ふ神かぜやみもすそ川のすまん限は』といった伊勢にまつわる名歌をとりあげ、本居宣長の歌論『排蘆小船』にふれつつ、実際にみなで歌を詠みました。歌を詠むのがはじめてという方がほとんどだったわりには、皆さん様になった歌を詠まれてびっくりしましたね。やはり和歌は国語による表現ですから、日本人ならたいていの人は作れるものだと思います。このサイトをご覧になってくださった方々にも、是非挑戦してほしいと思います。

司会:和歌の実作は、驚いたことにどういう訳だか、まったく予想に反して今回のイベントで最高の盛り上がりとなり、未完成なものを皆で意見を出し合って作った例もあって、全参加者が、どうにかこうにか最低でも一人一首詠みあげました。一人で何首か詠んだ人もいれば、普段は目立たない意外な人がプロっぽい秀歌を作って賛嘆されたりと、一首一首味わい豊かな歌ばかりでした。むろん実力的にはまだまだですが、歌を詠むのもその気になれば出来るものだと大いに和歌になじんでもらえたことと思います。

むらさぎ:私がいちばん恥ずかしく、へっぽこなジョークというか狂歌(?)でごまかしましたw なんかうまくネタがひねれなかったのでw

司会:では、僕も一首詠んでみました。。。東京の大神宮のお宮には皇統護持の花が咲きけり。いかがでしょうか?

しか:お、なかなか上手ではないですか!これからも折にふれて歌を詠んでみてください。

司会:ありがとうございます。今回のイベントは、七夕参りではらかずも日本の伝統習俗を味わうことができ、Fridaさんの緻密な資料調査に基づく甚だ学究的な講演にうならされ、むらさぎさんの難しい話なのになぜか分かりやすい解説、しかさんの授業は子供に帰ったような楽しい和歌作りの会となり、ずいぶん盛りだくさんで贅沢なイベントとなりましたね。このあとの懇親会もよかったです。以上を以てご報告とさせていただきます。(終)