2007/07/20

おまけ企画02「古事記を読む会2」07/05/26【告知&レポ】

【告知文】
5月26日(土)「朝香宮家の研究」&「古事記を読む会」のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 5月19日(土)17時22分18秒

当会の六月のお知らせの中にある、5月26日(土)の企画内容です。

オプションイベント「朝香宮家の研究」&「古事記を読む会」

内容■5月26日(土)は、6月2日(土)の朝香宮邸訪問の予習編として、「朝香宮家」の歴史と、その家風や特徴、また朝香宮にまつわる方々についての基礎知識などの解説をやります。時間があまったら、前回に好評だった古事記の購読の続きを。(内容などは前回のレポを参照)。また最後に今後の企画について簡単な意見交換をやるかも知れません。興味ある方はぜひ当日ご意見などお寄せください。

日時■2667年05月26日(土)集合:午後1時30分/終了:遅くても午後4時前後(±30分くらい)

場所■上野「グリーンサロン」で集合(JR上野駅上野公園口でて目の前の上野公園に入ってすぐ右)
http://www.freespot.com/tankentai/16.html
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/restaurant038.html
集合後、近所の別の店に移動(ひょっとしてもしらしたらそのままその場所でやるかも)

※お店のお茶代以外の参加費などは無料です。

※このイベントは下記↓の06月02日(土)開催のイベント「朝香宮邸宅訪問@大正シック」のオプションイベントですが、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)http://mixi.jp/view_event.pl?id=18517393&comm_id=334458
(2chでの告知)http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/307
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(※この企画は、御蔭様をもちまして無事に終了しました。5月27日記)
http://nihon.lar.jp/kojiki01.html

【レポ文】
第二回 古事記を読む会 主宰者レポート

[オプション企画・朝香宮の研究&古事記を読む会/5月26日(土)]
(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)

今回は6月2日(土)の本イベントにのぞむにあたり、5月26日(土)にオプション企画を設け、予習として朝香宮家についての詳細な研究発表および討論をおこないました(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)。貴重な情報をまとめた詳細な特製レジュメが配布され、朝香宮家の由来、皇位継承順位、現在の皇室との血のつながり等を他の旧宮家と比較し、さらにカトリック信仰や本イベントで訪問する邸宅のアールデコ様式などフランスとの関わり、そしていわゆる南京事件との関係など、多面的に朝香宮鳩彦王の人物研究と家系の特徴・家風を考察し、皇籍復帰の諸条件や可能性について討論しました。
時間が余ったので後半は、前回の「古事記を読む会」の続きとして、記紀の時代の「宮家」ともいうべき継体天皇の祖先の家系の、発祥の物語として応神天皇の皇子たちの部分を購読しました。
応神天皇が三人の皇子に役割分担を命じた理由と当時の政治事情、それが実現しなかったのは「儒教」の影響であること、それによって皇位を継ぐべき人の血筋が絶え、新たな皇胤に移ったこと、応神記の末尾に挿入されている神話が現実の兄弟争いを反映していること、その神話の神である阿加流比売神が祀られていた場所が、継体天皇の祖先である杙俣長日子命の住んでいた所と同じであり、継体天皇の家系に当初から特別資されていたこと等の解説がありました。

おまけ企画01「古事記を読む会」07/05/04【告知&レポ】

【告知文】
5月4日「古事記を読む会」詳細のお知らせ
投稿者:皇室と日本を考える
投稿日:2007年 5月 2日(水)16時32分42秒

当会の五月のお知らせの中にある、5月4日(金)の企画内容です。(5月2日再投稿・変更なし)

オプションイベント「古事記を読む会」

内容■5月4日(金)は、「古事記」の読み下し文(現代語じゃないやつ)の購読・解説をやります。古事記のどの部分をやるかは参加者の希望で適当にきめます。国文学・歴史学などの方面はいうまでもなく、人類学・神秘主義(神道霊学等)・政治思想・世界史・國體論などあらゆる観点からの見方を提示します。

日時■2667年05月04日(金)開始:午後1時30分/終了:午後4時前後(±30分くらい)

場所■東京都豊島区「勤労福祉会館」5階 第三和室(豊島区西池袋2-37-4 池袋南口からメトロポリタンホテル方向に徒歩3分  池袋警察署ならび TEL:03-3980-3131 http://nihon.lar.jp/02.html)

※事前登録などは不要です。参加費などは無料です。

お願い■どこの出版社のものでもいいので、もし文庫本の「古事記」等おもちの方はご持参ください。わざわざ買わずに手ぶらでかまいません(資料を配布するので大丈夫です)。もし新規にお買い求めになられる場合は、岩波文庫や講談社学術文庫よりも角川文庫を推奨。(どれでもいいですが)

※このイベントは下記↓の05月03日(木)開催のイベント「昭和の日制定と昭和天皇」のオプションイベントですが、内容的にはとくにつながりはないので、これとそれと、どちらか一方だけの参加でも歓迎です。
(mixiでの告知)http://mixi.jp/view_event.pl?id=17669638&comm_id=334458
(2chでの告知)http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/280
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(※この企画は、盛会のうち無事に終了しました。5月5日記)
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
このイベントは、「皇室と日本を考える」昭和の日制定イベントのオプションとして
平成19年5月4日に催されたものです。

第一回 古事記を読む会 主宰者レポート

[オプション企画・古事記を読む会]
(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)
この企画は、通常企画が決まる前に会場を抑えているため、今回五月の企画が遠足に決まった後、会場が浮いてしまい本来なら解約する手もあったのですが、解約金がもったいないのでどうにかしようということで適当な内容ながら急遽きまった企画でした(この内容の告知はhttp://8809.teacup.com/imperial/bbsにあります)。
まず、書店で手に入る各出版社から出ている何種類もの「古事記」を比較して、おすすめの理由や、逆におすすめできない理由を紹介。これらの議論を通じて質問を受けながら古事記についての概説。本日のお題はあくまで「購読会」ですので、これらの解説は軽く流して、参加者から「読みたい部分」のリクエストを受け付けた結果、神武記・垂仁記・雄略記・武烈記を読むことになりました。休憩時間を利用して古事記該当部分のコピーを作って配布(テキストは幸田友成の読み下し文)。神武記は久米歌条、垂仁記は多遅摩毛理条、雄略記は一言主神条、武烈記は全文を音読してから、特定の難しい単語の読み方や意味の解釈について諸説を紹介したり、質疑応答しながら全体的な解説を加えたりしました。時に「日本書紀」の文を紹介して補足紹介した部分もあります。
・神武記久米歌条では、純朴さと野蛮さが未分化の生命観や古代の軍事制度・軍事組織の解説、「撃てしやまん」の元ネタであること、今も宮中雅楽で奏される伝統歌になってること等。全員で唱読もしました。
・垂仁記多遅摩毛理条では、朝鮮半島はじめ海外との関係や冒険家としての多遅摩毛理についての通常学説と超古代史説、その氏族・家系の祖である天之日矛、子孫にあたる神功皇后ほか代々の活躍、「ときじくのカクの木の実」の謎、お菓子の神様として今も信仰され、戦前には多遅摩毛理の生涯をかけた忠義が小学校唱歌になっていたことなどの説明。
・雄略記一言主神条では、雄略天皇の人物像と、その成長の足取りと一言主神との出逢いの関係、また一言主神の鎮座は、大国主神の国譲りに由来し皇室を守護する四つの神奈備の一つであり、楠木正成の本拠だった金剛山の神でもあること、隠身(かくりみ)の神が現身(うつしみ)を現わすという神霊現象についての神秘主義の教説(秘教霊学・神道霊学の序論程度)など。
・武烈記全文では、武烈天皇が日本最初の少年天皇であり、英邁でもありかつ残酷であったとする日本書紀の矛盾した人物説明についての複数学説の紹介から奥行きある人物像を描き、聖帝といわれた仁徳天皇の嫡流であり同時に英雄と崇められた雄略天皇の血をひく唯一の男子であって特別な権威をもっていたこと、継体天皇の出自をめぐる諸論、ありがちな王朝交代説への歴史学説としての批判など。
(ほかに遅刻してきた参加者から、神功皇后条のリクエストもありましたが時間切れ)
リクエストを当日その場で受けるというスタイルのため必然的に事前の準備がない状態で、後から思えば大事なことを話し忘れていたり不確実な説明になった部分もありましたが、告知の通り、国語学・人類学(民俗学)・歴史学(古代史論争)・神秘主義(心霊問題や超古代史)・國體(日本人の精神や戦前文化との関係)等々、幅広い面から盛り沢山な話になったかなとは思います。
なお今回の最中に、伊澤甲子麿(いざわきねまろ)氏が飛び入りでいらっしゃいました。三島由紀夫の友人であられ、八十を越えながら我々より(?)元気なくらいの方で、今でも講演活動などで活躍中の有名人です(ネットで検索しても情報あります)。東洋道徳の尊さ・重要さを訴えられ、我々の活動に心強く暖かい応援の言葉を賜りました。(むらさぎ)

尚、このイベントは好評のためいづれ第二回開催を予定しております。(事務局)

ご要望ご感想は、掲示板にてご投稿ください。(古事記を読む会事務局)

旧皇族・朝香宮邸訪問@大正シック 六月07/06/02【告知&レポ】

【告知文】
06/02【東京】旧皇族・朝香宮邸訪問@大正シック

旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)を訪ね、伏見宮皇統の存在を体感し、
その現状や未来に思いを馳せつつ、同会場で開催中の「大正シック」展の見学を通じて、
大正文化の現代性や我々の生活文化の未来などを語り合いたいと思います。

日時■平成19年6月2日(土)午後1時集合
場所■JR山手線目黒駅、中央改札口みどりの窓口前に集合、徒歩で東京都庭園美術館へ
(連絡手段を確保できてる方は、中途合流可)

○見学先の詳細「東京都庭園美術館」 http://www.teien-art-museum.ne.jp/
・会場入場費/一般1000円、学生800円

○事前の参加表明がなくても参加歓迎ですが、初参加で面識のない方は
人数把握のため、事前に参加表明した方が便利です
(下記のmixiの関連コミュや2chのスレで表明でも、または問い合わせ先へメールでも可です)

主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加表明:info@nihon.lar.jp)
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50
ーーーーーーーーーーー
オプション企画■(自由参加。オマケの追加イベントです)
★5月26日(土)、場所・内容などは、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)

【レポ文】
皇室と日本を考える第13回学習会開催報告

日時:2007年6月2日
会場:旧朝香宮邸

テーマ
『旧皇族・朝香宮邸訪問@大正シック』
 天気にも恵まれた六月二日土曜日、当学習会では旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)を訪問するとともに、同邸内で催されている『大正シック』展を見物してまいりました。
 
 朝香宮邸は、朝香宮鳩彦(やすひこ)王の意向により、当時欧州を席巻したというアールデコの様式を全面的に取り入れて建設され、昭和八年に完成したものです。

 現在では、築七十年になるということで、外観はいい感じに古ぼけていますが、驚かされるのはその広さと凝った内装です。現在の筆頭宮家である秋篠宮の邸ですら、このような大きな、そして凝ったものではまったくありません。古きよき日本の姿が偲ばれました。

 一方で、このような場所が、本来あるべき持ち主の手から離れてしまっている現状を悲しく感じたりもいたしました。一通り邸内を拝観してからは、付属の庭園で暖かな陽光を浴びつつ、宮様気分で愉快な歓談。参加者は九名。お忙しい中、集ってくださった皆さんに感謝いたします。 (鹿)

『昭和の日』制定と昭和天皇 第十二回07/05/03【告知&レポ】

【告知文】
05/03【都内】「皇室と日本を考える」

◎五月のテーマ「『昭和の日』制定と昭和天皇」

今年はみどりの日がついに「昭和の日」と改まった最初の年。これを記念
して5月は特別企画として、昭和天皇の帝徳を偲び、多摩御陵参拝と、
昭和天皇記念館の見学を催します。見学後は昭和記念公園を散策しながら
青空の下で昭和天皇の御事績を語り合い昭和史を振り返ってみましょう。

日時&場所■平成19年05月03日(木)
第一部[多摩御陵参拝]:午前11時、JR高尾駅北口改札でたところ集合。目印にミニ日の丸(手旗)もってる人がいます。
第二部[昭和天皇記念館見学]:午後2時、記念館前ロビーで集合。JR立川駅徒歩13分。http://www.f-showa.or.jp/2_jigyo/accessmap.html

★イベントの詳細な案内はこちらでご確認ください→ http://nihon.lar.jp/

・オプションイベント(自由選択参加)
05/04午後1時半、池袋にて。詳細は、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)

主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加登録:info@nihon.lar.jp)(※このメアドは現在停止)
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458

(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第12回学習会報告

日時:2007年5月3日
会場:八王子 多磨御陵 立川市昭和記念公園

テーマ『昭和の日制定記念/昭和を振り返る』

 [参加者数]
第一部の御陵参拝・第二部の記念館見学・翌日のオプション企画、それぞれ参加者は毎回八名づつ。
全部に参加した人は五名。第一部と第二部の両方の参加者は二名。第一部・第二部のどちらのみの参加者は各一名づつ。オプション企画のみの参加者は三名。重複さしひくと全部で十二名の参加でした。
この中には、久しぶりに北海道からかけつけてくださった方もいらっしゃいました。その他に初参加の方は三名(飛び入り一名含む)でした。

★今回のレポは、これから御陵参拝や記念館見学にゆかれる方々へのルートガイドも兼ねています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■[第一部・多摩御陵地参拝]

JR高尾駅までは大雑把に東京から1時間半弱、新宿から1時間弱。当日は11時に高尾集合でした。高尾駅から多摩御陵まではバスがあるが途中までしか行かず待ち時間も入れると時間短縮にはならないので今回の企画では全行程徒歩にしました。経路は正規ルート「けやきの道」の他に近道が二つあり、一つは「川のせせらぎの道」、もう一つは「四季おりおりの木々の緑の道」。近道といっても10分くらいしか短縮されないのと、遅れた人の合流を考え、往路は「けやきの道」を選びました。この正規ルートだとスタスタ歩きでも参道入り口まで12、3分。(やはり徒歩30分程度のところにもしろいろ史跡があるようで、別の機会には一日かけてこの一帯をみた方がおトクかもしれないです)。そこから御陵域の入り口までまた坂道を12、3分。(この間、もし桜の季節ならば都営南陵公園の広大な桜がみごとで、お花見気分も楽しむこともできるところ。都心の桜より色が薄く、明るいところではなんともいえない清らかな桜です。今回は季節的にむりでしたが)。

今回の謹製レジュメとして昭和天皇の御製集が配布され、それを拝読しつつ昭和天皇の遺徳を偲び、あるいは語らいながら、御陵の前に到着しました。

陵域に入って数分歩くと、武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)が。香淳皇后の御陵は、下方部分が美しい茶色の石で、上品かつ女性らしい印象。昭和天皇香淳皇后の両陵は、畝傍山東北陵(神武天皇)とも伏見桃山陵(明治天皇)とも異なり墳丘の全体像がみえるので、いかにも「お墓参りしている感」があり、なんともいえない親近感、開放的な広がり感や爽やかな印象がある所も、奈良・京都の皇陵とやや異質な印象かなと思います。柏手の音もさわやかに、心ゆくまで拝礼。

さらに数分歩くと多摩陵(大正天皇)と多摩東陵(貞明皇后)が。大正天皇の方が周辺の木々が伸びてやや神秘的。また上円部が上の方に高く伸び、威圧的な堂々としたものでイメージが他の三陵とかなり違いました(四つともすべて上円下方墳)。大正天皇陵には高い石段があり、貞明皇后陵の方も段が高くなっており、どっちも近くに寄るとみえなくなってしまうので拝む時の立ち位置の距離の取り方が難しい感じがしました。大正天皇貞明皇后の両陵は、一転して奈良の神武天皇陵、京都の明治天皇陵に雰囲気がいくらか近いかも知れません。柏手の音も高らかに、神妙に拝礼。

景色といい、天気がよくて最高でした!(当日の5/3は例年の晴天特異日です)。晴天に恵まれたり、大御歌にふれたりもしつつの参拝だったせいもありますが、大和魂をもたるる方ならば、大正天皇や昭和天皇との魂の交感を存分に楽しむことができる聖地であると確信いたします。都内で忙しない生活に追われているとなかなか御陵まで足を運ぼうという気にはなりませんが、ぜひ一度おすすめしたいです。
神武天皇陵も明治天皇陵も、まがりなりにも街中にあるのに対し、この多摩御陵地はいかにもな山奥にあるイメージなので、神武・明治両帝よりもはるかに広大な御陵という印象で、ややアンバランスな印象を受けるかも知れません(実際の面積はむしろ多摩御陵地の方が狭いかも知れないけど)。
御陵の境内はほどよく参拝客で賑わっていました。管理事務所で「印」を貰った人もしました。関西の管理事務所では、御陵のパンフ等なんにでも御印を自由に押させてくれますが、ここは関西とは異なりかなり役人体質で、神社などの御印を集める専用の御印帳以外には拒否されました(しかも参拝者が自分で押すのでなく、役人に押してもらうシステム)。

四陵参拝して入り口に戻るまでにまた数分はかかり、気候のせいもありますがかなり薄着をしてきてもすぐ暑くなります。遅れてきた人の合流を気にかけつつの、かなりのんびりした漫遊でしたので、歩き通しではありましたが、体力の自信のない人や肥満気味の人が同行していても楽だったと思います。
高尾駅に戻ってからは近くで名物のとろろ蕎麦を喰いつつ楽しく雑談がてら一休み。
中央線で立川へと移動。高尾駅と立川駅の間は片道約20分。

■[第二部・昭和天皇記念館見学]

立川駅と新宿駅の間は4、50分くらい。立川駅と東京駅の間は50分〜1時間くらい(特別快速だとさらに10分短縮) 。昭和天皇記念館と立川駅の改札との間は徒歩12、3分。昭和天皇記念館は、広大なる昭和記念公園の一角にありますが、昭和公園は「有料区」と「無料区」とがあり、記念館は「無料区域」の側にあります。なので、公園料金は不要で入館料500円だけで済みます(ただし開園日時は有料区と同じ)。

(ちなみに昭和記念公園ですが、有料区は400円。中にもいろいろあり。子供向けの半端な遊園地色もありますが、広大さのためかおおむね自然そのままの印象も。別の機会にどうせ来るなら朝から一日かけてのんびり散策しないと損かも知れません。園内レンタサイクルもあり)。

さて、昭和天皇記念館は、昭和公園の無料区の中の建物の中にあります。この建物の屋上は「空中庭園」になっており、ややモダンアートがかった感じがします。

昭和記念館の中のスペースはそんなに広くはなく、館外のロビーまで展示物がハミ出してます(つまり一部は無料でみれる)。

中は、昭和天皇の出生から崩御までの一代記、まつわる品々。漆塗りの赤ベンツ、お召し列車、全国行幸の記録、詔勅の原稿の本物そっくりな複製、9分間のビデオ上映。その他いろいろ。
われわれ一行は日の丸の小旗をもっていたので、職員の方からにこやかに話しかけられたりして愉快でした。
以前にはこの館でも「人間宣言」として展示されていた昭和21年年頭の詔書も現在ではちゃんと「新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)」と書き改められており、関係者各位の努力に敬意を表したいと思います。
ビデオ上映はこの記念館の名物で、昭和という激動の時代を多くの映像で振り返り、涙あり笑いあり悲哀あり感動ありの充実した内容で、昭和天皇が戦後を作ったといっても過言ではない偉大な功績に感激しない人はいないでしょう。
館内展示の最後は生物学者としての昭和天皇という重要な側面を詳細にフォローした展示になっているのも素晴らしいものです。総じて見学にはいい場所で、連休のせいか見学客もかなり賑わっていました。

見学を終えてからは、館外ロビーにて懐かしの昭和時代をふりかえる各種展示系イベントもやっており、これらも存分に楽しめました。

午後5時、記念館と立川駅の間にある「バーミヤン」で会食。歩き通しで疲れた割りには、初めて顔を合わせた方も交え、御陵参拝と記念館の連続で気分が高揚していたのか、夜遅くまで盛り上がって実に楽しい交流会となりました。

ミクシィにFridaさんと鹿九郎さんによるレポがあります↓
http://mixi.jp/view_event.pl?id=17669638&comm_id=334458

蓑田胸喜の人生宗教〜神ながらの道入門(神ながらの道〜天皇論をめぐる蓑田胸喜の言語魔術:改題) 第十一回07/04/01【告知&レポ】

【告知文】
04/01【東京】「皇室と日本を考える」学習会(第十一回)

日時■2667年04月01日(日)午後1時30分〜午後4時00くらい(最大延長30分)

場所■東京都 (勤労福祉会館5階 第一・二和室 豊島区西池袋2-37-4
池袋南口からメトロポリタンホテル方向に徒歩4分池袋警察署ならび
TEL03-3980-3131 http://nihon.lar.jp/02.html

◎四月のテーマ
「神ながらの道〜天皇論をめぐる蓑田胸喜の言語魔術〜」(担当:Frida)

戦前、機関説の美濃部達吉や神話否定の津田左右吉を始めとする多くの学界
の権威を、愛国憂国の立場から、執拗激烈に批判追究した「原理日本社」。
その筆頭こそ蓑田胸喜である。
純情な少年が明治の風潮に乗じて、文学のロマンと哲学の苦悩にもまれつつ、
いつのまにか論壇界における護国の「狂気」となり、終戦後ひそかに自決。
壮絶ながら地味、地味ながら壮絶な彼は、結局、何を伝えたかったのか?
彼は何に魅せられ、何を守ろうとしたのか?蓑田胸喜の魅力と人間性に迫る。

○参加費:無料(懇親会参加者は飲食代適宜)

主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先:info@nihon.lar.jp)(※このメアドは現在停止)

共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
共催■万世一系の皇統を守る会
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1147608766/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第11回学習会報告

日時:2007年4月1日
会場:豊島区池袋 勤労福祉会館

テーマ
『蓑田胸喜の人生宗教〜神ながらの道入門(思想史研究家/ Frida)』

 Fida氏が、蓑田胸喜の引用を使い、レジメを簡潔にまとめました。

 蓑田胸喜の人生宗教〜神ながらの道入門

<レジュメ:第十一回「皇室と日本を考える」学習会『蓑田胸喜の人生宗教〜神ながらの道入門』(by Frida)>(「」内は、全てか、ほぼ全て、蓑田胸喜の引用。『』は私による強調用。)

「私自身は早く父親を失ったのですが、五つの時のことで父の顔はぼんやり覚えて居ります、お葬式の有様、母と一所の車に乗って行ったことを覚えて居る、それが最初の記憶でります。それでそういう事に限らず、人間の自覚意識というものは障碍とか欠乏とかいうものを感じた所から起り発達すると思います。」

蓑田胸喜の原体験の発端とはーーー『死』。孔子も、早く親を亡くし、その『死』から、強い『孝』の念に移り、『詩』(歌)を介して、『礼』に至った。蓑田は、『死』から『忠』に移り、『言』(歌)を介して、『道』に至った。道は、ここからそこへと、そこからそこへと、進まれる。進む主体、進む過程、進む場所が合致する処が、道。始めから終りまで、人は道と共に在り、道は人と共に在る。では、人道は、何処に向かうのか?

先ず、出発点に戻ろう。

「赤ん坊が生まれて泣く、それはやはり食べるものを求めて居る、欠乏を感じて居る、お乳を飲んで満ち足りるとスヤスヤ寝ってしまう、お腹が空くとまた泣く、その泣くということは生命の自覚であると思います、或は何か痛い目に遭わされるとやはり泣く、そういう事を重ねて行く中に自意識というものが意志の過程として次第に形成されて現れて来るのであります。」

『空腹』ーーー心身の空腹が、人を、旅へと駆り立てる。食料へとの旅、知恵へとの旅、夢想へとの旅、冒険へとの旅、平安へとの旅ーーー『人生』と言う旅。心身の糧へとの旅は、『食物(ヲシモノ)の道』を辿る。その道をどう称そうと、その道に於いて具体的に何を求めようと、歩むのは『私』である。人生の道筋は、自己に始まり、自己に行き着く。その自己は、『死』に辿り着く。『生』なる自己と、『死』なる自己。自己が生まれる『以前の世界』と、自己が死んだ『以後の世界』。そこに介在する『真理』とは何か?『私』とは誰か?

『卵が先か、鶏が先か?』ーーー永遠の逆説。『産みの親が先か、産む事が先か?』ーーー未分は未分だ、と言う他無い。どちらにしろ、何らかの創造主体か創造原理が、人類の誕生以前から存在した、と言う事に、変わり無い。自己を知る旅は、過去の道を歩む。過去とは歴史であり、知られ得る歴史は、記録された、文献史としての歴史ーーー『言の葉の道』である。その文献史の原点は『歌』であり、日本の場合『和歌』であり、『敷島の道』である。その原点の岬から見渡せる『歴史以前の世界』が、『神世』。その世界に連なってある道が、『神ながらの道』であり、『マコトの道』である。『真理』は『神』に連なる。『神』に連なる『コト』が、『マコト』なのである。

人類以前から存在する、自ずから然り為す現実は、神から与えられた『ミコト』であり、その現実を参照してこそ、真理は開示され得る。刻々と変じる現実を、体験や追体験する事を通じて、人は神と結ばれる。その道程が、自己発見のみならず、自己形成の過程であり、全的連関の自覚過程であり、全的感覚の融合向上である。現実に於ける全ては、全的連関の一環として、存在する。『人の道』は、『食物の道』、『言の葉の道』、『敷島の道』、『神ながらの道』、『マコトの道』を介して、『神世』に連結してる。『私』は諸々の『コト(言/事)』を通じて『神』に繋がってる。

過去に於いて知り合う『私と汝/神』は、現在に於いて、未来に向かって為し合う『私と汝/神』である。『私』の自覚とは、『歴史』や、歴史の根源たる『神世』との『対照』で以て、成立深化する。『私で在るコト』、『私と成るコト』は、『神』と共に成立する。その大切なる『私』に対する絶対的脅威たる『死』ーーーこの「人類に平等なる自然必然の運命ーーー『死』の事実」、「この事実から対照強化的に促さるる」のが「『永久生命の希求』の心理」である。

その希求は、『意義』の重視に繋がる。『意義』は、『霊魂』化されたり、『霊魂』観は、『輪廻』の世界を想い起こす。ウパニシャッド思想では、様々な『輪廻』観が想像されたが、その一つに『五火二道』説がある。曰く、人の魂は、死に際して、祭火に託されて、(1)月に入り、(2)雨となり、(3)地に下って食となり、(4)食されて精子となり、(5)収められて母胎に入って産まれる。曰く、死後の道は、神道と祖道の二つあり、神道は、死後梵界に達して再びこの世に帰って来ない道であり、祖道は、死後五火の順序で再びこの世に産まれ帰って来る道であり、何に産まれるかは前世の業(行為)によって規定される。

『日本の神道』は、解脱より、『循環の道』を志向した。『継承の道』である。原理日本社は、『意義』の『継承される場所』と『継承する主体』の実践単位として、『祖国』=『日本』を認識した。対照するべき事実の総合は、全世界や全宇宙である。が、全世界は混雑であり、全宇宙は混沌である。『継承』と言う集団的、系統的な行為を遂行し得る、最低限度の纏まりと最大限度の広がりを有す単位とは、『祖国』だ、と彼らは認識した。日本に於いて、『祖国』を原初から統べるのが、『皇統』である。日本の、『生命の系統』は『皇統』であり、『皇統の継承』が『生命の継承』を意味する。『皇室』は、『神世』と『日本史』を繋ぎ、現在に応じて関係を継承しながら更新する。復興即維新の精神である。

『人生』と言う『人道』は、遥か原始から在る『神道』、原始以前から根源として在る『神世』と結ばれてるが故、「人生の原理はあくまで人生そのもののうちに求むべし」。『人生』の『解決』は、『人生』に内在する。併し、「黄金、名誉、富貴、権勢等一切の外在物質または悪魔、善神、正義、人道すべてそれらの概念名目によっての仮定解決、簡易解脱ではない」、「それら一切の条件仮定を滅尽渾融せしむる無解決の情意的直接解決、希有最勝深妙の不可思議解決」、「人生による人生の解脱」が、『マコト』の『解決』である。超越即内在が、『マコト』の超越である。

『人生』即『解決』でありながらも、その『人生』も『解決』も、根源的には、「名つくべからず、説くべからず、測るべからず、思議すべからざる全的神秘」であり、「説明すべからざるもの」であり、「変転生成連続無窮の運動活動の世界」であり、「全的流動の過程」である。『人生』の『解決』を巡る「個々の奇跡的予言的神秘をとく神秘主義は迷信として打破」した後、「悲劇的無解決の無窮開展としてのあるがままの人生そのものが残るのみ」。ここで、『人生』と言う『解決』は、同時に『無解決』だ、と評された。それは、『人生』が「過程的展開、生成する無限であり、完成したる無限ではない」からである。「完成したる無限ではない」=『無解決』であり、「過程的展開、生成する無限であり」=『解決』だ、と言う意味である。

「人生の全的驚異としての神秘感」、「その背後に何物の存在をも認めぬ」、「無神秘主義」、「無深刻主義」、「あるがままである」、「そのままである」、「動いているだけである」、「それだけである」、「それが一切である」。それを敢えて「客観化し確証し伝統するもの」が「『人生の表現』としての『芸術』」である。そこに、「運動活動の世界の分析抽象」としての「神と仏とを要せざる現代のわれらの芸術的人生宗教」が成立する。(「変易無常の個体個人またはその目的分化による理論的実体化としての神仏の崇拝は共に迷信である。」)それが、「無宗派的人生宗教」であり、「不無涯底の動乱的人生」に於ける、『人の生き方=人生』であり、『人道』である。

「人生の『未来』」は、「理想、空想、希望、希願、疑惑、憂慮の対象」であるが、「未来は予言すべからず」、「われらに与えられたるものはただ過去と現在とのみ。」その「現在」とは、「実行活動の世界」。そして、理想の『人生』とは、その「現在」に於いて、「不断の交通と改革によって合成創造せらるるところの世界全人類生活の流動的開展に随順することによりてのみ実現せらるべき」であり、「そのために内外物心一切の迷信障碍を打破」するべきである。この不断の現実相応の芸術的な創造は、「現実的経験と思想信念」に基づく「芸術的表現」に拠る「直示」を意味する。言わば、『人生』とは、『宗教』としての『人生』、『芸術』としての『人生』とに分別され得る。「芸術の究極は宗教であり、現代に於ける宗教は芸術である。芸術に帰趨綜合せらるる文化である。」

「いま芸術とは何ぞや?というに就いては、自然をも含めての人生の表現であって、その模写ではないということ」、「あらゆる時を通じ、人に内在し、法に作用して、それらと共に働き、それらを補足し、または君臨的に支配する人類精神生活の究極原理であり、その直接表現である」。「芸術的鑑賞或は創作というもののうちには、哲学が求めて已まぬところの道徳や宗教の理想が観念媒介の迂路によらず直感的感覚的形式に於いて実現せられる」。「これ実に「神ながら言挙げせぬ国」と形式論理を否定しつつ、然しながら同時に「言霊のさきはう国」と、いいつぎ語り継ぎ来った日本精神と日本語との削減の威力を示す芸術的簡潔性に対する脚注と見るべきでありましょう。」

『芸術』の基本である『表現』とは、「神人交通によって、神の心が人の心の鏡にうつりたること」、「すでにありし心を言葉に解きほぐす」こと。「言葉は目に見えない精神生活、即ち見えざる実在の直接の表現であり、その実証であります。」迷信で無く、真信の、真理の『神』の心に結ばれ通う心=真心に在る、現在相応の素直な感情=直情を、忠実忠誠に表現する言/事が、正しいコト、マコトである。そのコトゴトの価値判定の参考は世界史であり、基準は祖国史である。そして、日本に於ける文献史の軸が、代々更新される「ミチシヲリ」であり「承詔必謹臣道の経典」たる「神勅詔勅御製」である。

と言っても、天皇も動乱の中に在る。『神世』と『歴史』を結び通わせ続ける『祭政一致』の『王朝』が統べ澄める『文化』制度は、「実現せられたる世界文化単位」として「人類史の未来を予告」できる。併し、実際の行動(業)は、刻々と変移する現在現実に応じて、決断する必要がある。各自は、『神世』から、『歴史』を介して、『祖国』に於いて降臨する「美的直感」に依拠して、未来へと向かって、挑戦冒険する。「人類の歴史は「思わざることの起る」無極無涯底の創造的開展として不可測不可思議のものであるから、一時無常の存在たる個人は歴史の全体は之を決して「自己の裡に宿しておる」ものではなく、従って之を「体系」に組織し得るものではない。」不可測だからこそ、不安を感じもするが、不可測だからこそ、生き甲斐もある。

「末来疑惧の理知を奮進の情意に忘却せしめて、今われらもろともに立ちいでて祖国日本につかへようではないか!」「同胞同士戦死者の現身は亡びても天がけり御国守らす千万の神々の霊を魂喚ばい魂祭りして一向直進せねばならぬのである。」前述した通り、「現在」とは「実行活動の世界」。過去から受け継いだ、大いなる『歴史』に基づいて、現在と言う『動乱』に於いて、『宇宙・世界・祖国』と共に、未来なる『未知』に向かって、賢明に『実行実感』、『表現交信』し、挑み続けて、永遠なる『転生継承』の『神ながらの道』に『貢献帰入』するーーーそれが、『蓑田胸喜の人生宗教』である。///

万葉集からみる天皇と日本 第十回07/03/03【告知&レポ】

【告知文】
■第十回「皇室と日本を考える」学習会
3月3日(土)17時40分〜20時40分くらい(最大延長30分)

豊島区勤労福祉会館 第三・四会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
http://nihon.lar.jp/02.html
池袋南口からメトロポリタンホテル方向に徒歩4分
池袋警察署ならび TEL:03-3980-3131

◎今回のテーマ『万葉集からみる天皇と日本/石川太郎(歌人)』

万葉の昔、天皇とはいかなる存在であったのか。
そもそも天皇とは神なのか、人なのか。それとも神であり、人でもあるのか?
天皇に仕える臣としてのあり方は?また、天皇を戴く民としてのあり方は?
記紀に次ぐ聖典「万葉集」を紐解き、祖先たちの魂の息吹にふれ、
皇室と日本の来し方行く末に思いを馳せたいと思います。

○参加費:無料(懇親会参加者は飲食代適宜)

■主催
「皇室と日本を考える」実行委員会
http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先:info@nihon.lar.jp)(※このメアドは現在停止)
■共催
女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
万世一系の皇統を守る会
http://off4.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第10回学習会報告

日時:2007年3月3日
会場:豊島区池袋 勤労福祉会館

テーマ『万葉集からみる天皇と日本/石川太郎』

 今回は年度末ということもあってかご多忙の方が多かったようですが、それでもナビをいれて八名の方が参集してくださりました。以下、拙文恐縮ですがご報告させていただきます。

 はじめに、万葉集巻頭にある雄略天皇や舒明天皇の御製歌、そして中皇命の御歌を味わいつつ、イザナキ・イザナミの婚姻の際の歌「あなにやしえおとこを」「あなにやしえおとめを」からJ-POPや現代短歌に至るまでの歌の歴史のなかで、万葉集がどのような位置にあるのかから説明いたしました。万葉集は、神武建国と今上の御代のちょうど中間にあたる奈良時代に編纂された国民的歌集であり、主として七世紀前半の舒明朝から淳仁朝までの百数十年間、4500首余りを収録しています。舒明天皇より前の歌としては、古くは仁徳天皇の皇后である磐之媛の歌や、雄略天皇の歌なども採録されてますが、その数はごく少数です。

 次に、聖武天皇を思い光明皇后が作られた御歌「我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし(1658)」を取り上げ、また神武天皇の御製歌「葦原のしけしき小屋に菅畳いやさや敷きて我が二人寝し」や今年の歌会始での皇后陛下の御歌「年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて」にも触れ、建国の昔から日本国の政体は幾たびも変遷してきたけれども、皇室そのものはそんなに変わってないのではなかろうかという話をいたしました。

 次に、柿本人麻呂の歌「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬らせるかも(235)」をはじめとする、大君は神にしませばという一連の歌を取り上げました。このような歌は壬申の乱以降に起こったものであり、一部の学者はそのことを根拠に「天武天皇より前の天皇は神ではなかった。天武天皇はみずからの権威を高めるため自らを神格化したのであろう」という趣旨の主張をしております。しかし、同じく柿本人麻呂の作に「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国しかれども言挙げぞ我がする(後略)(3253)」という歌があることから、万葉時代より前の日本では、天皇は神であってもことさらそれを言挙げしなかったということが言えると思います。ではなぜこの時代、日本はあえて言挙げもするという気風に変わってきたのかといいますと、儒教・仏教という合理的宗教の流入により日本人の考え方や感じ方が徐々に上古とは変わってきたこと、隋・唐帝国の成立により否応無しに大陸の思想・文化を受け入れざろうえなくなったことが考えられます。同様に、記紀にはほとんどみられない天皇を褒め称える歌も、万葉の時代には広く作られるようにとなりました。また、日本語における「神」の語義を明らかにしつつ、戦後間もない昭和二十一年年頭に渙発された新日本建設の詔書に触れ、それが神話を否定するものでもなければ、天皇が神であることを否定するものでもないことに言及いたしました。

 次に、日本国の國體には-祖神-皇君-臣-民-という四層構造があることを指摘し、万葉集の歌から、皇君(キミ)と臣(オミ)と民(タミ)それぞれのあり方を考えいました。

 具体的にはまず、田口益人大夫が上野の国司に赴任する際の歌「昼見れど飽かぬ田子の浦大君の命畏み夜見つるかも(297)」や笠朝臣金村「もののふの臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ(369)」など皇君に仕える臣の心意気を歌った歌、聖武天皇の御製歌「食す国の遠の朝廷に汝らがかく罷りなば平けく我れは遊ばむ手抱きて我れはいまさむ(後略)(973)」に触れ、臣とは、天皇が安らかな心でいられるよう、その命(言葉)を畏み、その手足となって行動すべきことを説きました。また、天皇は日本国民(王化の民)だけでなく世界諸国民(化外の民)を含めた全ての民の安寧幸福を祈られる立場にある方ですから、そのためには天皇自身が心安らかにいることが大切ではないかという旨を、あわせて主張いたしました。また、「海行かば」の歌詞が織り込まれている長歌として名高い、大伴家持の陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌にも触れました。「(前略)梓弓手に取り持ちて剣大刀腰に取り佩き朝守り夕の守りに大君の御門の守り我れをおきて人はあらじといや立て思ひしまさる(後略)(4094)」。

 次に、大唐帝国の脅威から祖国を守るため、遠く東国から北九州に赴いた防人の方々の歌を取り上げました。その中には、「今日よりは返り見なくて大君の醜の御楯と出で立つ我れは(4373)」のように勇ましい歌がいくつかある一方で、「真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず(4342)」「我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも(4344)」のように、父母や愛する妻そして子供との別れを嘆き悲しんだ数多くの歌があります。やはり民とは、臣とは根本的に異なったものだと言わねばならないでしょう。そして、すべての民に臣であることを強要する「臣民」という言葉にも語弊があることにも言及いたしました。ただし、社会的立場は民であったとしても、臣としての心がけで生きることはできると思います(草莽の臣)。たとえば先ほど紹介した、「今日よりは」という歌を残した防人の方などは、そのよい例でしょう。もし皇統護持や國體復興を志すならば、それは天皇の臣に近づくことを意味するのですから、そういった皆さまには、まっとうな臣としてのあり方を学んで欲しいものだと思います。

 以上、簡単にではありますが、ご報告とさせていただきます。このような機会を設けてくださった皆さま、当日足を運んでくださった皆さま、そしてこの拙文を読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

神話と歴史から考える日本建国の理念 第九回07/02/03【告知&レポ】

【告知文】
■第九回「皇室と日本を考える」学習会
2月3日(土)17時40分〜20時40分くらい(最大延長30分)

豊島区勤労福祉会館 第六会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
http://nihon.lar.jp/02.html
池袋南口からメトロポリタンホテル方向に徒歩4分
池袋警察署ならび TEL:03-3980-3131

◎二月のテーマ「A)日本建国の理念/B)古代日本の正義と悪」

※今回は、学習会の冒頭に、当日その場で参加された皆さんに、
 二つのテーマのうちどちらを聞きたいか選んでいただきます。

A)神話と歴史から考える日本建国の理念

「紀元節」を前に、日本の建国を考える。
神武天皇の実在性は?皇紀2600年は事実なのか?
「天孫邇々芸命降臨」と「神武天皇東遷」の関係・比較。
そのどちらが日本のはじまりなのか?
「建国」と「肇国」、「天祖・天孫・皇祖・皇孫」は、どう同じでありどう違うのか?
男系継承の神話的起源と歴史的実態。
「天壌無窮」の神勅と建国の理想「八紘一宇」からみた国家観、
そして現代政治における意味とは。

B)「大祓」の行からみた古代日本の「正義と悪」

六月と十二月に行なわれる神道の「大祓」の行。
ここで奏上される「大祓詞」に出てくる「天津罪・国津罪」の解釈からはじめて、
「禍事(まがこと)→罪(つみ=積)→穢(けがれ=気枯)」の三段階論、
「ハレ・ケ・ケガレ」の循環説、「祓い・浄め・禊」の意味の範疇、などの解説・整理。
そこから古代思想における正義論・悪魔論・人生論・幸福論を導きだし、
日本人の倫理と生き方を考える。

○参加費:無料(できれば参加表明してください。懇親会参加者は飲食代適宜)

■主催
「皇室と日本を考える」実行委員会
http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先:info@nihon.lar.jp)(※このメアドは現在停止)
■共催
女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
万世一系の皇統を守る会
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1147608766/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第九回学習会の
開催報告

日時:2007年2月3日
会場:豊島区池袋 勤労福祉会館

テーマ『神話と歴史から考える日本建国の理念/むらさぎ』

 今回は、事前の告知でAB二つの内容を提示し、当日に集まった皆さんに選んでいただきました。決定の段階ではAを希望する人がやや多かったのですが、遅刻してきた人たちにB希望者が多く、最終的には半々でした。ナビ役を除くと12名が参加、うち初参加の方が2名でした。(今回えらばれなかったBコースのお題については過去の告知コーナーをご覧ください)

【1】まず戦前の「紀元節の歌」 を提示し、紀元節といいながら神武天皇の業績に直接ふれず「高千穂」の峰から歌詞が始まっていること、このことから日本の始まりとして神武天皇と別に、迩々芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨神話が意識されており、それに起源する宮中祭祀が「元始祭」であって紀元節祭とならぶ重要なものであること、(つまり戦前にはニュアンスの異なった二つの国家起源説明があった)、「建国」と「肇国」という二つの言葉の意味や各種用法の相違と同一にふれました。また教育勅語にでてくる「皇祖」が天照大神と神武天皇のどちらをさしているのかという戦前の論争から展開して、「天祖・天孫・皇祖・皇孫」の四語の意味の範疇を各資料・各諸説から詳細に検討して、その四語がどう同じでありどう違うのかを明らかにし、今回の議論の前提となる基礎知識の整理としました。

【2】迩々芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨神話とそれに付随する「天壌無窮の神勅」の意味を、神話全体の構造とその中での位置付け等から分析し、天孫降臨神話のもつ「四つの意味」を析出・提示しました。

【3】神武天皇の東遷(東征)の歴史的背景を考察し、即位時の「八紘一宇の詔勅」が空疎な観念ではなく当時の歴史事実と関係していること、そしてその詔勅の精神が、天壌無窮の神勅ほかの神代の一連の神勅の思想的意味の延長上と歴史情況との交差において必然的に展開したものであること。神武天皇時代の海外に関するエピソードが孤立した伝説ではなく、時代を追って後世まで連続していく歴史的事件の一部であること、以後二千年間、現在に至るまで、八紘一宇の伸張と後退(=我が国の安泰と危機)は、常に中国大陸の情勢と連動していたこと等を述べました。

【4】「天壌無窮」の神勅と建国の理想「八紘一宇」からみた国家観、そして現代政治における意味について述べました。なお、神武天皇以後の初期古代の男系継承の歴史的実態について、歴代皇后の出自からみて、天孫降臨神話のもつ「四つの意味」に溯り男系継承の神話的起源とその原理について解説しました。

その後、池袋の居酒屋で懇親会があり、うち6名は三次会までいき、電車がなくなり泊まりになったのは4名(笑)
【むらさぎ】

当日参加者・九郎さんのmixi内の日記のレポ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=338345646&owner_id=5020486

皇室典範とは何か〜皇統護持運動はどう進めるべきか 第八回07/01/06【告知&レポ】

【告知文】
日時◆平成19年1月6日(土曜日)午後13時20分〜16時20分くらい
(最大延長30分)

場所◆豊島区勤労福祉会館 第六会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
地図http://nihon.lar.jp/02.html

アクセス◆池袋南口からメトロポリタンホテル方向に徒歩4分
池袋警察署ならび TEL:03-3980-3131

◎今月のテーマ:
「皇室典範とは何か?
   〜皇統護持運動はどう進めるべきか?/櫻井 雅輝」

小泉内閣下で女系を容認しようとした皇室典範改正問題は、
親王殿下がご誕生されたとは言え、根本的な問題は未だ解決されていない。
期が熟した今こそ、今後課題とすべき問題是正と皇統の安定化へ向う必要がある。
●憲法第二条、皇位規定の4大矛盾点 ●皇室典範とは何か?
●明治典範と何が違うのか? ●典範は、法律か、家憲か? 
●皇室典範の本来あるべき姿 ●皇室典範改正は、是か非か?
以上、皇統護持運動を議論するうえで外せない項目を、考えてみたいと思います。

 ○参加費:無料 参加連絡不要(できれば参加表明してください。)
 ☆初参加大歓迎です!☆

■主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
     http://nihon.lar.jp/
■共催:女系天皇に断固反対する会
    http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
   万世一系の皇統を守る会
    http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1147608766/
   お問合せなどはinfo@nihon.lar.jpまでお願いします。(※このメアドは現在停止)

参加費無料 (懇親会参加者は飲食代適宜。)

お問合せ&連絡先
「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第八回学習会の
開催報告

日時:2007年1月6日
会場:豊島区池袋 勤労福祉会館

テーマ
「皇室典範とは何か?
      〜皇統護持運動の真の方向性〜/櫻井 雅輝」

 関西からお越しくださいました二名の方を含めても、今回の参加者は11名でした。連休中の冷たい大雨ということもあり、普段よりも参加者は少なめでした
しかし、ナビ役の櫻井氏は気合十分で意義深いお話をしてくださいました。
以下その内容です。

【皇位を男系に限ることは憲法違反か?】
まずは皇位の継承を男系に限ることは憲法違反かどうかについて。
憲法第十四条でいう男女同権は相対的なものであって絶対的なものではなく、合理的な理由があれば違憲基準に抵触しない。
皇位が万世一系の原則により継承されてきたことなどの、歴史的客観的事実を考えれば、皇統を男系に限ることは必ずしも憲法違反ではない、とのことでした。

【憲法無効論者は、陛下の御心に叛く逆賊ではないのか?】
次に憲法無効論について。
現行憲法は占領軍により草案が作られたものであるとはいえ、日本の自主性が必ずしもなかったわけではなく、また主な連合国と講和後、すでに五十五年近くの歳月が流れており、日本国民が憲法改正を望むならば、いつでも改憲できる環境にあったのであって、無効論はかなり無理があるのではないか。
また今上陛下の皇太子時代のお言葉や即位の際の詔を考えれば、陛下が憲法を大切に思われていることは明らかであり、無効論は国賊となってしまう可能性がある、とのことでした。

【第二条 皇位継承条文の4大疑問点】
次に憲法第二条について。
「第2条(皇位の継承) 皇位は、世襲のものであって、
国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」
この条文には四つのおかしな点がある。
一つには、なぜ「世襲」と書いてあるにもかかわらず、それを男系男子に限ると明記されていないのか。
二つには、皇室典範を他の一般法と同様の法律とするならば、なぜ「国会の議決した」と書く必要があるのか。
三つには、なぜ「皇室典範」という特定法規の名称がわざわざ条文中に記載されているのか(他にそのような例はない)。
四つには、なぜ「皇室法」ではなく「皇室典範」なのか。
天皇に裁可権も改正の発議権もないのに、現在の皇室典範を、皇室の家法たるべき「皇室典範」の名称で呼ぶのは正しくない。
以上のことを踏まえて、憲法第二条は、
「皇位は、世襲のものであって、法律の定めるところにより、皇男子が継承する」
とするべきであろう、とのことでした。

【皇室典範とはなにか?】
次に明治典範と現行典範の違いについて。
明治典範は勅定によるものであって、国務における最高法規である帝国憲法と同格の宮務における最高規範であり、その改正には議会を経る必要はなかった。
一方、現行典範は国会の議決によるものであり、現行憲法の下位法として位置づけられており、数多の一般法規と同格とされている。
このように根本的に違う法律を同じ「皇室典範」という名称で呼ぶのはおかしい。
現行典範の名称は「皇室法」とするのが適当であろう。
しかし、当時の法制局は「皇位継承という最も重要な規定があるのだから」という理由で「皇室典範」というものの名称を残す理由としている。
ならば、宮中の事項である皇位継承に関して、府中の議会のみで改正してしまうのは適当ではなく、現皇室典範は、天皇のご意思を反映できるものでなければならない。
また、小泉首相が国会の議決だけでいとも簡単に皇位継承の原理原則を、捻じ曲げようとした事実を考えても、皇室の家法たる皇室典範は国会の議の圏外に置くのが正しい、とのことでした。
次に旧皇族の皇籍復帰の手続きについて。
旧皇族のご存在自体、一般国民はあまり認知していない現状を考えると、彼らの存在を世間に知ってもらう運動は必要であろう。
しかし、皇室典範改正など旧皇族復帰のための法整備を、天皇の御心と係わりなくやろうとするならば、政府の女系推進と同罪である。
まずは典範に関する天皇の発議権・裁可権等の「陛下のご意思」について法的整備する方が先であるはずだ。

【皇位継承の原理は神聖なものなり】
そもそも皇位継承の原則は、天壌無窮の神勅に基づくもので、我々一般国民は勿論、皇族方でさえ簡単に触れてはいけない神聖なものである。
人智を超えた原理原則を守らなければ、皇位の皇位たる意味がなくなってしまう。
先帝陛下は、占領下での憲法改正の折、草案の公表前日に、「皇室典範改正の発議権を留保できないか」とお述べになっていたという。
GHQの圧力により最後は「今となっては致し方あるまい」とお許しになったが、そのご無念を今こそ晴らすべきではないか、とのことでした。
櫻井ナビの話は以上。
その後、活発な質疑応答や意見交換がありました。
因みに、憲法無効論に関しては数名の方から賛成の立場での意見がありました。
(文・鹿爪)

試験的に動画をアップを予定してます。好評なら、もっとアップします。(´ー`)
フラッシュ動画に変更しました。
動画http://nihon.lar.jp/move/move02.html 
質疑応答編http://nihon.lar.jp/move/moveb01.html

皇統断絶の危機〜それはいかに乗り越えられたか 第七回06/12/02【告知&レポ】

【告知文】
日時◆平成18年12月2日(土曜日)午後17時45分〜20時40分くらい
(最大延長50分)

場所◆豊島区勤労福祉会館 第三会議室
豊島区西池袋2-37-4 池袋南口から徒歩3分TEL:03-3980-3131
地図http://nihon.lar.jp/02.html

アクセス◆池袋南口からメトロポリタンホテル方向に徒歩4分
池袋警察署ならび TEL:03-3980-3131

◆今月のテーマ
「皇統断絶の危機
 〜それはいかに乗り越えられたか〜/○ささき「日本の道」研究・啓蒙家」

これまでの日本史上あったとされる皇統の危機。1)武烈天皇から継体天皇、2)称徳女帝から光仁天皇、3)称光帝から後花園帝、4)後桃園帝から光格天皇。万世一系を守るため、これらをいかにして乗り越えてきたのか、この主な4大事件の共通点と相違点を比較検討し、後世にその歴史を伝承するとともに、今後の危機に備える知恵を涵養したいと思います。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
◆共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
◆協力:日本青年協議会 日本会議
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(※このメアドは現在停止)
http://nihon.lar.jp/

参加費無料。(飲み物持ち込み自由・今回、お茶菓子はなし)

お問合せ&連絡先「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第七回学習会の
開催報告

日時:2006年12月2日
会場:豊島区池袋 勤労福祉会館

テーマ
「皇統断絶の危機
      〜それはいかに乗り越えられたか〜/佐々木 勝浩」

 今回の学習会は、参加者22名、内初めて参加された方が6名、10代女性から50代の方と幅広い年齢層にご参加いただきました。またお子さんを連れてこられ参加された若いお母さんまで。それから、靖国神社の問題から天皇を知りたいと参加された方など。非常に熱心に参加されました。今回のテーマは、女系天皇断固反対のテーマとしては、核心的なテーマです。

●はじめに

もし、小泉内閣の皇室典範有識者会議の法案が通り「女系天皇」を容認した場合、敬宮殿下が天皇にご即位され、御皇族とは別の一般の男児が婿養子として入った場合、まったく違う血筋が入ることになる。そこで神武天皇以来守られてきた万世一系が絶えることになる可能性があった。ところがこの法案が明日にでも通過しようとしたその時に紀子さま御懐妊の報があったわけである。めでたくも悠仁親王殿下のご誕生によって、今回の皇位継承の危機はひとまず去った。しかし、時間の猶予をいただいただけであって、このままでは数十年後に再び、皇位継承危機がやってくることは間違いない。そのことを忘れてはならない。

【一部】過去にもあった皇位継承の危機

歴史を詳しく見ていくと、2600年余りの歴史の中で、皇位継承の危機は、幾度となくあり、その中でも、近親に皇子がおられない皇位断絶の危機は4回(①武烈天皇から継体天皇 ②称徳天皇(女性天皇)から光仁天皇 ③称光天皇から後花園天皇 ④後桃園天皇から光格天皇)あった。その他、宇多天皇など臣下に降っておられたが、皇籍に復帰しての即位であった例もある。また、称徳天皇以外の8人10代の女性天皇におかれても中継ぎとされるが、時の権力、蘇我氏との権力争いに絡み決して皇位継承は安泰ではなかった。多くの問題を抱えながら皇位継承はなされてきたことがわかる。

【二部】4回の皇位継承危機

 先ず第一の危機は、6世紀の第25代・武烈天皇崩御の時である。大連・大伴金村は、越前の国三国(現福井県坂井郡三国町あたり)にいる応神天皇五世の孫である男大迹(おおど)王(後の継体天皇)を迎える事にした。男大迹王は、既に57歳になっており多くの妃、子達に囲まれて暮らしていた。男大迹王ははじめ皇位継承の要請をなかなか受け入れなかった。ようやく王もこれを聞き入れ、樟葉宮で即位したが、男大迹王は即位して直ちに大和で政治を行ったかというとそうではなく、5年間樟葉で過ごした後、都を山背国の筒城に移し、更に6年後には同じく山背国の弟国に遷都するなど大変な苦労があって皇位継承がなされた。継体天皇は応神天皇から数えると武烈天皇とは10親等、実に260年離れていた。武烈天皇には、手白香皇女、春日山田皇女、橘仲皇女の3人の妹君がおられたにも関わらず皇位は継承されず男系で継承されたのである。
 
 第二の危機は、奈良時代の第48代・称徳天皇崩御の時である。藤原氏の確執の中で歴史上初の女性皇太子となり即位した孝謙天皇が重祚(一度退位した天皇が再び皇位につくこと)して称徳天皇となられている。称徳天皇は、道鏡を法王に任じ宇佐八幡神の神託として道鏡を皇位につけるべきことを奏上し、和気清麻呂を召して公式に宇佐八幡の神託を伺うことを命じたが、清麻呂は「我が国家、君臣は分定せり。…天つ日嗣には必ず皇緒を立てよ」との神託を奏上した。これにより道鏡を皇位に就ける計画は挫折した。翌年称徳天皇が崩ずると、左大臣藤原永手らの支持を受け、即位したのが光仁天皇である。時に御年62歳。『続日本紀』即位前条によれば、孝謙朝以後、皇位継承をめぐる政争に巻き込まれることを恐れ、「酒を縦(ほしいまま)にして迹(あと)を晦(くら)ま」していたという。称徳天皇とは8親等150年離れている。このときも称徳天皇の妹君の井上内親王には皇位継承されず男系継承されている。このとき道教が皇位につく可能性があり、もしかしたらこの時が皇位継承最大の危機であったかもしれない。今回の小泉内閣の有識者会議の法案が通っていれば、道教のように皇族に近づき皇位を狙う輩が現れないとも限らない。

 第三の危機は、室町時代中期の第101代・称光天皇の時である。称光は病弱あらせられ、後継問題が生じたため、100代・後小松天皇が幕府と話し合いにより称光天皇の後、6代将軍足利義教の仲介で北朝の別血筋にあたる彦仁王を子とし、彦仁王を子は後花園天皇として御即位された。称光天皇とは8親等130年離れている。このときは、速やかな皇位継承の引継ぎ役を後小松天皇が担われている。

 第四の危機は、江戸時代中期の22歳で第108代後桃園天皇崩御の時である。後桃園天皇には、欣子内親王がおられたが、白羽の矢が立てられたのが、後桃園天皇とは、7親等・130年離れていた閑院宮典仁親王殿下の第六子・ご末子、後の光格天皇・兼仁(ともひと)親王である。将来は出家される予定であった。当時皇室皇族は、「禁中並びに公家諸法度」により徳川幕府の厳しい監視下にありほとんどが出家し門跡寺院に入られるのが常であった。すでに宮家の男子皇族方が出家されている中でいまだ出家されていなかったのが兼仁親王で、生後間もない欣子内親王を皇后として御即位されたのである。時に御年9歳。傍系からの御即位であるため当初皇族方からも軽んじられがちであったが、天皇の行く末を深く案じられたのが崩御された後桃園の先帝である後桜町上皇である。後桜町上皇は熱心に教育にお心を注がれ、皇統の最先端にあって光格天皇のご自覚と御努力は、公家たちをも天皇を見習って学問するよう勧奨されたほどであった。光格天皇の学問の姿勢は、祭祀の励行と皇祖皇宗に対する信仰の深化ともつながり、徳川幕府の厳しい監視下で多くの宮中祭祀を復活させ、皇室復興の基となった。これが後に、孝明天皇へと受け継がれ、明治維新の原動力となっていくのである。皇位継承の危機の中で皇室の復権ならしめた光格天皇の御存在は誠に日本の歴史に特記すべきことである。光格天皇は生涯千首の御製を詠まれている。

よろず民 やすくたのしむ ときつ風 とよあし原の 國さかえつゝ
みのかひは なにいのるべき 朝な夕な 民やすかれと おもふばかりを
たみ草に 露のなさけを かけよかし 世をもまもりの 國のつかさは

【第三部】歴史の教訓から現代の我々は何をなすべきか

 皇位継承は、守ろうという意志がなければ守れない。いつ途切れてもおかしくない。その何時途切れてもおかしくない皇統に危機を2600年もの長きに渡り知恵と努力で守ってきたからこそ皇統は尊いのではないだろうか。歴史を紐解くならば、皇統の危機には必ずキーマンが現れる。大伴金村、和気清麻呂、光格天皇の時代、江戸中期には、吉田松陰など明治維新の志士に多大な影響を与えた高山彦九郎が尊王のネットワークを全国につくり上げていた。その裏では幾多の名もなき草莽の志士が御皇室を敬い崇敬されてきたに違いない。だからこそ現代に皇統は守られてきたのである。それを考えると国民の御皇室への無関心こそが最大の危機である。それを自覚すれば、日本の歴史の最先端にある私たちのなすべきことは自ずと見えてくるのではなかろうか。  
(佐々木勝浩)

歴代天皇からみる日本通史と明治大帝の大御心 第六回06/11/03【告知&レポ】

【告知文】
■第六回学習会開催日■「皇室と日本を考える」      
◆11月3日(土)開始時間:10:00〜
◆明治神宮
東京都渋谷区代々木神園町1-1 原宿駅南口から徒歩2分TEL:03-3379-5511

◆参加費:無料  参加連絡不要
 初参加歓迎です!

◆11月のテーマ「歴代天皇からみる日本通史と明治大帝の大御心」

11月は特別企画として、明治神宮に参拝、宮中からの勅使差遣に合わせ参拝し、「百々手式」見学、神職による行事の他、やぶさめの実演、及び明治神宮の宝物殿を見学し歴代天皇御真影を拝しつつ歴代の御事績を語り合い日本の文化や歴史を振り返ってみましょう。その後、境内の休憩所等で日本の歴史や今後の政治運動のあれこれについて、青空の下で気楽にディスカッションしてみませんか。遠足気分で御参加ください。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp(※このメアドは現在停止)
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第六回学習会の
開催報告

日時:2006年11月3日
会場:明治神宮

テーマ
「歴代天皇からみる日本通史と明治大帝の大御心」

東京代々木の明治神宮にて、明治節秋季大祭を奉祝するイベントです。

 遠足ってことで気楽にいきましたが、現地は祝日でたいへんな人出で賑わっておりました。出だしはまず8人。やや遅れて3人が中途参加、うち1人はすぐ早退。他に夜の懇親会のみの参加が1人。のべ12人でした。

 まずは拝殿に向かう参道の中、菊人形の展示などを見物しながらすすみ、厳粛な気持ちで参拝をすまし、脇の休憩所で遅れて参加する人たちを待ちながら、明治神宮名物の吉凶なしのおみくじをひいたり、七五三の華族連れを見ながらなごやかにすごしました。その後、途中、各国の旗をつけた海外の大使館の車が並んでるのをみて、特亜関係のジョークなどいいながら、広大な境内を歩いて宝物殿へ。

 ■宝物殿見学
 宝物殿の見学はこの日の「学習会」としてのメインメニューですので、参加者全員に特製のレジメを配布。中では、歴代天皇の御肖像、及び明治天皇とその御家族の調度品などが陳列されており、文明開化の時代の息吹を感じる素晴らしいものでした。
しかるのち、宝物殿のすぐそばで物産展などやっており、小腹がすいたので、焼き鳥や大学イモの行列にならんで買い食い。誰からともなく流鏑馬(やぶさめ)を見物しようということになり、楽しく雑談しながら移動。

 ■流鏑馬見学
 しかしたいへんな人出で流鏑馬会場は混雑しており、立ちっぱなしの上なかなかいい見物場所がとれませんでした。しかも、会場からかなり離れた本殿で「なんとかの儀式」を執り行っているため本番がなかなか始まらず30分も遅れて騎馬隊が到着。(どうもパンフレットに記載の開始時刻ってのは儀式の開始時間だったらしい)。そんな時間にいい加減で戦争できるのか、のんきに儀式なんかやってて蒙古に勝てっかよ!とブチ切れ気味。しかし騎馬装束は時代劇みたいでカッコよかったです。(ここで「蒙古に勝ったからこそ儀式になったんだよ」と、邪馬台国侍殿に諭される。)ところがここでまたよくわからない儀式がはじまったらしく、なかなか本番にならない。その後、ついに開始か!と思ったら、流鏑馬の会の会長の挨拶がはじまり、見物客からもうウンザリというようなどよめきが。しかもその挨拶は、さんざん別の女性がくりかえしアナウンスしていた解説と同内容。途中で何度も帰ろうかと思ったくらいですが、ここまで待ってしまうとそういう決断もできず、結局はじまるまで一時間も立ちっぱなしでした。しかし、流鏑馬そのものは、かっこよさ・力強さ・スピード感・迫力があり、神技のような射撃で、ひじょうに素晴らしいものでした。また、見事に的を射ると「おぉーっ!」という感動したような喚声が、はずれると「あぁ」という嘆声があがるところなどは思わず笑えました。とくに唯一の女性騎手の「さかもとなおこ」嬢は、長い髪をなびかせて、ファンタジーか時代絵巻から抜け出したジャンヌダルクか巴御前かというカッコ良さ。足が棒になっちゃって文句はありましたが、なおこちゃん見れたので良しとして(俺だけかw)、気を取り直して休憩所に向かいました。
休憩所も大混雑で席がなく、外で缶ビールをみんなで飲みながらまた雑談。

 その後、表参道のタイ料理店にて懇親会を開きました。

 今回は堅苦しい学習会からちょっと離れてあくまで「遠足」のつもりでしたがたまにはこういうのも楽しくていいかなと思いました。 (む)

06/07(土)古事記を読む会vol.11

(http://8809.teacup.com/imperial/bbs/100より転載)
---------------
(無題)  投稿者:しか  投稿日:2008年 5月24日(土)22時32分51秒

06/07(土)古事記を読む会vol.11

場所/ 「ちどりの巣」(JR池袋駅北口ロマンス通り西形ビル6F・1Fはやきとん「千登利」)
時間/正午開場、午後1時開会

「古事記」の読み下し文の購読・解説。皇位の男系継承保持の必要性について認識を深めることをめざしつつ、国文学・歴史学などの方面はいうまでもなく、人類学・神秘主義(神道霊学等)・政治思想・世界史・國體論などあらゆる観点からの見方を提示します。

1)今回のメインテーマは「夢」です。「美和の大物主の話」や「沙本毘古の反乱の話」を中心に、第10代崇神・第11代垂仁両帝のあたりを読みます。その上で、心理学や神秘主義の観点から、神道霊学もからめつつ議論します。

2)またサブテーマとして、以下のようなものを考えています。
φ 魏志倭人伝の解釈(普通に邪馬台国論)
φ かつての邪馬台国ブームとその論争内容の現代社会心理的意義
φ 「海幸山幸」伝説と雄略紀「浦島子」伝説からみる異界訪問(民俗学ではなく心霊現象として)
φ 聖婚制(形式的な結婚。仁徳記の八田若郎女と允恭紀の衣通郎姫を題材に)
以上どれになるか未定。どれでもなくまったく別のテーマになるかも知れません。また上記の1)だけになることもあります。あらかじめご了承ください。

今回は、昨年から10回にわたって催してきた「古事記を読む会」の第11回にあたります。
過去の内容の詳細は↓をご覧ください。
http://kokutai.blogspot.com/2007/12/blog-post.html

※おそれながら参加料として各500円いただきます(身分と立場により差別あり)。
※左翼・女系派・社会主義者・日猶同祖説や竹内文献の信者・邪馬台国オタクは参加できません。
※お茶でもアルコールでも菓子でもコンビ二弁当でも、飲食物の持ち込みは自由です。
※夕方適当な時間からアルコールタイムとなります(参加費とは別に適宜飲食代がかかります)。
※アルコールタイムは今回の研究テーマについてしらふとは違った角度からの着想を自由に議論しあうものであくまで学習会の継続です。ただ飲みたいだけ・宴会したいだけの人、無関係な話題でしゃべりたいだけの人は参加お断りです。

お願い■角川文庫本の「古事記」をおもちの方は持参してください。おもちでない方はわざわざ買わずに、手ぶらでかまいません(資料を配布します。新規にお買い求めになられる場合は、岩波文庫や講談社学術文庫よりも角川文庫を推奨)

※待ち合わせ連絡用/オフ会当日専用伝言板(PCと携帯の両方に対応)
http://ip.tosp.co.jp/DG/TosDG100.asp?I=i9dai&P=0