2007年8月13日月曜日

宮家の歴史 第二回06/07/09【告知&レポ】

【告知文】
■「皇室と日本を考える」第二回学習会
◆7月9日(日)開始時間 17:45〜20:00(最大延長20分) 
◆会場:豊島区生活産業プラザ(豊島区民センターの裏)7階第一会議室
〒170-0013 豊島区東池袋1-20-15
http://www.city.toshima.tokyo.jp/sangyo/ids/plaza/ids_plazab.html
TEL:03-5992-701
◆参加費:無料

●今月のテーマ「宮家の歴史/むらさぎ氏(歴史研究家・ライター)」

※世襲宮家とは中世に発祥したもので古代的な制度ではなく、また明治以後はそれ以前の中世・近世の宮家のあり方を大きく変更されたものであること、そのため現在一般にはわかりにくくなっている「伏見宮」の存在意義を浮き彫りにします。その後、参加者とのディスカッション(質疑応答、感想等の気軽な話し合い、あるいは討論など)を通じて、古代・中世・近世・近代と続く推移変遷の中でかわることのなかった皇室の原理と、歴史的条件によって変更しうる制度上の限界をさぐってみたいと思います。

※尚、勉強会終了後、参加者懇親会を予定しております。飲食代適宜。

◆主催:「皇室と日本を考える」実行委員会
共催:女系天皇に断固反対する会 (mixiコミュニティ)http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
◆お問合せ&連絡先:「皇室と日本を考える」実行委員会 info@nihon.lar.jp
http://nihon.lar.jp/

【レポ文】
■「皇室と日本を考える」第二回学習会の
開催報告

日時:2006年7月9日
会場:豊島区生活産業プラザ
ナビゲーター:むらさぎ(歴史研究家・ライター)

 テーマ「宮家の歴史」 第二回学習会は"宮家"とは、いったい何か?
というテーマで、宮家の本質と歴史に触れてみました。

 復帰の願われている旧宮家について、あるいは皇室や皇族について考える場合、昭和22年に皇籍離脱した十一宮家などの近代の宮家の歴史、または一気に遡って古事記・日本書紀の時代について調べてみる人が多いけれども、その間をつなぐ中世・近世について調べる人はあまりいないのではないでしょうか?
 しかし世襲宮家というものは古代には存在せず、中世に発祥したものであり、旧宮家の先祖である「伏見宮」の意義を明らかにするためにはどうしても避けて通ることはできません。

 そこで、古代史や近代史は今回はあえて軽く触れるにとどめ、中世・近世の皇室についてむらさぎ氏より詳しく解説いただきました。

 ◆宮家の誕生!
 中世編では、まず大炊御門宮・六条宮など、世襲宮家の成立以前の過渡的な存在にふれ、世襲宮家がどういう経緯で出現したのかを考えました。

 ◆世襲宮家の誕生!
 次ぎに最初の世襲宮家といえる岩倉宮・四辻宮などが、現在の思い込まれている皇族のあり方とはかなり異なり、臣籍降下と皇族復帰とが割とゆるい区別だったこと等にふれました。

 ◆3種類の皇位正統性理論!
 次ぎに宮家の乱立期に入り、南北朝の思想闘争とともに、常磐井宮・木寺宮など、「それぞれ異なった独自の皇位の正統性理論」を主張する宮家や家筋(系統)が現われたことを解説しました。

 ◆本流「伏見宮」の誕生!
 また、その混乱の中から純正な正統性をもった総本家としての伏見宮が、はじめて皇位を要求し皇位を争うための宮家ではなく「皇統の備え(血のスペア)」としての意義をもったことを語りました。

 ◆時代の権力は、経済基盤を持った女性たち!
 中世編ではまた世襲宮家成立の背後に、皇族の資格の男系継承が絶対であった時代にもかかわらず、古代の女系相続財産の名残として莫大な皇室領を支配して絶大な権力をふるった女性たちの存在がありました。

 ◆近世の宮家の特徴など、中世との変貌
  近世編では、いわゆる「定親王家(世襲四宮家)」が、中世のような男系の血の実系(古代のウヂ制の名残)ではなく、養子でつなぎながら「家(家柄・家格)」を継承するものであったことを解説しました。

 ◆皇室の本家「伏見宮」の近世の皇統
 その中で伏見宮のみは万世一系で実系を守り、後花園天皇以来、皇室の本家としての高い格式を保持したこと、伏見宮以外の三宮家は、はじめから「皇統の備え(血のスペア)」という意義があったがこれは先行する伏見宮の意義をコピーしたものであること、等。また伏見宮の御落胤伝説の背後に江戸前期の覇権抗争があり、この御落胤事件は史上有名な明正女帝の即位・輪王寺宮門跡の発祥・有栖川宮創立などと深く連動した一連のものであったことを示唆しました。