2009年5月27日水曜日

半田稲荷神社神代文字和歌碑文解読

「半田稲荷」でgoogle検索すれば、江戸時代の享保から文化の頃、疱瘡や麻疹の病気封じと安産で大いに繁栄した神社であり、今よりかなり境内も広かったようです。「願人坊主(フリーの坊さんでいかがわしいとされていた連中)が真っ赤な服装で「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授・安産御守護の神よ」と面白おかしく歌って(歌詞はサイトにより多少違いあり)踊り歩いたのが関東全域はもとより京都大阪まで有名になり、歌舞伎にもなったとのこと。歌舞伎については最近も上演例があるようで。

神代文字の碑文はずいぶん古い時代に埋もれたらしいということしかわからない。
江戸時代後半だともう少しましな古典的な文語体で書くようになると思うのでそれよりは古いかも知れない。また半田稲荷が有名になった後に作られたなら、病気封じに関する内容になったのではないかな。

歌の前に「カミウタ」とあり、歌の後に「ア」とある。このアは吾郷清彦は「ウ」だというが所見ではケンペルマンの「ア」とする説で問題ない。「嗚呼」の意味だろう。もしくは「アア」、「アハレ」など続きがあったものが当時すでに碑文は割れて断片になっていたか。

初句は「かみはゆく」。この「かみ」は年長者・上位者・主人・天皇などをもさしうるので、強いて神社の神とばかりも決められないが仮に「神」とすると、「神は往く」は「神が去った」の意味だとすると不幸を暗示しうる。が、どちらというと雪の語源が神の御幸(みゆき)であるように神の臨在をいっているのだろう(祭日での神輿の往来とか)。あるいは二句三句の解釈によっては「神速く」の訛りという線もありうるか? 年長者・上位者・主人・天皇などを「かみ」ということもあるので、あるいは未亡人が夫の死去に際して詠んだ歌かも知れず、あるいは誰かが天皇崩御の際(時代の変わり目)に人生を振り返った歌かも知れない。
二句三句が問題の未解明部分。P=ケンペルマンは「としきはとまね かねこなる」、吾郷清彦は「ひきこはひまひ かひやふる」と読んだが、この二つの旧説ではどちらも意味不明。
四句と五句が「真澄鏡(ますみのかがみ)面変(おもか)はりてや」(訳:鏡をみると(歳をとって)顔が変わったなぁ)。真澄鏡は定型的な言い回しで、この場合は神社の古式の鏡を念頭におきつつ(御神体とかでなく)鏡の映り具合をほめているだけで、訳文の上ではあれこれ言わず単に「鏡」とするのがいいと思う。

なので未解明の二句三句はその文中にあって歌としての文意がつながらねばならない。全体としては、何か目出たいことか不幸なことがあり、年月を感じるという意味の歌らしい。

二つの旧説の解読文はどちらも意味不明だが、文法を無視して強いて意味を想像すると、ある程度の意味を想定はできる。

ケンペルマン説の「としきはとまね かねこなる」は「年来は(年際? 年月は?)止まね、予事成る」だろうか。予事(かねごと)は予想されたことという意味の古語、「かねこ」は少々ムリがあるが「かねごと」の縮約語とすると、「年月の流れは止まない、予想された通りになった」の意味か。和歌として成り立たなくはないが、老化を嘆くだけの暗い歌で、神社の碑文としては少し陰鬱すぎないか? 
何かもっと目出たいことを祈願したものと考えた方がありそうに思う。

吾郷説の「ひきこはひまひ かひやふる」はさらに解釈が困難。とはいえ吾郷は文字の音価を定め直そうとしただけなので文意は考えてないのは当然だが、そこをムリして解読を試みる。ひまごを「ひこ」ともいうので「曾孫たち」の意味で「ひここ」、または「曾孫である子」の意味で「ひここ」といったもの、その「ひここ」が訛って「ひきこ」? 「はひまひ」は「這ひ迷ひ」(這い回り逃げ惑う)、「祝ひ舞ひ」(お祝いに舞い踊る)とまったく逆の二つの解釈ができる。「かひやふる」はさらにわからない。彼火矢降る(あの火矢が降って来た)、甲斐や溢る(生きた甲斐が溢れるほどあった)、貝や炙る(貝を焼いている)、穀破る(脱穀する)、甲斐屋振る(甲州屋が繁盛してる)等、こじつけはできるが、どれもややムリヤリな感じ。曾孫が出てくる第二句は年月の流れを連想させる下の句とよくつながるのだが、全体的にスッキリ繋がらない、とくに第三句が酷い。

3行目の解読で1文字目と5文字めは一見してまったくちがう文字であるにもかかわらず、どちらもケンペルマンは「と」、吾郷は「ひ」と読んでる。7文字目と9文字目は同じ文字であり、ケンペルマンは「ね」、吾郷は「ひ」と読んでる。5文字目と7・9文字目はまったく違う文字であり、すべて「ひ」と読む吾郷説はいただけない。「ひ」「と」「ね」の3文字を比べると、すべてぐにゃぐにゃの線で区別がつかないように思うかも知れないが、いくつかの書体例から草書に崩れる前の原形を推定すると、案外にシンプルな「決め手」がそれぞれ決まっているのが判明する場合がある。「ね」は上の横棒の右端から下に線が下がった形(「フ」の「ノ」が真っすぐになった形)であり、「と」は「ヘ」のような平らに近い形である。「ひ」は平らににゅろにょろな文字だが決め手がわからない。
5文字目は「ひ」よりもはっきり「と」に似ているのでケンペルマンの説に従いたいが、7・9文字目は「ね」ではない。「ひ」は輪を上に結ぶ文字でもしその向きが決め手ならこの下側に結ぶ文字は「ひ」ではなくなるが、最後の左端から下方内側へ向かう撥ねが決め手ならば「ひ」に近いように思うので吾郷説を採る。問題の1文字目は「ひ」でも「と」でも「ね」でもなく、悩むところだが「ふ」だろうな。「ふ」も「ひ」と同じく、ただ横ににょろにょろしてるだけの文字だが「m」のように山二つの高さが揃うのが決め手らしい。

吾郷は2文字目を「き」、3文字目を「こ」とするが、ケンペルマンは3文字目を「き」、10文字目を「こ」とする。ケンペルマンは2文字目を「し」、吾郷は10文字目を「や」とする。「し」「き」「こ」「や」はどれも「フ」をぐにゃぐにゃに書いたように見えるが、全体的に「こ」は「く」の逆向き、「し」は「Z」、「き」は「7」のような印象になり、「や」は線の中程で右側に瘤のように張り出るのが決め手。
2文字目と10文字目はケンペルマン説でよいが、3文字目は「き」でも「こ」でもなく「や」だろうな。

11文字目はケンペルマンは「な」、吾郷は「ふ」とする。「な」の決め手は原形が「L」。
確かにこの書体では「ふ」の決め手も重合しているのだが、もし「ふ」だとすると、まったく違う文字にみえる1文字目に該当する文字がなくなってしまい読めなくなってしまうので「な」を採る。

3行目はP=ケンペルマンは「としきはとまね かねこなる」、吾郷清彦は「ひきこはひまひ かひやふる」と読んだが、以上の検討結果、第三案として「ふしやはとまひ かひこなる」と読んでみる。

新案の「ふしやはとまひ かひこなる」はとりあえず「富士や鳩舞ひ、蚕なる」と思いつくが、これでは旧案同様、意味をなさない。あれこれ考え、「伏屋は富まひ」と解いてみた。
「ふしや」は「伏せ屋」(みすぼらしい家という意味の古語)の訛りではないかな。「とまひ」は「とまふ」。「富む」に成し遂げることを表わす助動詞「あふ」がついた「富みあふ」の縮約語。「ついに豊かな家になった」の意味。もしくは「富む」に状態が継続することを表わす「ふ」がついた「富まふ」。「豊かな家になっている」の意味。
そうすると第三句は「蚕なる」でも意味は通り、むしろ語感はその方が自然だが、少し面白味に欠けるので、別の解釈も試みる。「ひこ」は「曾孫」、「なる」は「生る」(うまれる)。今でも子ができることを「子をなす」という。「か(彼)〜」は少々わかりにくいが「あっちにいる我が子には〜」もしくは「あの子の〜」というニュアンスの接頭語。
結論、「みすぼらしかった我が家も豊かになり、もうすぐ曾孫も生まれる」の意味。完璧にスカッとはいかないがどうだろうかな?

全文新訳試案
「カミウタ カミはゆく フシヤはとまひ かヒコなる マスミのかかみ オモかはりてや あ」
「御神歌 主は逝く 伏屋は富まひ か曾孫なる 真澄鏡 面変はりてや 嗚呼」

(この社の神に捧げる歌
 「歳の離れた夫が逝き ふりかえれば
夫とともに暮らしたみすぼらしかった我が家は今では豊かになっており
あそこにいる我が孫にもうすぐ曾孫も生まれる
鏡をみれば自分の顔も歳とともに変わってしまったものだなぁ」
あーあ[こんな歌を詠んでしまったよ、という詠嘆w])
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【告知文】05/31(日)春の遠足3・飯島愛追悼企画「ウチくる!?」形式で弁天様に捧げる幻の漫画「飯島愛私の初体験」と神代文字の石碑より転載

飯島愛がレギュラー出演していた懐かしの番組「ウチくる!?」と同じ形式で、Fridaさんの住む町をFridaさん自身が案内してくれる遠足です。下記のプログラムの合間ごとにFridaさんによるいろいろな面白い地元案内がアドリブで入ります。

1)柴又寅さん記念館
柴又駅の駅前にあります。ここで見学しながら、のんびり合流。(参加者が集まるのを待ちながら見学)
朝9時の開館から遅くても12時までにお入り下さい。

2)12時半、軽くお昼をとります。近くに「biscuit」と言う美味しいケーキ屋さんもあり。水元公園での飲み食いがメインなのでここは食べ過ぎないように。

2)午後1時、レンタサイクル。以降のコースは自転車で。
http://www.eco3196.com/rental_tokyo00004.html

3)三社めぐり
・金町の葛西神社→半田稲荷神社→東水元の香取神社
祭り囃子発祥の地とされる由緒ある古社で今も盛んに信仰されている芸能の神様弁天様に、飯島愛の冥福をあらためてお祈りします。江戸時代以来疫病封じで名高い神社には、インフルエンザの危ない時期だからこそ念入りにお参り。境内の碑文は1877年に来日した考古学者ケンペルマンによってドイツの雑誌に紹介され阿比留草文字で「カミウタ カミハユク トシキハトマネ カネコナル マスミノカカミ オモカハリテヤ ア」とありましたが残念ながら十年以上前に破壊されて今はありません。古図録のコピーを配布して昔を偲ぶよすがとする予定。香取神社に着くまでに、いろいろ食べ物買いながら行きます。

4)水元公園
素晴らしい公園でゆっくり散策したり飲み食いしながら飯島愛の思い出を談ります。美味しいケーキ屋さんやアイスクリーム屋さんもあり。話のタネに、現在入手不可能な幻の漫画「飯島愛 私の初体験」を参加者全員に配布。死の真相や業界裏話などはかなり深く調査済みなので、話の流れ次第ではそういう話題も出るでしょうが、あくまで故人を悼み、その功績に感謝を捧げ、冥福を祈るのが主旨です。