【レポ】
司会:本年の明治節に際して「皇室と日本を考える」では、早稲田大学の大場一央先生をお招きし、「國史における『明治』の位置」と題したご講義をいただきました。おかげさまで本編参加者は総勢二十六名という近年なかった大盛会となりました。しかさんが代表になって初めての大きなイベントでしたが、大成功でしたね!
しか:えっへん。もっとも参加者の半分以上は、早稲田大学国策研究会をはじめとした大場先生の関係者でした。講義の素晴らしさもさることながら、その点でも大場先生のお力に驚き入った次第です。何はともあれお忙しい中、お越しいただいた皆様、ありがとうございました。おかげさまで充実した催しとなったのかなあと思います。
司会:さて代表、今回どういった意図で、大場先生特別講義を企画したのでしょうか。
しか:それはですね。まず一つには、未だに保守・右派界隈は勿論のこと世間一般でも肯定的にとらえられている「明治」という時代を一度根本から問い直し、「明治」にはじまる問題が現在まで続いているんだということを世に訴えたかったこと。そしてもう一つには、大場先生というそうした趣旨のお話しをしていただくのに相応しい格好の人物がいらっしゃったことですね。
司会:なるほど、ありがとうございます。では早速講義の中身を振り返ってゆきたいと思います。講義は「江戸の部」と「明治の部」の二部がありましたが、まずは第一部の「江戸の部」から内容を紹介してもらえますでしょうか?
しか:冒頭まず我々が自由にものを見、自分の頭で自由に考えているというふうに思っているのは果たして本当かという問題提起があった後、「大日本史」の編纂事業に取り組んだ水戸学をあげ、「国史」とは単なる事実の羅列ではなく、ある一つの立場から歴史を価値づけて、その是非を明確したものであるというお話がありました。
司会:有名な助さん格さんの間にも論争があったそうですね。京都学派の助さんは事実の羅列派だったとか。
しか:そうですそうです。そしてよく知られている通り、江戸時代は学問の大発展期だったわけですが、その本には東照神君家康公の事績があったというお話がありました。何でも家康公は、ただ単に天下人というだけではなく、書物の改板などを通じて儒教が重んじられる風潮を意識的につくり、ありとあらゆるものを一つの意味の元で説明することができる道義国家を建設した、つまり我が国を徳義で覆った人という意味で「東照神君」と追号されたのだということでした。
司会:今まで狸親父と馬鹿にしてました。家康さんごめんなさい。
しか:分かればよろしい。それから松平定信公の話、水戸学者・立原翠軒と国学者・本居宣長の対立の話、藤田幽谷「正名論」の話がありまして、江戸期を通して成熟してきた「我が国は何なのか」という議論を集大成し「国体論」にまとめたという会沢正志斎の話に至りました。
司会:えー、あまり長くならないようにお願いします。
しか:はい。国体論・祭祀論・大政委任論・攘夷論などを論じていただきましたが、簡潔に言ってしまうと、政治は祭りによって精神的一貫性、つまり大義を確認し、祭りは政治によって実現される。これが日本の国体であると、こういうことなんですねえ。
司会:レジュメに書いてあるままじゃないですか!
しか:ばれましたか?ごめんなさい。まあそういうことで。
司会:では、つづいて第二部の「明治の部」の方もお願いします。
しか:明治を代表する思想家ということで福沢諭吉について詳しくご紹介いただきました。まあ簡単に言ってしまうと福沢は、J.Sミルのようなイギリス功利主義の影響を強く受けておりまして、要は、人間が自我をむき出しにして自己主張すれば、家族やら何やらといった共同体がばらばらになって個人が生まれ、功利が生まれると。これが文明の発達なんだと、こういうことを言ってたんですねえ。
司会:と、とんでもない奴ですね!福沢の議論を推し進めれば、夫婦別姓でも何でもありじゃないですか。。。
しか:そんな人が明治時代を代表する一大思想家とされてしまった事実にも驚きますが、福沢的傾向は福沢ほどでないにせよ明治の言論人全般に通底していたみたいですね。明治時代に教育勅語という素晴らしい勅語が渙発されましたが、あれも明治が素晴らしい時代だったからできたのではなくて、全く逆。明治が道徳的に乱れた時代であったればこそ、ああいう勅語が求められたんです。
司会:今まで漠然と持っていた明治のイメージががらがらと崩れ去ってしまいました。目を開かされた思いです。
しか:そう言ってもらえると企画者としても嬉しいです。
司会:さて、大場先生特別講義につづいて「皇室と日本を考える」自主研究発表ということで、Frida氏より、随分長いタイトルですが・・・「日本総呆化徴候編集部不祥事件禍因根絶の逆縁教養維新の正機序説雑論―明治期圏点乱用の軌跡を辿って蓑田胸喜の用点用語の背景奥史を探検し立花隆氏の悖逆妄評を糺明弾劾す」と題する発表がありました。Fridaさんよろしければ、簡単に内容をまとめてもらえませんか?
Frida:はい。タイトルは、蓑田胸喜の関連冊子のタイトルをもじりました。漢文気分で見たらいいかも知れません。事の発端は、立花隆氏が、文藝春秋で連載してた『私の東大論』で、蓑田胸喜を誹謗中傷した事です。
司会:ふむ。
Frida:蓑田の批判は片言歪曲だ、とたびたび非難されますが、立花隆氏の分析こそ、片言歪曲に満ちていました。が、それ以前に、立花隆氏は、蓑田の文体を安易に理解不能と述べ、圏点の多用乱用を異様だと漏らしました。蓑田が用いた文体は、或る特有性があると思いますが、理解不能と安易に断じるものでなく、それなりに奥行きのある文体史的な、思想史的な背景があります。それは現代に於いて、多くの人によって忘れ去られた時代や論争や苦悩を含んでもいます。そう言う、日本史のポカンと忘却された時代を象徴するかのような一つの現象が、彼の文体であり、圏点乱用だった、と言うのが今回の私の一つの仮提言です。
司会:なるほど。
Frida:文体分析の方は、それなりに難しい事柄ですが、圏点乱用が著者の異常を示唆する証拠として充分かと言えば、答えは当然ながら「否」です。蓑田特有の現象でもありません。明治期には、蓑田が展開するような、文明論的記事には、たびたび圏点が乱用されていました。それを見た事無い、殆ど目にしてない、と言う事は、要するに、その時代の或る重要な議論の諸形跡群を見逃してると言わねばなりません。 更に・・・
酔っ払い:皿に?
バカボンのパパ:皿に茶碗に、徳利なのだ。
地縛霊:さ、さむい…。
象:パオ~ン!
メフィスト:滑る。用は済んだ。
司会:ご静粛にお願いします。
Frida:現代日本の原点たる明治の、重要な議論を見過ごしてる、と言う事は、原点にある、もしくは、原点からある問題を見過ごしてる、そして、似た様な議論なり、場合によっては、過ち自体をまた繰り返す怖れがある、と言う事をも意味すると思います。それを是正するには、明治期や、その前後の文明論的な議論を再検討するのが得策ではないか。余りにも広い領域なので、明治や大正前期に育った蓑田青年を軸に、そして、圏点乱用や、蓑田の文体を一種のキッカケとして、過去の望見を進めて行こうと思い立ち、それ用のブログ《〜圏点☆乱舞〜》を開設しました。機会がありましたら、ご覧ください。
司会:大変分かりやすい要約をありがとうございました。それにしてもこのブログは圏点を乱用どころか使用することができないというのは、ちょっぴり残念ですね!読者の皆様で圏点を補いながら読んでいただければと思います。以上、「皇室と日本を考える」からのご報告とさせていただきます。
しか:お疲れ様です。ありがとうございました。(了)
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【告知】
「明治」という時代にあって、我が国が他のアジア諸国に大きく先駆けて近代化を実現し、国民国家を形成することに成功したことは誰もが認める歴史的事実です。しかしそれは、偏に「新政府」による欧化政策の功績なのでしょうか。またその過程で失われた伝統は、単なる「旧弊」に過ぎなかったのでしょうか。さらには、あったかもしれない「もう一つの近代化」の可能性とは。
今回「皇室と日本を考える」では、早稲田大学講師の大場先生をお招きして、一般に美化される傾向にある「明治」という時代を、リベラル派とはまったく別の視点から、今一度見直します。栄光ある「明治」の陰影が、今白日のもとに!
■催し
大場一央先生特別講義「國史における『明治』の位置」
※ご経歴:昭和五十四年、北海道札幌市生。早稲田大学教育学部卒業。同大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、早稲田大学講師。専門は儒教(陽明学)。
■とき
明治節十一月三日(祝・水)午後二時半開場、三時開会
■ところ
文京区勤労福祉会館(本駒込四丁目三十五番十五号)第二第三和室
※JR山手線駒込駅東口改札より徒歩十分程度。
■資料代として
参加者各位の身分に応じたカンパをお願いします(※一般の社会人の方は千円程度を目安に)。
「皇室と日本を考える」
http://kokutai.blogspot.com/