2012年12月23日日曜日

義挙310周年・赤穂義士凱旋行

義挙310周年記念
 「赤穂義士凱旋行」

H25/12/15()

朝・襲撃篇

11:00開始

堀部安兵衛宅跡(安兵衛公園、墨田区立川3-15。数年前まで放置・無表示だったが今は公園に名前がついて旗が立ってる。菊川駅歩10分/錦糸町駅歩15分)スタート
→吉良邸跡(本所松坂町公園。両国小の隣。吉良邸の北側の敷地にあたる)公園というほど広くないが「首洗い井戸」や兼春稲荷と上野稲荷を合祀した「松坂稲荷」あり。この周辺の道路では14日・15日と義士祭・吉良祭「恒例元禄市」が開催。食べ物以外の商品も豊富だが食べ物がいろいろ美味そう、ただ狭いので混雑。ここだけでもその気になれば数時間つぶせそうなぐらい。両国小に接して芥川竜之介の碑。公園の西南のほうへいくと吉良邸裏門の表示板。公園の南側にずれると夏目漱石の塾、前原伊助宅跡の表示板あり。

昼・前篇(吉良邸〜新橋)

13:00開始
吉良邸跡
→回向院(明暦の大火や関東大震災などの数十万人の無縁仏を弔う。諸宗山無縁寺と称し開かれた寺と思われた)赤穂浪士がここで休息をとろうとしたが門を閉ざされた。ここは北側に回らないと入れないので注意
→両国橋(ここで隅田川を渡る予定だった)15日が大名旗本の登城日であることを理由に橋を渡ることを拒否される。赤穂浪士が休憩した両国橋の東詰には四十七士の一人大高源五の句碑あり「日の恩や忽ちくたく厚氷」(太陽のおかげで厚い氷もすぐ砕けて溶ける)向かいに「ももんじ屋」定食が千数百円。南下すると「旧両国橋跡」の表示板あり、当時の両国橋は現在の橋よりもうちょっと南にあった
→御船蔵
→一之橋で竪川を渡り、左手に江島杉山神社をみつつ萬年橋通りを南へ
→芭蕉記念館(松尾芭蕉の活動拠点の跡)
→萬年橋(小名木川が隅田川に流れ込む合流点の橋)橋わたる直前に芭蕉庵史跡展望庭園、松尾芭蕉の銅像。万年橋わたったら隅田川沿いの裏道に入る
→上之橋(かみのはし)・中之橋・下之橋(水路は埋め立てられ上之橋の欄干が残っているだけ)上の橋をすぎると平賀源内電気実験の地の碑、ついで佐賀稲荷。隅田川大橋と永代橋の中間ぐらいで左手に折れると紀文稲荷神社、そのへんに四十七士の一人奥田貞右衛門行高宅
→永代橋、赤穂義士休息の地の碑(橋の東側、わたる前)大高源五と俳句仲間であった「ちくま味噌(乳熊味噌)」初代竹口作兵衛木浄が浪士等に甘酒を振る舞い労をねぎらった。乳熊味噌は赤穂浪士ゆかりの地として江戸の一大観光地となった。ちくま味噌では最近まで討ち入りの日に合わせてさっぱりとした美味な甘酒をサービスしていたが最近つぶれたらしく「ウチダESCO」という会社になってる。この橋で墨田川を越えて霊岸島へ
→豊海橋(かつての永代橋は今より北側、豊海橋の北側につながっていたため、当時は永代橋に続いて豊海橋を渡り日本橋川を越さなければ霊岸島へ行けなかった。そのよしあり)
→霊岸島(現在の新川1・2丁目)、新川大神宮
→亀島橋、堀部弥兵衛武庸碑(橋わたった右手。堀部弥兵衛が住んでいた)。その向かい(渡った左手)には伊能忠敬と写楽の説明板と「銀座の柳四世」あり。みるものみたら亀島橋は引き返して亀島川沿いに東南方向へ
→高橋を右折、亀島川を越えて霊岸島を出る
→稲荷橋跡(水路はすでに埋め立てられ欄干だけ)
→築地鉄砲洲通りを南下、鉄砲洲稲荷神社の前まで来たら左に折れ隅田川沿いを南に。現在の佃大橋の袂まできて西へ折れる
→築地川公園(かつての築地川)を右手に、聖路加看護大学を左手に見ながら南下
→浅野内匠頭邸跡=赤穂浅野家江戸上屋敷跡(聖路加看護大学)芥川龍之介の生誕の地の案内板
→築地本願寺の北東側の壁に沿って北西へ、次いで北西側の壁に沿って西南へ。築地場外市場前を右折、晴海通りに入りまた万年橋を渡る
→歌舞伎座を右手に見ながら進み、昭和通り(東銀座駅)をちょいすぎたところで左折。昭和通りの一本西側の裏道を南下
→汐留橋(昭和通りが高速の下を通るあたり)から汐留通りに入る(シオサイトを左に)。討ち入り後ということで人目をはばかり東海道(国道15号)の一本東側の裏道を南下。この道は今の汐留通りに相当。ただしゆりかもめの駅で遮断されてるので途中ちょいと迂回
→伊達家屋敷跡(日テレ本社ビル)仙台侯が当時仙台名物だった仙台粥を振る舞い義士が休息したという表示板。
→この後、汐留通りが寸断されてるのでちょいと東海道(国道15号)に出てる。山手線を越えたあたりの右手に磯貝十郎左衛門正久の家があったため、立ち寄って病床の母貞柳尼を見舞うよう内蔵助に勧められたが固持
→日比谷神社の裏から改めて汐留通りに戻る
おまけオプション1「内匠頭終焉之地」新橋四丁目交差点。談之助がよく落語やってるライブバーZZの目の前
16:30終了

H25/12/16(月)

昼・
後篇(新橋〜泉岳寺)

11:00開始
おまけオプション2和菓子「新正堂」(切腹最中とか義士羊羹とか。新橋駅歩10分)
まず汐留通りを南下
→芝大神宮
→金杉橋で汐留通りが終わり、この橋で古川を越したらまたすぐ一本東側の裏道に戻る
→芝4丁目交差点(山手線にぶつかるあたり)渡るところで道がなくなるので一旦第一京浜に移り交差点渡ったらまたすぐ裏道に入る
→本芝公園・御穂鹿島神社、この先三菱自動車ビルにぶつかって道がなくなるので表通りにうつる
→西郷南州・勝海舟会見の地(田町駅近く、三菱自動車ビル)ここの北方、三田駅の方角に三河岡崎藩主水野監物の屋敷(義士を9人預かった)
→札の辻→元和キリシタン遺跡→御田八幡神社(延喜式内稗田神社)
→高輪大木戸跡(江戸時代は夜になると閉門)映画「メッセンジャー」のロケに使われた地下道あり
→泉岳寺(ここで幕府の指示を待った)

夕・追憶篇

(泉岳寺と関係史跡の散策)
泉岳寺。まぁ何度かいってるとこなので簡単に
「大石内蔵助の立像」山門前
「主税の梅」松平邸で大石主税他9人が切腹した場所の梅
「血染めの石・梅」田村邸の浅野長矩が切腹した場所の石と梅
「首洗い井戸」
→大石良雄他十六人忠烈之跡(泉岳寺の裏手に回る細道から行く、だが結構離れてる。高松宮邸の西)肥後熊本藩下屋敷(細川越中守邸)跡。義士17人預けらる
→そこから適当に桜田通りにぬけて北上、六本木通りと合流するあたりの左手に久国神社(港七福神の布袋)あり、その近くに南部坂
→南部坂。内藏助が瑶泉院に暇乞いに訪れた「南部坂雪の別れ」で有名。南部坂を登り終えたら左折
→氷川神社(遙泉院住居跡)瑶泉院(あぐり)は長矩切腹後実家の備後三次藩中屋敷(浅野土佐守邸)へ移っていたが、享保三年1718三次藩断絶。享保五年1730、今の赤坂4丁目から氷川神社が移転してきた。表示板あり。
15:45終了

※告知はこちら・赤穂義士凱旋行(告知)