2012年8月26日日曜日

「一揆」という語意の変遷について(しか)

「一揆」という語意の変遷について

 現在「一揆」という言葉は、江戸時代の百姓一揆のイメージで使われがちである。しかし、歴史的にはもっと多様な意味を持っている。しばしその意味の変遷を追いかけると共に、死語ではなく、現代に生きた言葉としての「一揆」の可能性を考えたい。
 そもそも漢字の生まれ故郷である支那の地では、「揆」とは「①図る、②道、③全体の過程、やり方」といった意味で使われてきた。例えば『孟子・離婁章句下』には次のような用例がある。「(舜と文王は)地の相去るや、千有余里、世の相後るるや、千有余歳、志を得て中国に行えるは、符節を合するが若く、先聖後聖其の揆一なり」と。文意はおおざっぱに言うと、「舜と(周王朝の祖である)文王は、生まれた場所も時代も、遠く隔たっているが、志を持って立派な政治を行ったことでは、その道(やり方)はまったく同じである」といった感じであろうか。
 一方で我が国では、平安時代の太政官符(承和11年4月10日)に「国を建て職に任ずるは大小これ同、禍を除き福を祈るは彼此一揆なり」という用例が見える。文意はだいたい、「武蔵国や相模国、あるいは伊豆国だとか、それぞれ国の大小は異なっても、災いを除いて民の幸福を祈ることでは、国司の務めは同じである」といったところであろうか。このように古くは「程度や種類・方法などが同じであること、一致すること」といった意味で、「一揆」という言葉は使われていた。
 しかし、そうした古典的用法は、鎌倉末期から南北朝時代にかけて大きく変化することになる。それは、(大名クラスではない)中小武士が一味同心して戦うことを「一揆」と称するようになったことである。そうした「軍陣一揆」は、太平記の世界で大活躍している。例えば、『太平記巻二五・住吉合戦事(国民文庫本)』には「(細川顕氏は)四国の兵共を召集て、今度の合戦又先の如くして帰りなば、万人の嘲弄たるべし。相構て面々身命を軽じて、以前の恥を洗がるべしと、衆を勇め気を励されければ、坂東、坂西、藤、橘、伴の者共、五百騎づつ、一揆を結んで、大旗小旗下濃(すそご)の旗三流立て三手に分け、一足も引ず討死すべしと、神水を飲てぞ打立ける」とある。ここでは、楠木正行との決戦を前にして、細川顕氏が、守護であった讃岐国の中小武士たちに、坂東郡・坂西郡という地域ごと、あるいは藤原・橘・伴といった氏姓ごとに一揆を結ばせている場面を描いている。太平記には、この他、平一揆・白旗一揆・桔梗一揆などなど、さまざまな一揆が登場する。こうした軍陣一揆が、一つの戦いで解散せずに恒常化してゆくと、一族一揆や国人一揆と呼ばれるものになってゆく。一族一揆とは、惣領に率いられて一族・郎党が結束していた武士団が解体してゆくなかで、同じ姓をもつ一族としての団結を維持するための一揆であり、国人一揆とは、地縁的なつながりで結ばれた一揆である。
 この武士たちの一揆に対して、土民を主体とする一揆のことを「土一揆」といった。ここで注意しておきたいのは、もともと「一揆」と言えば、あくまで武士による一揆のことであり、それとは区別して「土一揆」と呼んだということである。しかし、応仁の乱の前後から土一揆が頻発するようになると、「土一揆」のことを単に「一揆」と称するようになった。その経緯は、江戸期になって書かれた『続応仁後記二・畠山上総介義英自害事』に分かりやすくまとめられている。「土民の徒党して軍を起こす者を名付けて土一揆と云ひならはす。民の字を略せる者ならし。然るに近年は土民の徒党毎度蜂起し、皆人、土の字を略せしめて、其れを只一揆とのみ云ならはす」と。こうして次第に、「一揆」とは「百姓(=農民)一揆」を指すようになっていった。
 以上が、歴史的な「一揆」という語意の変遷であるが、現代の日本中世史の学術用語としては、その当時「一揆」と名乗ったり呼ばれたりしていたか否かにかかわらず、「一味同心した集団」のことを指す言葉として「一揆」が用いられている。そうした場合、惣村はもちろんのこと、戦国大名などもある種の一揆として考察されることがある。
 思うに学術用語としての「一揆」は、中世に実際に使われていた「軍陣一揆」と「土一揆」の両方の共通点をとり一般化したものであろうが、堅苦しい言葉が多い学術用語としては、まれに見る(おそらく偶然の産物とはいえ)大傑作ではなかろうか。これは青木文鷹氏の言葉で言えば「クラスタ」ということになるのであろうが、僕としてはやはり伝統ある「一揆」という言葉を推奨したい。
 近代国家の崩壊局面にある現代日本は、個人が往々にして個人としてバラバラにされてしまいがちな社会である。しかし人間は、社会的にも精神的にも、他者との関係性(つながり)なしには人間としては生きてゆくことができない。国家が砂のように溶けてしまいそうな現代にあって、各個人が、それぞれの周囲の人間と、何らかの形で「一揆」的なるものを形成し、それを維持してゆくことは、個人が人間として生きるという意味でも、国家を下支えするという意味においても、ますますその重要性を高めている。
(文責:しか)

主な参考文献

勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)
神田千里『土一揆の時代』(吉川弘文館)

※上記の内容は、H24年8月26日に開催された定例会における発表「中世日本における一揆とは何か」の一部を加筆修正したもあのである。