2019/09/29

YORIKEES対話「竹島からみた国民国家論」

本編

日本支部長(以下「」)・総理、やりてえ ウヨもサヨもみんな囲んで、日本の伝統、やっぱり守っちゃって、ついでに俺の×××も美化しちゃおう。暴走するのは、、、きっと竹島奪取だろうな。俺の悲願よ 小泉が郵政民営化に固執して、失脚したように。竹島については、どう考えたらいいか、みんな教えてくれ。

・大昔のコワモテの街宣右翼(今でいう朝鮮右翼)のおっさんも支部長と似たようなこという人が多かったよ。ただ、リベラルにそれ言っても(当時も今も)冷笑されるし若い頃は「なに頭悪そうなこと言ってんだ」と反発したもんだが、気にせず言い続けることが大事。その方がリベラルは恐がるんだよ、インテリじゃない人々には伝わるって知ってるから。

鹿・小泉が失脚したのは、皇位継承問題じゃない。失脚というなら

鹿・竹島問題というか、対韓国戦争を想定すると、徴兵制のある国をなめてかからない方がいいとは言えると思う。あと国内に反日勢力がそれなりにいる日本は、インフラ設備へのテロ攻撃のリスクも高い。軽はずみなすっきりは危険でずぞ。

鹿・あと竹島のために、若い人にお前ら死んでくれとは言えないので、俺は政治家むきじゃないという自覚はあるが、支部長はどうなのか。

・小泉って失脚したっけ? 任期満了でそ

・市ねと言えるか言えないかじゃなくて、そもそも俺らもお前らもあいつらも全員しななきゃならないのよ。国民国家の建前はルソーの昔からこれ。個人的感情的に言えようが言えまいが関係ない。個人的感情で国が動いたり動かなかったりしたらもうそれ国じゃないし、天皇も憲法もいらないでそ

・死ぬのが嫌なら参政権も国民の義務権利も返上して自然状態で勝手に生きていくしかない。いいとこ取りはしといて自分は死にたくないってのは人権屋のくそ左翼と同じでは。

・竹島に関しては俺の××××で取り返したい。そもそも株式投資始めた動機がそこにあるし、、、だからあくまでも××××でやりたい。そこに若者は死ぬかもしれないけれど、お金で報いるしかないかなと。

・政治の力でやるとしたら、戦争と言いたいとこだけど、韓国については、東京ほどのGDPなのだから、経済で潰す脅しで、武力的な攻撃はさせない。そういう意味では、今の安倍先生は頑張ってるとは思う。ま、韓国野党、保守の力は入ってるとは思うけど

・小泉は実質、郵政をアフラックの駒にしたそのポチ米国思考で、自滅したと考える。悠仁様のとは無関係かなと、、、実質、末期は株価が低迷。

・「お前ら死んでくれ」と誰か特定の個人がいうわけじゃないでしょ。戦争が始まったからって鹿さんがそう言ったことにならない。戦争反対(正確には開戦反対)の人はまともな国民の中にも一定いていいんだし。でも戦争に参加するのは反対派だろうが国民としての使命なんだよ。この場合の国家とは日本民族共同体であり、今いきている我らと不可分の有機的生命体だから対象化すればすべての日本人の先祖代々だともいえる。「お前ら死んでくれ」というのは今いきている特定の個人が言ってるんじゃなくて、そのような「国家」が国民一人一人の心にそう呼びかけるのである。

・そうなると、果たして竹島奪還が民族共同体のことになるのだろうか、、、死者が出るなら、あんな島いらないんじゃと言われると思ってる。だからこその××××でとやろうと思うし、本当の意味で、俺は嫌韓なヤツだと自負できる。

・だから戦場に行きたくないやつを強制はできない。そいつは日本人に成れてないのだから。日本人に成るための教育が、本来は初等義務教育だったわけで、リベラル思想がはびこる前には日本のみならず欧米諸国も、戦争になったら国を守るために死ななきゃなんて一般的な常識だった。

・少数意見は永遠に少数じゃないし、多数派も永遠に多数ではない。現状の人権感覚(利己主義)を作ったのはリベラルであり、それを永久に変えられないなんて保守派が思い込んだら、左翼は大笑いでさぞかし飯が美味いだろう

・「死者が出るなら、あんな島いらないんじゃ」と言われるのは今だけのこと。世の中あっという間に変わる。

・最後の熊さんのツイートで理解。あっという間に変わるようにするように、俺は個人の悲願を諦めないよ。金を稼ぐ目的も忘れない。ってことで、現役×××××の支部長は、××大先生の教えに背いて、排他的思考は一切やめて、ダイバーシティで、男系護持を貫いていきます。♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

鹿・僕が言ったのは政治家として命令を下せるのか、決断できるのかという話なので、熊さんの原理原則論とは別の観点ですよ。

鹿・僕は平時にはそつなく振る舞うけど、有事には優柔不断な性格だという自覚があるから、政治家向きではない。支部長はどうなのという話です。

鹿・それはそうと、これからも国民国家でやっていくんですか?これからはむしろ帝国の時代では。

鹿・もちろん帝国の中核的支配層には、熊さんが言った国民国家的意識が求められるでしょうが、それは広く臣民すべてに強要するものではないかと。例えば平時は、ネットで攻撃的なことばかり言っているのに、有事にはただの穀潰しみたいな民がいてもよいw

・臣民は強要されるのではなく自覚の問題。鹿さんが言ってるのは臣民でなく「領民」。国民国家はすべての国民に臣民的な自覚を求めるが帝国はそうではない。

・中世を卒業せずして近代国家は作れなかった。それは中世をきちんと完遂したという意味であって、回避したという意味ではない。すでに「国民国家」という性質は人類に感染してるから、前近代の帝国そのものにはなれないし、強制的に過去を復元しても別な不幸が生まれるだろう。未来の帝国とは「帝国的な何か」ではあるが人類がいまだ見ざるものであり、それは国民国家を正しくきちんと完成させ完遂し、その結果として国民国家の欠点や短所を庶民大衆が構造的に知りぬき体得し、それゆえにこそ国民国家が否応なく自然に発展的に帝国へと解消していく。これ以外のコースはない。国民国家は戦争機械でもあり独裁制とも親和性が高い。近隣諸国が国民国家のレベルに拘泥してる時に自国だけ帝国の真似事をするのは自殺行為。

・「平時は、ネットで攻撃的なことばかり言っているのに、有事にはただの穀潰しみたいな民がいてもよい」というのは理想をいば(=帝国というよりは「封建主義」だけど)そりゃそうよ。穏健で温和な「帝国システム」と違って「国民国家」ってのは物騒な戦争機械であり本質的に軍国主義をそのシステムとして内在させている。世界が国民国家の集合体であるような時代は、後世かならず「戦国時代」と呼ばれるはずだ。近代初頭、アジアには二百年以上も安定していた帝国がいくつもあったが、あっという間に近代国家に滅ぼされてしまった。封建帝国の理想は高く尊いが、悲しいかな我々は戦国時代に生まれてしまったのです。

・「平時は、ネットで攻撃的なことばかり言っているのに、有事にはただの穀潰しみたいな民がいてもよい」というのは現状ではリベラル派の言説のように保守派には聞こえる可能性が高いのではないかな? リベラルは「アンチ国家」で国家なんて無くなれと思ってるからそれに近いことをいう。日本でも海外でもリベラルはグローバリズムと親和性が高く、庶民は逆に国民という枠を守ろうとしてる。平時には地方分権で国内競争してレベルをあげるのがよいが、戦時には中央集権で挙国一致して外敵に備えざるを得ない。ただ、マクロとミクロの違いはあるので、局所的に帝国的な試験特区みたいなことをして模索や研究は蓄積していければいいかもね。という程度。もともと明治維新だって欧米列強から身を守るために「しかたなく国民国家という苦労の多いものを作った」のであって、そういう時代が終われば鎖国して平和でラクチンな江戸時代に戻りたかったわけでしょ日本人は。大東亜戦争で勝ってれば、今頃アジア大陸ぜんぶ日本領土で忌まわしい戦国時代は終わりに近づいてたろうけど、敗けちゃったからそれは千年先に遠のいた。といっても人類の歴史からいえば1時間後の予定が1週間後になった程度でたいしたことないともいえる。

鹿・中核に国民国家を残した帝国が、ポスト国民国家の帝国かと。我々には国民国家を経験した歴史があるので、これと向き合うことで、国民国家を発展的に克服することは可能では。今は健忘症に陥っているが。

鹿・確かに国民国家は戦争機械として脅威をふるったが、戦争形態の変化(実戦核・ドローンやAIなど)が、国民国家を時代遅れにする可能性もありうる。

鹿・サイバー戦もありますね。

鹿・何年先かわからないが、今度の韓国戦争は、帝国としての日本が、国民国家の韓国を破ることができるのかという歴史的意味を持つのではと想像しております。

鹿・臣民という言葉を安直に使ってしまいましたが、これは「臣+民」という意味でした。臣は国民、民は市民かな?

・やべぇ、ラグビー面白い

・頑張ってここまで、なったよなぁ バレーは全く面白くないが、、、

(略)

鹿・そういえば一昨日あたりの議論、面白かったのでコピペしてMLに流してもいいですか?

・(>中核に国民国家を残した帝国がポスト国民国家の帝国)
国民と非国民に分かれてしまうと国民からみて非国民は余所者だし、国民でない側は不当に権利を奪われているか人格を否定されてるように感じる。国民という概念は「人類」みたいにそれだけで完結してる閉鎖系なので、国民国家とそうでないものをくっつけて一つの帝国にはできない。
(>戦争形態の変化が国民国家を時代遅れにする)
それは確かにある。核兵器からすでに薄々いわれてICBMからは旧来の地政学の無意味化(新地政学の登場)、サイバー戦では徴兵制の無意味化なども。でも国民概念は宗教みたいなとこもあるから物理条件(の一部の)の変化だけではなかなか崩れないだろうね
(>今度の韓国戦争は帝国日本が国民国家韓国を破ることができるのかという歴史的意味)
かなり劣化した国民国家だが平和ボケした日本が慣れていくためにはこれぐらいから始めるのもやむを得ない
(>臣は国民、民は市民かな?)
臣は貴族。市民は主義によって位置づけがちょい違うけど、共通してるのは「市民」="citizen"=自由都市民で、私有財産と参政権をもって一人一人が国家を支える義務をもつ(徴兵に応じる義務も含む)。これだけだと国民と市民の違いはない。さらに民主主義下では市民も国民も国家の主人。共和主義における市民は、またちょっと違って、条件が加わり自営の農民や自営の商工業経営者だけ。サラリーマンはそういう意味では市民でないから、参政権が与えられるべきでなく戦争にいく義務もない。自営業者じゃないとだめっていうのは、政治参加に必要な知識を得るため勉強するための時間的余裕や、武装を買いそろえる財力が必要だから(今でいえば暢気に政治活動やってるような財力(物理的自由)がないから)。「長屋の熊さん八つぁん」みたいのは税金おさめてないし国家への義務もない。これは市民ではなく「領民」(狭義の領民(=領地の農民)は年貢おさめるが「領」の字には定住とか土地とか農業という意味はないので非農業非定住の遊民でも領民ではありうる)。サラリーマンは契約によって「自由」を放棄してるので好き勝手にいつでもデモやストを起こせない「奴隷」(≒社畜)もしくは会社という別の国家に忠誠を誓ってるので国益を犠牲にしても会社のために動く潜在的謀反人。二級市民という言い方も考えられるが二級市民も「市民の内」に聞こえるから紛らわしい。

・いいですよ

鹿・ありがとうございます。


※もともと内部の対話だったという性質上、外部公開に問題ありと思われる点については伏字といたしました。ご承知おきください。


補説「未来の帝国のために」

これは「皇室と日本を考える」関係者の集まるDMグループ「YORIKEES」で、令和元年9月19日から始まった対話を、ほぼそのまままとめたものになります。ふだんから主に時局問題について有意義な意見交換をしてますが、今回はとりわけ思想的に深みのある話になったように思い、ここに公開することとしました。以下は、一方の話者である鹿による、本編では意を尽くせなかった点についての補説になります。見識ある皆さまの批判を乞いたい。

かつての大日本帝国は、「帝国」とは名乗りながらも、実質的には軍国主義も含めて国民国家を標榜したものであった。しかし大東亜戦争に敗戦したことにより、その遠図は挫折した。また功罪あるであろうが、本土決戦を放棄したことで、国民国家を完遂することもできなかった。あるいは大戦後の経済大成長は、生きのこった者たちによる復讐戦(経済戦争)だったのかもしれないが、その歴史観は平成には継承されなかった。今では日本国民は、何のために我々があの大戦争を戦ったのか分からない有りさまだし、国家もまた半ば米国の属国、あるいは保護国のような体たらくである。衣食住足りて楽しく生活できるなら、それもまたよいかもしれない。しかし数十年スパンの長期的な視野に立てば、米国の覇権が後退してゆくことは十分考えられることで、朝鮮半島はもちろん日本列島からも米軍が撤退することもあり得るだろう。その時に日本国家が立ちゆくようにするには、今からどうするべきなのか。その問題意識が、この議論の前提としてあったように思う。

さて自分がこの議論で、あえて帝国モデルを提唱したのは、第一には自分が国民国家が嫌いだから(=徴兵されて戦争で死ぬのが嫌だから)である。始めの方で「若い人にお前ら死んでくれと言えるのか」と支部長に問うたのも、今にして思えば、このことが念頭にあったからであろう。さて第二には、日本においては国民国家はもう無理だと考えるからである。国民国家は戦争機械として、たしかに優秀だが、副作用としては左翼・リベラル思想の温床になることがあげられよう。戦士でないものまで、戦士として動員するのだから、当然と言えば当然の結果だ。敗戦国である日本だけでなく、戦勝国の米国・英国もこの病理に苦しんだことを思えば、その毒の恐ろしさが分かるであろう。そして日本には、もはや致死量に近いくらいリベラルという毒がまわっている。このことは右派の議論も、往々にしてリベラル的な常識(例えば個人主義)をもとにして組み立てられていることからも見てとれよう。若い国民国家である韓国とは、よくも悪くも歴史的立ち位置が違うのだ。ではどうするか。選択肢は、未来の帝国しかない。太古から日本国の統治者であった天皇の権威が、宰相と内閣に権力として分配され、ゆるやかに階層的に、文化的にも多様な日本国を統合してゆく。帝国モデルしかないのだ。その場合、鍵となってくるのは、やはり自衛隊の処遇であろう。祖国を防衛しうる戦士は、彼らしかいないのだから。未来の憲法改正は、天皇の承認のもと、自衛隊に最大限の名誉を与えるものでなければならない。

さて本編中で熊さんから「未来の帝国とは「帝国的な何か」ではあるが人類がいまだ見ざるものであり、それは国民国家を正しくきちんと完成させ完遂し、その結果として国民国家の欠点や短所を庶民大衆が構造的に知りぬき体得し、それゆえにこそ国民国家が否応なく自然に発展的に帝国へと解消していく。これ以外のコースはない。」という指摘をいただいた。まったく以てその通りで、目を開かれる思いがした。しかしこの点については、自分は楽観的である。国民国家を克服するために、日本国民に必要なのは、歴史と向きあう。ただそれだけだ。もっともウヨ的な肯定ありきの史観では駄目だし、だからといって始めから否定してかかるリベラル的な議論でもいけない。言うは易く、なかなか難しいことかもしれない。さしあたり自分としては、中村粲先生の「大東亜戦争への道」あたりから読み直したい気分でいる。(鹿

※なおuyopediaに掲載されているものが、本記事の原本である。