2020/01/20

レポ「高御座の意義」

2680年1月19日に多摩屯所にて月例会を開催いたしました。その際、自主講座として本会スタッフのむらさぎ氏より「高御座の意義」について、國體原理の観点から解説をいただきました。以下、当日の資料とともに簡単にレポいたします。

(むらさぎ作成、メモ書きはしか)

最初に「(1)観念整理」として、天皇即位にまつわる儀礼を三つに分類し、その中でも一般的に知名度の高い「大嘗祭」は、神話の反映が見られず、あくまで即位後最初の新嘗祭という位置づけに過ぎないとのことでした。

その後「(2)三者の関係史」にふれてから、「(3)日本書紀の記述(沿革)」にそって、①剣璽渡御の儀の原型としての「捧璽即位」と、②即位礼の原型としての「設壇即位」の解説がありました(資料右ページを参照)。まず①「捧璽即位」(○印)は、允恭天皇の事例が起源であり、この天皇でいいのか疑いのある場合に、群臣が一致して神器を捧げ奉り、即位を要請するものであった。それに対して「設壇即位」(□印)は、雄略天皇の事例が起源であり、天皇が自ら「壇(=高御座)」にお上りになることで、その即位の正統性を示すものでった。つまり國體原理の観点からいえば、天皇意志の顕現である後者がより重要であるとのことでした。

最後に「(4)タカミクラの神話的起源」では、その意義について詳細な解説がありました。まず漢語の「壇」と大和言葉の「タカミクラ」は意味がまったく異なっており、高御座とは、周囲を帳(トバリ)で囲っている御帳台である。雄略天皇は、即位の正統性を示すために、天孫降臨を再現する儀礼として「設壇即位」を行った。つまり高御座の神話的起源は、「まどこおぶすま」にある。また即位礼の人員配置で、古くは天皇の両脇に武官が立ったのは、天皇がすぐれて軍事的な存在であったことを示している。といった多岐にわたる話がありましたが、その全貌はなかなか言葉を尽くしきれず、ごくかいつまんでの紹介になってしまい恐縮です。

参加者を交えての議論では、本来は高御座に上るとは、お披露目というよりも、お隠れになることであり、人々からは目に見えない存在になることに意味があったのではという話もありました。歴史の変遷とは、まこと面白いものですね。しかしそればかりでは不十分で、時には國體原理に立ちかえることもまた必要なのでしょう。

以上、ごく簡単ではありますが、レポとさせていただきます。uyopediaの「即位」の項もあわせてご参照ください。(しか)

2020/01/01

【新年の所感】(代表)

刻々と進展する世の中、日本に眼を向けば、
何と言っても少子高齢化の加速が目に留まる。
厳然たる降下は、揺ぎ無いほど、清々しくもある。
「叫ぼう、可能世界論を!」

母船が着々と沈下する中、
船内の精神空間は、
良くも悪くも落ち着いており、
・普通か逸脱か
・迎合か孤立か
・扶養か自立か(社畜か起業か含め)
・格上か格下か
・非難か迷惑か
・元気か病気か
・積極的か、消極的か
・やる気あるか、無気力か
・ツッコミかボケか
・面白いかつまらないか
・カッコいい(カワイイ)かダサいか
・無関心か御世話か
と言った類の問いに支配されたまま、
共同暗示される予定調和が蔓延し、
達観の中、残虐な社会童話が、
或る程度不可避なものとして繰り返される。
「漏らそう、身の丈が一番だと。」

地道な衰退の裏には、劇的な危機が潜む。
日常化する危機は、危機的に日常化する。
諦めは成熟の証となり、想いは局所に追いやられる。
夢は憧憬として残り、虫は安定の中におさまる。
「キキは死ねば、それで終わりです。」

空気を読む達人は、今日も風を追い、
普通を極める匠は、明日も釘を打つ。
原理なき慣習、朝令暮改の温床、
実践なき原理、机上の空論。
騒いだもの勝ちの人民裁判。
どけよ、のけよ、天下のナニサマデモナイ隊だ。
麺と玉とのとっ替えっこ、
選挙と占拠の切り替えっこ。
「燃えよ萌えよ。知らぬ仏より、知る鬼ョ。」

国破れて山河あり、
時に感じては、鳥の囀りに涙をそそぎ、
新たな日の出を仰いでは、日に当たり過ぎて倒れる。
夢でしか夢を語れぬ血迷う羊の如く、
炎上の野原と、達観の砂漠を駆け巡る。
崖に当たり、己が分際で空漠なる漆黒へとノタマウ。

・万世一系の皇統を護持し、根源精神を顕現せし随神の道を堅持し、
 原理律法を整理拡散することについて・・・

・原理に相反せぬ多様性は受け入れることについて・・・

・野次馬メディアと、炎上言論と、群集心理の根本にある、
 精神文化の本質化の促進について・・・

・世帯の、友情、努力、勝利、または、
 優美、勇気、成長の培養に向けた役割について・・・

・学校の抜本的な改革による、健全な多様化の受容、
 社会現実に合わせた趣向才能の発育、
 政経機能に合わせた技能発揮の実践について・・・

・国民自衛のため、少子化への多角的な対策、
 高齢化への多層的な対応に向けた、
 各々の能力と趣向に沿った協力について・・・

・国土防衛のため、領土論と土地論を、
 教育の根底的な研究主題とすること、
 中でも、北方領土問題を積極的に取り上げることについて・・・

・そして、国家の機構を抜本的に再編する必要と展望について・・・

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社会文化の刷新、学校教育の改革、国家機構の見直しなどに向け、
「継続は力」を胸に、研鑽、検討、そして活動を、
今年も、地道に続ける所存です。
各位のご活躍、心よりお祈り申し上げます。

今年もよろしくお願い致します。
(「皇室と日本を考える」代表:ディオ)

※注記:
・関係者個々人によってブログに投稿されるレポや意見などなど、
 基本、ネットワーク全体の意見を代表するものではありません。
・「皇室と日本を考える」は、今までの組織運動の教訓を踏まえ、
 「グループならぬグループ」を目指し、
 ネットワーク型の関係性を基本としています。
・ネットワークであることが実践上何を意味するかは、
 その時々の具体的な関係性や事案によります。
・ネットワークとして、対立意見も色々あり得、
 意見交換の「場」でもあります。
・そう言うものとして、意見の責任は個々人に帰します。

令和二年年頭所感(日本支部長)

あけましておめでとうございます。菊池 俊です。

昨年は御譲位により平成が令和になり、一つの時代が移り変わった一年でありました。
また災害は例年のことではありますが、過去最大級の台風が日本を襲い、都市型の防災について強く考えた方々も多くいたと思います。

今年は日本においては東京五輪開催、米国は大統領選、英国はEU離脱が予定されており、いずれの事柄も経済に強く影響があり、私たちの生活にも無視のできない事柄となります。
五輪後の景気停滞、現在の冷戦とも言うべき米中の経済戦争、英国の合意なきEU離脱、また加えて「自爆テロ」による韓国国内疲弊に、我が国も無傷とはいかず、災害とは違う試練の年になるのではと感じております。

さて、私たち「皇室と日本を考える」は、平成という時代に我等、臣民とともに歩んでくださった上皇陛下・皇太后陛下に心から感謝申し上げるとともに、今後とも末永くお健やかにお過ごしいただきたいと思います。

また断固、男系護持を掲げる私たちにとって、今年も様々な工作に対処すべき事案が発生いたすでしょうが、令和という時代も「私たち」が國體を護っているという自負を持って活動してゆく所存です。

皇室にとっても、みなさまにとっても新しい一年が素晴らしいものとなることを祈念して、新年の挨拶とさせていただきます。

皇室と日本を考える
日本支部長
菊池 俊(sYun.Kikuchi)